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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

「ナンバーワン教育」と「オンリーワン教育」の終わりなき葛藤

社会

参考リンク(1):苦手な人たち増量中 - 北沢かえるの働けば自由になる日記


ああ、嫌な人だなこの<参考リンク(1)>に出てくる「Bランク」の女性は……と思いながら読みました。
この人は自分が努力していて、キャリアを積み上げていることを誇りたいのだろうけど、「高卒の同僚」を叩く必要はありませんよね。
でも、その一方で、「狭い会社という世界のなかで、『自分よりレベルが低い人間』をつくって、優越感に浸ることに生きがいを感じ、それを「その会社とは関係のない友人」の前で話してしまうというこの人の無防備さに、僕はなんだかせつなくなってしまいました。
なんか悲しい人だな、って。


努力、キャリアアップ、生活レベルの上昇!
その結果、得られたものが、高卒の同僚に対する優越感と、「生活レベルを落としたくない」という強迫観念なんて。


でもなあ、結局のところ、ある種の人たちの「生きがい」みたいなのが、こういうところに落ち着いてしまうのも、わからなくはないのです。
今の世の中って、自分でも、他人からも、「幸福だ」って思えないし、思われないじゃないですか。
そこで、「幸福」とか「自分の順位」みたいなものを数字で確認してみたくなる。
宗教すら、テストで「ランク」が上がっていく教団が、多くの信者を集めているくらいだし。


id:kaerudayoさんの娘さんが、こういう女性に嫌悪感を抱く、まっとうな感性を持っていらっしゃることに僕は安心したのです。
ネットの中でも、赤の他人の「努力不足」をあげつらい、「自己責任!」と声高に叫ぶ人の多さに辟易しているので。
実際、みんながそんなに他人を押しのけていくような世界は、生きづらいと思うしね。


この女性だって、「努力しない人たち」がいるからこそ、「Bクラス」とやらになっているわけで、みんなが目の色を変えて努力するようになれば、あっという間に「転落」してしまうかもしれません。


ただ、その一方で、僕自身のなかにも、この女性を全否定はできないものがあるのです。
僕も「勉強で飯を食ってきた側」の人間だし、「ガリ勉」がみんな性格が悪いっていうのはウソだと思っています。
むしろ、ちゃんと勉強をしている人のほうが、少なくとも表向きは「他者に対して公正であろうとしている人」は多いような気がします(いやまあ、学問の世界には、学問の世界的な「嫉妬」というのもあるのですけど)。
僕にとっては、体育会系の「とにかく先輩だから絶対服従」みたいな世界のほうが、はるかに怖いし、納得いかなかった。


僕の場合は、運動オンチだし、容姿にも恵まれていないし、性格はウジウジしているしで、「それでも生きていくための手段」として、勉強を選ぶしかありませんでした。
いま、学校がどうなっているかはわからないのだけれども、学校内では「スポーツができる」「カッコ良くてモテる」やつらよりも、「勉強ができる」ほうが、生きやすくなっているのだろうか。


「高卒だっていいよね」「勉強だけが人生じゃないよね」
それは、たしかにそうなんだと思う。
「勉強ができないこと」を理由に、他者をバカにするような人間にはなりたくないし、なってほしくない。
でも、だからといって、「勉強なんてしなくていいよね」「努力なんてしなくても、キミは特別なオンリーワンだよね」と、親はすべてを肯定するべきなのだろうか?


参考リンク(2):学力向上ってなんだろね? - 北沢かえるの働けば自由になる日記

僕は、これを読みながら、小田嶋隆さんが、『地雷を踏む勇気』というコラム集のなかで紹介されていた『タイガー・マザー』という本を思い出していました。

『タイガー・マザー』は、エイミー・チュアという中国系の女性(イェール大学法科大学院の教授)が、ユダヤ系の夫(この人も同じ大学院の教授。推理作家でもある)との間に生まれた2人の娘を育てる過程を記した手記だ。アメリカで発表されるや、巨大な論争を巻き起こしたので、あるいはご記憶の向きもあるかもしれない。
 論点の焦点は「競争」にある。ズバリ、「人としてオンリーワンであることと、人生においてナンバーワンであることの間に生じる葛藤」が俎上にのせられたのである。
 チュア女史は、2人の娘たちに、最大限の努力と、絶対の勝利を要求する。そういうタイプの母親だ。成績はオールA以外認めない。ピアノでもバイオリンでも凡庸な演奏は許さない。それらを達成するために、サマーキャンプへの参加は禁止し、友だちとの遊びも制限する。チュアの考えでは、人生は競争であり、子供は常に勝利の道を歩むべき存在なのだ。
 子供は必ずしも自分の適性に合った道を選ぶものではない。単に楽な道を選ぶ。でなければ愚かな選択をする。泳ごうとする鳥のように。だから、親は子供に進むべき道を与え、時にはそれを強制し、訓練を強要しなければならない。そうやって身につけたスキルは、後々本人の財産になる――と、チュアは考える。彼女は、本書の中で、自らが実践しているこの峻烈な子育てのメソッドを「中国系の母親の育て方」であると、繰り返し主張している。対して、子供の個性と自主性を尊重し、成績や人生の選択にあまり介入しないアメリカにおける一般的な子育てへの取り組みを「欧米流の母親の育て方」と規定して、それを執拗に批判している。
 無論、すべての中国人が同じ育て方としているわけではない。欧米人の側にも、「中国系の母親」(比喩的な意味で)がいる。チュア自身もそう言っている。要は、典型的な傾向として、東洋の母親は、子供たちの将来に対して、西洋の母親と比べて、より支配的で、より強い圧力をもって臨んでいるということだ。
 で、アメリカでは、ここのところが、大きな論争のポイントになった。


