- 作者: 鈴木敏夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/08/11
- メディア: 単行本
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内容(「BOOK」データベースより)
世界中で愛されているアニメーション映画を、どのように作ってきたのか。そこには人との出会いがあり、大好きな映画を観てきた日々があり、プロデューサーとしての「戦略」がある。さらに、異分野・異世代の人たちと頻繁に語りあい、堀田善衛、加藤周一など時代をつくった人たちからも、直接に多くのことを学んできた。そして宮崎駿監督、高畑勲監督との日常の何気ない会話から生まれてきたことも…。ものづくりの愉しさと、著者の熱い思いが伝わってくる、ドキュメントエッセイ。
この本、スタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫さんが、さまざまなメディアに発表した文章の「寄せ集め」なのですが、それだけに、そのときそのときの「本音」みたいなものが語られているような気がします。
以前御紹介した『仕事道楽』が、プロデューサー・鈴木敏夫とジブリの歩みについての内向きの総括とするならば、こちらは、人間・鈴木敏夫と交流してきた「外の世界」について語ったもののまとめ、という感じでした。
『もののけ姫』というタイトルを『アシタカせつ(草かんむりの下に耳がふたつ横並び)記』に変更したいと、宮さんがぼくにいってきたのは、たしか95年の冬に入ったころだった。
「せつ記」とは、宮さんの造語で、耳から耳へ伝えられた物語の意。
こういうときの宮さんは強引だ。自分の着想に自信があるので、説得(?)のために、あることないことをまくしたてる。アシタカが主人公なんだからタイトルに名前が入ったほうがよい、スタッフそれも女性陣の多くが賛成している、など。
意見を求められ、はたと困った。ぼくは直感で『もののけ姫』のほうが、絶対いいと思ったからだ。
理由はただひとつ。理屈はともかく『もののけ姫』というタイトルが、それだけでインパクトのある<名コピー>になっていると確信していたからだ。
話し合いは表面上、おだやかに決裂、次回に持ち越すことになった。
その年末、日本テレビで『となりのトトロ』を放映することになり、そこへ『もののけ姫』の第一弾の特報を流すことになった。
宮さんという人は、特報とか予告編にはまったく興味を示さない。すべてをぼくにまかせてくれる。
さて、タイトルをどうするか。ぼくに迷いのあるはずはなかった。堂々と『もののけ姫』を世間に公表した。だれにも相談せずに。
宮さんがそのことを知ったのは年明けだった。勢い込んで、こういってきた。
「鈴木さん、『もののけ姫』のタイトルを出しちゃったんですか?」
この本を読んでいて、僕は「人と人との縁」みたいなものについて、考えずにはいられませんでした。
宮崎駿、高畑勲という両巨匠は、クリエイターとして本当に素晴らしいのだけれども、その一方で、世間の感覚を超えてしまっている面もありそうです。
以前御紹介した『風の谷のナウシカ』のエンディングの話でも、「作家性」にこだわってしまう宮崎駿さんを、「観客の視点から」修正する鈴木敏夫さんがいました。
鈴木さん自身だって、この本に掲載されている絵をみると、けっして「クリエイターとして生きることを捨てた人」ではないと思うんですよ。
でも、自分の「適性」に対して、冷徹な判断を下して、「ジブリのプロデューサー」として、生きてゆく道を選んだのです。
鈴木さんがクリエイターとして作品をつくったとしても、おそらく、『もののけ姫』や『千と千尋』を生むことはできなかったでしょう。
しかしながら、宮崎駿という若干浮世離れしたクリエイターも、鈴木敏夫というプロデューサーがいなければ、これほどの輝きを放つことはできなかったはずです。
この2人、ものの考え方などは、けっして「似た者どうし」ではありません。
