琥珀色の戯言

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ステキな金縛り ☆☆☆☆


参考リンク:映画『ステキな金縛り』公式サイト

あらすじ: 失敗が続いて後がない弁護士のエミ(深津絵里)は、ある殺人事件を担当することになる。被告人は犯行が行われたときに自分は金縛りにあっていたので、完ぺきなアリバイがあると自らの身の潔白を主張。エミはそのアリバイを実証するため、被告人の上に一晩中のしかかっていた幽霊の落ち武者、六兵衛(西田敏行)を証人として法廷に召喚させるが……。

2011年27本目の劇場鑑賞作品。
祝日の夕方18時半からの回で、お客さんは80人くらいでした。


この映画、「幽霊が証人として裁判に出廷する」というくらいの予備知識で観に行ったのですが、かなり楽しめました。
僕は三谷幸喜さんの作品は、舞台も含めてかなりたくさん観ていますし、大ファンなのですが、今回も豪華キャストで、「出てくる役者さんたちを見て、こんな人も出ているのか!」とニヤニヤしてしまいました。
深田恭子さんに、あんな役をさせられるのも、役者さんのほうが出たがる三谷作品ならでは、なのかもしれません。

この『ステキな金縛り』、三谷さんの近作『ザ・有頂天ホテル』や『ザ・マジックアワー』のような「大作」ではありません。
むしろ、三谷さんが「舞台作家」として積み上げてきた経験を活かした、「ほとんど法廷の中で展開される密室劇」になっています。

そして、『有頂天ホテル』『マジックアワー』は、主役級の役者さんたちが多かったこともあり、明確な「主役」を設定しない「群像劇」としてつくられていたのですが、この『ステキな金縛り』は、ダメ弁護士役の深津絵里さんと落武者役の西田敏行さんが、はっきりとした「主役」になっています。
僕はこの映画の深津さん、けっこう好きだったんですよね。
僕が深津絵里さんのことをはじめて知ったのは、『最高の片思い』という、15年前くらい前のフジテレビの連続ドラマだったのですが(このドラマ、『王様のレストラン』の前クールに放映されていたんですよ)、そのときの深津さんは、「加藤くるみ」というまっすぐで不器用でドジな女の子を演じていました。
僕はその役の深津さんが大好きだったのだけれども、その後、深津さんは『踊る大捜査線』をきっかけに、「強い女性」を演じることが多くなっていったのです。
この『ステキな金縛り』で深津さんが演じているドジな弁護士・エミをみて、なんだかあの『最高の片思い』の頃の深津さんを思い出してしまいました。
コメディエンヌとしての深津さん、本当に魅力的でした。
そして、西田敏行さんも、ものすごくこの役、この映画を楽しんでいるのが伝わってきます。
法廷での敵役の中井貴一さんが、この2人をしっかり受け止めて、映画を引き締めているのにも好感が持てました。

ただ、個人的には「法廷劇」として、もうちょっとシビアなところがあっても良いんじゃないかな、とも感じたんですよ。
せっかく「裁判」を舞台にするのであれば。
そもそも「裁判員裁判」であることに意味があったのだろうか。

いわゆる「法廷サスペンス」として考えれば、あまりにズサンな警察の捜査と、超常現象をあっさり受け入れてしまう裁判長や検事やメディア、そして、突然「真相」がひらめいてしまうという御都合主義。
映画『インシテミル』じゃないんだからさ……と、がっかりしてしまいました。
それで決着がつくのであれば、あの落武者は必要だったのか?とか。


いや、わかっちゃいるんですよ僕だって。
別にこの映画はミステリやサスペンスじゃない。
真面目な法廷に幽霊が出てくるという荒唐無稽な状況での深津さんと西田さんを笑いながら観るべきものだし、そういう映画こそ、三谷さんの真骨頂。
期待値ばかりが上がっていって、「大作」をつくることを要求されてしまうなかで、こうして、「裁判所という密室」で観客を楽しませることに原点回帰した三谷さんは、すごく楽しみながら、この映画をつくっていたのではないかと思います。
コメディなんですけど、イヤミにならないギリギリの「人情劇」としての味付けもしてあって(人によっては、ちょっと「鼻につく」かもしれません)、「ああ、自分も誰かに見守られているのかな」と、少し、温かい気持ちにもなれますし。
それでいて、人と人は、いざというときにはすれ違ってしまう、というせつなさも描かれている作品です。
(でも、僕はその「せつなさ」がけっこう好きでした)


ただ、今回ちょっと気になったのは、三谷さんの「映画愛」が、ちょっと溢れすぎているというか、これだけ万人を狙った映画としては、「大部分の人にはわからない映画ウンチク」が頻出してくることでした。
三谷さんはフランク・キャプラ監督が大好きなんだな、ということはわかりましたが、そのこだわりは、さりげなく小道具とかで示す程度でよかったのではないかなあ。
観客を置き去りにして、小日向文世さんにあそこまでやらせる必要があったのでしょうか。
ザ・マジックアワー』にも同じような疑問があったのですが、あれはもとから「映画を作る人たちを描いた映画」ですから、そこまで気にならなかったのですけど……


とりあえず、「誰と観に行っても、それなりに楽しめる良質の娯楽映画」であることは間違いありません。
そして、「そういう家族みんなで観ることができる映画」って、いまの日本映画には、希有な存在なんですよね。

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