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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

自分が見捨てられていることにすら気づいていない人たち

WEB 雑記


参考リンク:勉強できる人しか便利に暮らせない社会 - シロクマの屑籠


そもそも「勉強」すれば便利に、幸せになれるのだろうか?
僕はそんなことを考えてみたりもするのです。

僕の場合は、勉強に価値を見出したというよりは、顔も悪けりゃスポーツも苦手、対人コミュニケーションもダメで、「生き延びるには、勉強するしかない!」という切実な理由に基づいて勉強しました。
でもまあ、率直なところ、それが良いことなのかどうか、自分でもよくわかりません。

それでも、自分の息子に対する最高の褒め言葉が「○○は賢いなあ」であることに気がつき、人というのは自分の価値観から逃れるのは難しいものだな、なんて考え込んでしまうのです。
「子どもには、自分が生きたいように生きてほしい」なんて思っていたつもりなのだけれども、「賢いひとになるのが最上」だという刷り込みを行っているのかもしれません。

僕は、いまの世の中は「便利」である一方で、あまりに自分とつながっている(ように思われる)世界が広くなりすぎて、なんだかとても生きづらくなっているような気がするんですよ。
否応なしに「世界のなかでの自分のポジション」みたいなものを思い知らされてしまう。

ゲームでいえば、『ドラゴンクエスト3』くらいの時代は、みんなが「勇者」になることができたのに、オンラインRPGでは、ごく一握りの「廃人」以外は、「自分より強い勇者」に直面せざるをえません。

スタンドアローンRPGであれば、「マイペースで世界を救う」ことが可能だったのに、広い世界や他のひとが「見えるようになった」ことで、ゲームの中でさえ「現実」を思い知らされるようになりました。

オンラインRPGは、そこで上り詰める覚悟があるひとにとっては、すごく魅力的な世界なんだろうけれど、「現実がイヤでゲームをやっているのに、どうしてゲームのなかにも『現実』をつくってしまうのか?」と言いたくなるひとも少なくないはず。

僕は最近、『マトリックス』の機械に脳を吸われながら夢をみているような人生が、実は「最大公約数的な幸福」なのではないか?と考えてしまうのです。
ひとりひとりに「バーチャルな世界」が与えられ、そこで、自分が主役として冒険を繰り広げ、夢をみたまま年老いて死んで行く。

うん、そんなのイヤだ、と思う気持ちはわかるよ。
でも、そういう価値観って、本当にあなた自身のものなのだろうか。
そういうのは良くないっていう「ハリウッド映画の先入観」に踊らされているのかもしれないよ?
今の世の中で「ゲーム」と「現実」に、そんなに明瞭な境界があると思う?


話はちょっとズレるんだけど、僕は冒頭で紹介したエントリを読んで、この話を思い出しました。

篠田節子さんの『仮想儀礼』という小説のなかで、作者は、新興宗教の教祖・桐生という存在を借りて、読者にこんなことを語りかけます。

 ある年配の女性は、庭を潰して駐車場を作ってから、体調が優れず医者に行っても治らないと、相談に来た。霊能者に見てもらうと、借財の怨念がついている、と言われお祓いの対価として多額のお布施を要求された。しかしそんなことをしても、体はいっこうに良くならないと訴えた。

 相談に乗った正彦は、女性の体調について詳しく尋ねた。どこが痛い、苦しいという訴えを気が済むまで聞いてやった後、循環器系の専門病院に行くように指示し、なるべく毎日、ここに来て礼拝するようにと付け加えた。

 またこの近くに住んでいる中年の主婦は、自分は生まれてこの方、ずっと人に騙され続けている、世の中のすべてが自分を裏切っている、と訴えた。聞けば最近もパートタイマーとして働いていた小さな店で給料の不払いに遭い、高齢の母は病気が治らないのに強制的に退院させられて行き場がない。長兄は金持ちで大きな家に住んでいるのに、妻が恐くて母のことは見て見ぬふりをする。

 正彦が答えたのは、給料請求の具体的な手続きであり、母親の介護に関しては、相談に乗ってくれる自治体の窓口を具体的に教え、要領よく事態を伝えられない女に代わり、電話をかけてやった。

 教祖の仕事とはとうてい思えない。しかし普通の家庭生活を送っている多くの女性が、心の問題や神様について云々する以前に、社会のシステムや制度についての正確な知識を持っておらず、そのために問題が解決できず、相談相手もいない状況に置かれていることに正彦は驚かされていた。

少なくとも日本のいまの行政っていうのは、「自分で学ぼうとしない、あるいは、誰かに助けてくれるのを待っている人たち」を見て見ぬふりをすることによって、なんとか財政破綻を免れているのです(いやまあ、本当は破綻しきっているのかもしれないけれど)。

本当に見捨てられているひとたちは、自分たちが見捨てられていることにすら気づいていない。


勉強していても災害で命を落としてしまうこともある、難病にかかってしまうこともある。親の介護のために、キャリアを犠牲にしなければならないこともある。

人生なんて、分かれ道で右に進むといきなり崖から落ちて死んでしまう、大昔のアドベンチャーゲームみたいなものかもしれません。
でも、投げ出す勇気もないんだよね、いろいろつらいけどさ。

そして、それでもやっぱり、生きているからには、より良く生きたい、という願いと、より良く生きなければ、という責任感みたいなものもあるのです。
往生際が悪いな、とは自分でも思うのだけれども。


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仮想儀礼〈下〉 (新潮文庫)

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