琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

「落語とは人間の業の肯定である」


訃報:落語家の立川談志さん死去、75歳(毎日jp)

 カリスマ的人気を誇った落語家で元参院議員の立川談志(たてかわ・だんし<本名・松岡克由=まつおか・かつよし>)さんが21日午後2時24分、喉頭がんのため東京都内の病院で死去した。75歳。葬儀は23日、密葬で行われた。後日お別れの会を開く予定。喪主は妻則子(のりこ)さん。
 東京都出身。1952年、16歳で五代目柳家小さんに入門、小よしを名乗った。63年、五代目談志を襲名し真打ちに昇進した。
 「伝統を現代に」を掲げ、江戸情緒を大切にしながらも現代的な感性で古典落語を捉え直し、新たな息吹を与え、戦後落語界の風雲児となった。欠点だらけの人間の生きざまを描くのが本質として「落語とは人間の業(ごう)の肯定」と唱え、卓越した心理描写で語る「芝浜」や「紺屋高尾」などの人情ばなしを得意ネタとした。

昨日、立川談志師匠の訃報を聞きました。
僕は直接談志さんの高座をナマで見たことはないのですが、談志さんというのは本当に「人生そのものが落語のような人だった」と思います。
ここで、印象的な談志さんのエピソードをいくつか御紹介しつつ、ご冥福をお祈りします。


まずは、談志さんの弟子、立川談春さんが書かれた『赤めだか』より。
(『赤めだか』感想(琥珀色の戯言)

(談志師匠に「道灌」「狸」という落語のネタの稽古をつけてもらった際に「型ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりとした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる」(だから、まずは稽古をして型をつくることが大事なんだ)、と指導だれたことを振り返って)
 現在の自分がこのエピソードを振り返って感じる立川談志の凄さは、次の一点に尽きる。
 相手の進歩に合わせながら教える。
 掛け算しかできない者に高等数学を教えても意味がないということに、僕は頭ではわかっていても身体が反応しない。教える側がいずれは通る道なのだから今のうちからと伝えることは、教えられる方には決して親切なこととは云いきれない、ということを僕は弟子を持ってみて感じた。混乱するだけなのだ。学ぶ楽しさ、師に褒められる喜びを知ることが第一歩で、気長に待つ、自主性を重んじるなど、お題目はいくらでもつくが、それを実行できる人を名コーチと云うのだろう。
 しかし、こっちは教えることが商売じゃない、とも云える。一生かけて、芸人を志す覚悟を本気で持っているなら、それくらいの師のわがままをクリアしてこいと叫ぶ自分もいる。
「先へ、次へと何かをつかもうとする人生を歩まない奴もいる。俺はそれを否定しない。芸人としての姿勢を考えれば正しいとは思わんがな。つつがなく生きる、ということに一生を費やすことを間違いだと誰が云えるんだ」
「やるなと云っても、やる奴はやる。やれと云ったところでやらん奴はやらん」
 弟子を集めて談志はよくこう語る。そして最後につけ加える。
「まア、ゆっくり生きろ」
 そう云われることに恐怖を感じ、そんなまとめ方で話を終えられる談志に疑問を持った。やらなきゃクビだ、と脅してでも前に進ませるべきではないのか。本当は弟子は皆、上手くなってほしい、売れてほしいと思っているはずで、それが証拠に行動しない弟子達を、
「落語家になった、談志の弟子になれたということで満足している奴等ばかりだ。俺はライセンス屋じゃねェ」
 と云っているのだから。

 立川流においては創設当時から二ツ目になる基準が明確にある。
 古典落語の持ち根多を五十席、前座の必修科目である寄席で使う鳴り物を一通り打てること、歌舞音曲を理解していること、講談の修羅場を読めるための基本的な技術を積み理解すること、であった。それらの全てを談志が聴いて判断する、というものである。
 立川談志というカリスマを納得させれば二ツ目になれる、そのクリアしなければいけない科目は明確に示してある。

「破天荒」な人生を送って来たようにみえる談志さんですが、落語という「芸」に関しては、徹底的な合理主義を貫いていたのです。
 まあ、それこそが談志流の「常識への挑戦」だったのかもしれませんが。