「愛情があるのなら、子供の将来のために、厳しい強制を課すべきだ」
「子供は親のロボットではない」
児童虐待じゃないか」
「勇気のある子育てだ」
「子供を自分の生きがいの実現のために利用するのは筋違いだ」


 私は、この原稿の中で、いずれの育て方が正しいのかについて、結論を出すつもりはない。
 ただ、本を読んでみて感じたのは、『タイガー・マザー』が中国式の子育てを通じて提起した問題が、わが国では、久しく忘れられているということだ。
 われわれの国の教育界は、競争と個性のいずれが尊重されるべきであるのかという問題について、結論を持っていないのみならず、この種の論争が起こること自体を避けようとしているように見える。
 本書の翻訳者である齋藤孝さんは、あとがきの中で、「中国式と欧米式の中庸」の中に、日本人の選ぶべき道があるという意味のことを述べている。
 論旨としては私もおおむね賛成だが。が、一方において、このふたつのやり方の間に「中庸」などというなまるぬい選択が存在し得るのかどうか、ちょっと疑わしく思ってもいる。
 おそらく、根性のない日本人は、個性からも競争からも逃避しようとするはずだ。

(中略)

 戦後のある時期までは、うちの国にも、「教育ママ」と呼ばれる人たちがいた。私の親の世代(小田嶋さんは1956年生まれ)には、けっこうそれらしい人たちがいて、その彼女たちの甲高い声は、そうでもない親の下で育った私のような子供にも、一定の影響を与えていた。
 いまでも似たタイプの母親がいないわけではない。が、圧力は弱まっている。子供に勉強を強要するにしても、理論武装(あるいは弁解)が必要になっている。そこが弱い。
「理屈を言うな。子供なんだから勉強しろ」
 と、頭ごなしに言えなくなっているということはつまり、頭ごなしでなくなった時点で、強制は、それが当然備えているべき圧力を喪失している。理由をつけた強制は、説得に過ぎない。説得は、子供の側からの理屈で、簡単に論破されてしまう。
「ボクのためだって言うけどさ。ほかならぬボクがイヤがっているものが、どうしてボクのためになるの?」
 うん、パパの負けだ。キミの好きなようにしたらよい。


 最近、3歳になる僕の息子と接していて、悩むことが多々あります。
 息子はとにかく行儀が悪くて、ご飯を食べるときに、毎回、遊んだり、変なふうに座ったり、「ごはん食べん!」とゴネたりします。
 あまりに言うことを聞かないので、妻は、「ちゃんとしなさいっ!」と声を荒げてしまい、息子は泣き出します。


 僕も「しつけを子供の頃にちゃんとしておかないと、大きくなって苦労する」という妻の見解には賛成しており、子供の前ではブレないように心がけてはいるのですが、二人になったときに、「でも、こんな感じで、ご飯を食べることそのものが嫌いになったら、この子は不幸になるんじゃないか?」と話し合うこともあるのです。
 「3歳というのはそういう年頃だし、大きくなったら、自然と落ち着いてくるものだ」と周囲の人は言ってくれるけれど、だからといって、いま好き勝手にさせておくのも、あまりに厳しくするのも、将来に響くような気がします。
 「バランスよく」といっても、そのバランスってやつが、よくわからない。


 僕はこの『タイガー・マザー』の子育ては「やりすぎ」だと思っていますし、齋藤孝さんの「中国式と欧米式の中庸」が日本人にとってはちょうど良いのではないか、という見解に「そうだよなあ」と頷きます。

 でも、小田嶋さんの「このふたつのやり方の間に『中庸』などというなまるぬい選択が存在し得るのかどうか、ちょっと疑わしく思ってもいる」という言葉は、すごく突き刺さってくるのです。
 「中庸」のつもりで、「何もしない」だけになってしまうのではないか?