でも、「お互いに違う特性を持っている人間」だからこそ、生まれる結びつきもあるんですよね。
30年以上のつきあいだけれど、「いまでも毎日1時間は話をする」なんて、一般的な夫婦よりも、濃密な関係なのかも。
「自分とは違う人間の、違いに接するのを楽しむ」というのは、本当に難しい。
年を重ねて、「成功」しても、それを続けていけるというのは、すごいことだと思います。
僕がこの本のなかで、いちばん印象的だったのは、鈴木さんが、日本テレビの氏家齊一郎社長について書かれた文章でした。
日本テレビの社長といえば、アンチ巨人の僕にとっては、「憎むべき存在」なのですが、鈴木さんが描いてみせた、「自分が凡人であることから逃げずに、凡人としてできることを徹底的に貫いた人」の生き様には、なんだかとても勇気づけられたのです。
そして、そんな氏家さんが、奔放なジブリのスタッフたちに惹かれ、生涯で数少ない「冒険」を楽しんでいたということにも。
最初に会ったのは15年以上前、氏家さんが日本テレビの社長になったばかりのころだった。当時、ジブリを抱えていた徳間書店の徳間康快社長に連れられて、会食をした。
その席でぼくはいきなり怒られた。日テレがバチカン市国にあるシスティーナ礼拝堂の壁画修復工事にお金を出していたのを知っていたので、そのことを褒めたら、「冗談じゃない! あんなことやる必要ない!」と怒鳴りだした。のちにその成果を認めることになるが、当時は経営者として駆け出しだったせいか、会社として文化的なことにお金を投じることに否定的だった。
その後、三鷹の森ジブリ美術館を作るときに資金が足りず、鈴木さんは「なぜか氏家さんに頼むことを思いついた」そうです。
美術館の設立発表記者会見で、徳間社長、宮さんとともに登壇した氏家さんはこんなことを言った。
「これを作るのに50億円かかる。そのうち20億円は日テレが出す。この金はジブリにくれてやる」。そうやって無事、設立が決まったが、徳間社長が開館を待たずして亡くなってしまった。氏家さんに弔辞を読んでもらおうとお願いしたが、こころよく引き受けてくれたので、後日、お礼に行った。すると「徳さんは、すごいプロデューサーだった。立派な仕事をつぎからつぎへとやってのけた。『もののけ姫』だってそうだ。あんな大金をかけて一本の映画を作るなんて、小心者のおれにはとてもできない」と言い出し、ため息をついた。
「おれの人生、振り返ると何もやってない」
ぼくが驚いていたら、今度は「70年以上生きてきて、何もやってこなかった男の寂しさがわかるか」とひとちごちた。フォローしようと思ったが、うまい返答が見つからない。なんとかことばを探して、「マスメディアのなかで大きな役割を果たしているじゃないですか。日テレだって経営を立て直したのは氏家さんでしょう」と言ったら、「馬鹿野郎!」と怒鳴られてしまった。
「読売グループのあらゆるものはすべて正力(松太郎)さんがはじめたもので、それを後輩たちが守ってきた。おれだって、そのひとつをまかされているに過ぎないんだ」。真剣な表情だった。
そして、こうつづけた。
「死ぬ前に何かやりたい……」
氏家さんと腹を割って話すようになったのは。このときからだった。ぼくの携帯電話にも電話がかかってくるようになった。『千と千尋の神隠し』がヒットしたときは、「お祝い会を開こう。おれと鈴ちゃんのふたりで、メンバーを考えよう。誰にも言うなよ」と言われた。すごく楽しそうな声で、本当はこういう人なんだとわかった。その日から、ぼくは<鈴ちゃん>になった。
日本テレビの社長にまで上り詰めた人のこの述懐には、僕もなんだかしんみりしてしまいました。
そこまでいっても、まだ「振り返ると何もやっていない」のか……と。
「常識的な感覚で、経営を立て直した」ことだけでも、大きな仕事のはずなのに、本人にはずっとくすぶっていたものがあったのです。
中日の落合監督が2006年にリーグ制覇をはたした際に、鈴木さんは、落合監督に尋ねたことがあるそうです。
「なぜ、愛想が悪いのか?」と。