続いては、談志さんが自らの半生を語った『人生、成り行き』では、「芸」と「芸人」についての、こんな話をされています。
(『人生、成り行き』感想(琥珀色の戯言))


また、参議院議員時代に自民党を離党し、政務次官を辞任したあとのこと。

 浅草演芸ホールに行くと、おれがそばにいるのに、呼び込みの野郎、見事なもんだよ、「さあさあ、いらっしゃい、いらしゃい、政務次官をしくじったやつがこれから出ますよー」って平気でやってるんだ。でも、それで正解なんだね。この時、芸に対してーーこの言葉をここで使ってもいいと思いますが――<開眼>したナ。
 もうおれが高座に出るだけで客の反応が凄いんだ、ウワーッって二階の天井が抜けるみたいでした。「やっと最下位で当選して政務次官になったと思ったら、やられたーっ」ドカーンってね。沖縄開発庁長官で、おれが問題になったとたんに手のひら返すみたいなことをした植木(光教)って議員がいましたがネ、選挙区が京都だったかな、「あの莫迦、ただおかねェ。今度はあいつの選挙区で共産党から出て落っことしてやる」ウエーッ。「おれはな、イデオロギーより恨みを優先させる人間だからな!」大拍手大喝采ですヨ。
 ここで、<芸>はうまい/まずい、面白い/面白くない、などではなくて、その演者の人間性、パーソナリティ、存在をいかに出すかなんだと気がついた。少なくとも、それが現代における芸、だと思ったんです。いや、現代と言わずとも、パーソナリティに作品は負けるんです。それが証拠の(明治の四天王の一人で、ステテコの三遊亭)円遊であり、(大正から昭和初期にかけての柳家金語楼でありという<爆笑王>の系譜ではなかったか。その一方、彼らのパーソナリティに負けちゃうんで、<落語研究会>といった作品を守る牙城ができたんじゃないのか。もう少し考えを進めると、演者の人間性を、非常識な、不明確な、ワケのわからない部分まで含めて、丸ごとさらけ出すことこそが現代の芸かもしれませんナ。
 ただ、あたしには<うまい芸>への郷愁はあります。「うまくないとイヤだ」という部分が残っていて、そこにギャップはあります。志の輔なんかも、このギャップにはどこかで気づいてるんじゃないかな。

「人生そのものを落語にしてしまった」のと同時に、「芸」そのものにも秀でていた談志さんは、自らが、この人間性を含む「現代の芸」の体現者でありながら、時代が求めていたものと、自分が求めてきた「うまい芸」とのギャップを感じ続けていたのかもしれません。


その他にも、談志さんの印象的なエピソードをいくつか。


『のはなし』(伊集院光著・宝島社)より。

(「『好きな理由』の話」というエッセイの一部です)

 2年ほど前になるか、自分の担当しているラジオの深夜放送に立川談志家元をお呼びした時のこと。もともと古典落語の道をドロップアウトして今の世界に逃げ込んできた僕としては、談志家元は特別な存在で、何より6年間の修行時代にピリオドを打った理由の一つが「名人立川談志」の落語だった。
 仕事疲れか、それが素の状態なのか、不機嫌そうにスタジオ入りした家元。僕は「機嫌を損ねて帰ってしまわないうちに…」とばかりその話をした。
「僕は落語家になって6年目のある日、若き日の談志師匠のやった『ひなつば(古典落語の演目の一つ。短く軽い話で特に若手の落語家がやる話)』のテープを聞いてショックを受けたんです。『芝浜』や『死神(ともに真打がおおとりで披露するクラスの演目)』ならいざ知らず、その時自分がやっている落語と、同じ年代の頃に談志師匠がやった落語のクオリティの差に、もうどうしようもないほどの衝撃を受けたんです。決して埋まらないであろう差がわかったんです。そしてしばらくして落語を辞めました」
 黙って聞いていた家元が一言。
「うまい理屈が見つかったじゃねえか」
 僕はうまいことをいうつもりなんかなかった。ヨイショをするつもりもない。にもかかわらず「気難しいゲストを持ち上げてご機嫌を取るための作り話」だと思われている。あわてて「本当です!」といい返したが「そんなことは百も承知」といった風に家元の口から出た言葉が凄かった。
「本当だろうよ。本当だろうけど、本当の本当は違うね。まず最初にその時のお前さんは落語が辞めたかったんだよ。『あきちゃった』のか『自分に実力がないことに本能的に気づいちゃった』か、簡単な理由でね。もっといや『なんだかわからないけどただ辞めちゃった』んダネ。けど人間なんてものは、今までやってきたことをただ理由なく辞めるなんざ、格好悪くて出来ないものなんだ。そしたらそこに渡りに船で俺の噺(はなし)があった。『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるんなら、自分にも余所にも理屈が通る。ってなわけだ。本当の本当のところは『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな」
 図星だった。もちろん『ショックを受けて辞めた』ことは本当だし、嘘をついたり言い訳をしたつもりなどなかったが、自分でも今の今まで気がつかなかった本当の本当はそんなところかもしれないと思った。10年もの間、いの一番に自分がだまされていたものだから、完全には飲み込めていないけど。
 いろんな物や人が好きな理由にしたってそうだ。「家庭的だから」「目が綺麗だから」「平井堅に似てるから」「さっぱりしてるから」「デザインに丸みがあって、堅い材質の中にも温かみがあるから」。そんなもの理屈だ。本当の本当は「好きだから」以外の何ものでもない。