 ランディ・パウシュ教授の『最後の授業 ぼくの命があるうちに』という本のなかで、末期がんに侵された著者は、こう言っています。

 僕は子供のころの夢についてくり返し語ってきたから、最近は、僕が子供たちにかける夢について訊かれることがある。

 その質問には明確な答えがある。

 親が子供に具体的な夢をもつことは、かなり破壊的な結果をもたらしかねない。僕は大学教授として、自分にまるでふさわしくない専攻を選んだ不幸な新入生をたくさん見てきた。彼らは親の決めた電車に乗らされたのだが、そのままではたいてい衝突事故を招く。

 僕が思う親の仕事とは、子供が人生を楽しめるように励まし、子供が自分の夢を追いかけるように駆り立てることだ。親にできる最善のことは、子供が自分なりに夢を実現する方法を見つけるために、助けてやることだ。

 だから、僕が子供たちに託す夢は簡潔だ。自分の夢を実現する道を見つけてほしい。僕はいなくなるから、きちんと伝えておきたい。僕がきみたちにどんなふうになってほしかったかと、考える必要はないんだよ。きみたちがなりたい人間に、僕はなってほしいのだから。

 たくさんの学生を教えてきてわかったのだが、多くの親が自分の言葉の重みに気がついていない。子供の年齢や自我によっては、母親や父親の何気ない一言が、まるでブルドーザーに突き飛ばされたかのような衝撃を与えるときもある。


(中略)


 僕はただ、子供たちに、情熱をもって自分の道を見つけてほしい。そしてどんな道を選んだとしても、僕がそばにいるかのように感じてほしい。

この『最後の授業』は素晴らしい本です。
僕も自分の息子に「きみがなりたい人間に、僕はなってほしい」と願っています。


しかしながら、人間の子供というのは、おそらく「自分がやりたいようにやっていたら、なりたい人間には、たぶんなれない」のです。
勉強にしてもスポーツにしても芸術にしても趣味にしても、人生を豊かにしてくれるものは、大概、なんらかの形で最初は無理にでもやって、コツをつかまないと、面白いと思えるようにはなりません。
「子供がつまらないからやりたくないと言っている」からといって、「やらせなくていい」というのは、「子供の自主性に任せている」ということなのか?
親としての「責任回避」ではないのか?


もちろん、「何もしないで放置する」ということは現実的にはありえませんし、保育園や幼稚園、小学校に通っているだけでも、得るものはたくさんあるでしょう。
どんな絵本を読んであげるか、とか、どんな玩具で一緒に遊ぶか、だって、子供の方向性には大きく影響してくるはず。


「親が子供に、親の夢を押し付ける」べきではないでしょう。
しかし、「子供がどんな夢を持ったとしても対応できるほど、多くの基礎的な能力をたくわえさせる」ことは、現実的には難しい。
子供は「勉強なんてしてもしなくてもいいんだよ」と言われたら、まず、勉強なんてしない。
そして、「競争」があるから、モチベーションを保てる、という面も、たしかにあるのです。
それば、勉強に限ったことではなく、スポーツでも、趣味の世界でも、そうなのです。


「競争に勝っても、他人を見下すな」というのは正論なのだけれども、それは、「競争に負けても、他人を妬むな」というのと同じくらい難しい。
「競争に勝つことなんて、意味はないんだよ」と言われたら、誰が苦しいなかで競争しようと思うだろうか?
その一方で、どんな世界でも、「ひたすら競争して上を目指す」となると、99%のひとは、トーナメントのどこかで、壁にぶちあたります。
「勉強ができる子」が集まっている名門進学校でも、テストをやれば最低点を取る子が出る。
アマチュア球界ですごい成績を残してプロ野球に入っても、イチローになれるのはごく一握りです。


もしそれを自分自身で認められるのであれば、「あえて競争しない生きかた」のほうが、「幸福」なのかもしれません。
「もう、このくらいのつつましい生活で、十分幸せ」だと思うことができれば。
どうせ実行することなんて無い「ライフハック」をブックマークしなければ、ラクになれる。


……そんな「つつましい生活」を維持することさえ難しいのが、いまの世の中の「難点」ではありますけど。


たぶん、「みんなが競争しすぎないようにする」ほうが、世の中は穏やかで、優しくなるのだと思います。
しかしながら、「自分の子供が競争しないようにする」というのは、なんだかとても不安なのです。


「いまの日本の教育はどうあるべきか」というのと、「うちの子はどう教育するべきか」というのが、必ずしも一致しないところが、まさに「教育における最大の難点」なのかもしれませんね。



地雷を踏む勇気 ?人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

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タイガー・マザー

タイガー・マザー

◎タイガー・マザーの教育方針
1.子どもにとって何が最も良いかを知っているのは親しかいない。
2.何かに秀で、特別上手にできるようになるまでには辛い「練習」を経なければならない。上手にできるようにならない限り、楽しむ域にはいつまでたっても到達しない。
3.子どもの自主性に任せる欧米の自由放任主義の親は、子どもの自己評価(セルフ・エスティーム)を心配して途中で止めることを許可してしまうが、辛さを通り越してあることができるようになることほど子どもの自己評価を高めるものはない。
4.最初は強制されても、うまくできるようになると、それが子どもの自信になり、やがてそれが好きになるという好循環が生まれる。


内容(「BOOK」データベースより)
とびきり厳しい中国人大学教授の母親“タイガー・マザー”が、二人の娘と繰り広げる、スリリングでこころ温まる子育て奮戦記。親が子どもに残してやれる財産は教育と技能であると考える中国式の理念に基く厳しい英才教育を行う。結果、二人の娘は学業優秀、ピアノとバイオリンでも超一流の腕前を身に付ける。長女は、ハーバード大学、イェール大学合格。娘を深く愛するゆえにどんなリスクも厭わない母親の覚悟の物語。