表情が一瞬、こわばった。落合監督は、ぼくの目をじっと見つめると、ゆっくりと丁寧に答えを言ってくれた。「オレのひとことで、選手は調子を崩す」。それだけ聞けば十分だった。
それにしても、こういうふうに「人の心を開かせてしまう才能」が、鈴木敏夫さんにはあるんでしょうね。
いろんなエピソードからすると、「気配りの人」というより、すごく「マイペースな人」みたいなのに。
鈴木さんと宮崎さんと高畑さんという「ジブリの中核」、そして、氏家さんのような、「外からジブリを支えてくれた人」。
さまざまな人たちが「適材適所」ではたらくことによって、ジブリの作品は、生み出されてきました。
僕がジブリのエピソードのなかで、もうひとつ記憶に残っているものがあります。
鈴木さんの著書『仕事道楽』(岩波新書)より。
もっというと、まわりをホッとさせる人も必要なんです。ここに好例がある。
『ポニョ』で主題歌を歌ってもらった博報堂メディアパートナーズの藤巻直哉さんです。学生時代に「まりちゃんズ」というバンドを組んで歌っていて、2年ぐらい大学を休学、博報堂に入っていつのまにか偉くなっちゃった人です。最近、学生時代のバンド仲間、藤岡孝章さんと「藤岡藤巻」というグループを作り、歌いだした。ぼくは山田太一のドラマが好きなんですけど、それは必ずどうしようもない人物が出てくるからです。それは不思議な存在感のある人でもある。藤巻さんはまさにそういう人。
ピシピシ働くということとまったく無縁の人です。『猫の恩返し』では博報堂のジブリ担当者だったけれど、見事に何もやらない。タイアップする企業が全然決まらないんです。会社にはいつも「ジブリ直行」と言っているらしく、彼宛ての電話が毎日ジブリに来るんですが、1回も来ていないんですから。こっちとしては『猫の恩返し』をヒットさせなければならないと思っているので、呼び出しました。「すいません。がんばってるんですけど」「いや、何もやってないでしょう」。電通のほうは担当が福山亮一という人で、この福山君ががんばっていいところを探してきてくれるのに、彼はゼロ。それならばというので、「出資は博報堂のままで、タイアップのほうは電通にするがいいか?」と聞いた。これは普通は恥ですよ。同じ広告代理店で競争相手であり、しかも福山君のほうが若い。藤巻「福ちゃん、お願いね」(笑)。しかもさらにすごいのは会社に戻ってからです。局長に報告すれば、当然、怒られる。「お前がだらしないからこんなことになった!」。局長が怒っているさなかに彼はそっと言うんですね、「専務にはどう伝えます?」。今度は局長が叱られる立場になりますから、ふっとわれにかえる。局長「……どうしよう」、藤巻「ぼくも行きましょうか?」(笑)。そういう人なんです。
ぼくも宮さんもこういう人が好きなんですね。おもしろかったのは、ある日、アシスタントの白木伸子さんが「鈴木さんにお話したいことがある」と言ってきたこと。「失礼だと思うけど」と言いつつ、「どうして藤巻さんとおつきあいになるんですか? 決して鈴木さんのためになる方だと思いません」。そうしたらそれが宮さんの耳に入った。宮さんはすぐに白木さんを呼んで、なぜ藤巻さんが大事かということを説明する。
このあいだも、藤巻さんが来たら、宮さんは忙しいのに2時間もしゃべっていました。「藤巻さん、あなたは無知ですね。世界がどうなってるかに関心ないでしょ」。宮さんは藤巻さんと話すことで、どこかホッとしているんでしょうね。
この本を読んでいると「ジブリの屋台骨を支える人の他者とのコミュニケーション」について、少し理解できたような気がしました。
こんな「自分の嫌いなものは排除しやすい世の中」だからこそ、「自分と合わない人を受け入れる」とか、「人間関係を『目先の役に立つこと』優先でつくらない」というのは、大きなアドバンテージになるのかもしれません。
あと、これを読んで痛感したのは、「やっぱり、スタジオジブリは、宮崎駿と高畑勲と鈴木敏夫のものなんだな」ということでした。
どんなに優秀なスタッフを育てても、彼らがいなくなったら、それは、「ジブリの作品」ではなくなってしまうのでしょうね。