『コメント力』(齋藤孝著・ちくま文庫)より。

(「『コメント力』トレーニング集」という章の例題のひとつ)

 毒舌で知られる落語家の立川談志が、弟子と一緒にある定食屋に入った。そこはひじょうに高い割にはまずくて、談志は不機嫌になってしまった。しかしその店の亭主は気が利かず、談志に色紙を書いてほしいと頼みに来た。談志は何と書いたのだろうか。

「○○して食え」



答え:「『我慢』して食え」

 色紙というのは次のお客に伝える言葉だ。だから頼まれれば、店をほめる場合が多い。嘘でも「おいしかったです。○○さん」とか「ぜひ食べてみて」とか書くだろう。だが談志の「我慢して食え」はすごい。
 私ならたとえ批判しなければならないときでも、せいぜい「自分で味付けして食え」と入れるぐらいがせいいっぱいだろう。
 だが「我慢して食え」は「まずい」とか「こんなまずいものは食べたことがない」と書くよりはいい。それだと厭味になってしまい、笑えない。
「我慢して食え」は談志自身が俺だって我慢して食べたんだから、おまえも我慢して食べろよという意味がこめられていて、愛嬌がある。
 しかも、他の客に対して「食え」と命令しているところが面白い。色紙ではあまり見たことがないコメントだ。ふつうは命令されたら嫌だが、談志なら許されてしまう。そういう芸の域に達しているということだ。

 談志さんは、物事の「本質」を求め続けてきた人だと思います。
 そして、厳しい言葉を口にしながら、自分自身への「照れ」や他者への「優しさ」を隠しきることができなかった人でもありました。
 
 立川談春さんが中学時代に学校行事で同級生たちと寄席に行った際、談志師匠はこんなことを云っていたそうです。

 落語はね、この(赤穂藩の四十七士以外の)逃げちゃった奴等が主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもついつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない、八月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。客席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でもな努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。『落語とは人間の業の肯定である』。よく覚えときな。教師なんてほとんど馬鹿なんだから、こんなことは教えねェだろうう。嫌なことがあったら、たまには落語を聴きに来いや。あんまり聴きすぎると無気力な大人になっちまうからそれも気をつけな。

 まさにこの「頭ではわかっていても、『正しいこと』ができない人間の業」を体現しているのが、立川談志だったのではないかな、と。
 ものすごく頭がいい人で、どうすればいいかは自分でよくわかっていても、いざその場に立ってみると、その通りに、お行儀良くできないもどかしさ。
 そして、そういう姿こそが、談志師匠の「矛盾」に呆れながらも、人の心を惹きつけてきた魅力だったのです。

 最高の「落語家の人生」を見せていただき、ありがとうございました。

 「だんしがしんだ」という回文をネットでよく見かけたのですが、談志師匠のことですから、そんな不謹慎なネタも、「ようやくこの芸名の真意がわかったか!」なんて、あの世で毒づきながら笑っておられるような気がしてなりません。