琥珀色の戯言

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九州鉄道記念館で「進化しないことの難しさ」について考えた。


先週末、家族で「九州鉄道記念館」に行きました。
息子は自分が運転席に座れる「ミニ電車」に大喜びしていたし、それを見ていた僕も、「来てよかったなあ」と思いつつ、自分の「鉄道成分」を満足させていたました。


この施設には、九州地方の鉄道の模型や運転シミュレーター、そして、鉄道にまつわる過去の遺産がたくさん展示されていました。
なかでも、僕の「懐古心」をくすぐったのは、昔の電車の車両がそのまま屋外に展示されていたことでした。
特急「にちりん」、ああ、乗る機会はそんなになかったけど、駅でずっと見ていたよなあ、この電車。


この「九州鉄道記念館」では、一部の車両の中に、入ることができます。
こうして、青いシートに座ると、なんだか自分が小学生に戻って、親と旅行をしているような気分になるのです。
いまは、僕のほうが親で、この「めずらしい電車」に興奮している息子を連れてきている立場なのに。


しかし、こうしてあらためて、「昔(といっても30年くらい前)の電車」に乗ってみると、いまの電車というのは、すごく「進化」しているのだな、と考えずにはいられません。
椅子と椅子のあいだには仕切りができたし、座り心地も圧倒的にいまのほうが良い。
昔あった、こんな「水飲み場」も、いまはもうありません。
「食堂車」なんていうのが必要ないくらい、旅の所要時間も短くなりました。

トイレもキレイです。

そういうのを「旅情がなくなった」と悲しむ人も多いようですが、だからといって、「もっとゆっくり走ってくれ」と電車に求める人は、あんまりいないはずです。


今回、昔の車両に乗って、「ああ、電車なんて、僕が子供のころからあまり変わっていないと思いこんでいたけれど、こうやって乗り比べてみると、ものすごく研究され、進化しているのだな」ということを感じました。
まあ、こういうのは「進化」だけではなくて、「人々の嗜好の変化」も反映しているのでしょうけど。


携帯電話とか、パソコンとか、DVDレコーダーとか、「新しく出てきたもの」に触れると、もちろん、「進化」を実感します。
そして、そういうものに対して、最近の僕は「もう、技術的な進化は、このくらいで良いんじゃないか? これ以上資源を使って、世の中をラクにしている必要があるだろうか?」などと考えてもいたのです。


でも、昔の電車で、あの頃の、ぶわん、と沈む青いシートに座ってみると、昔とそんなに変わっていないようなところでさえ、「進化」せずにはいられないのだな、と思いました。
昔からあるものだって、いまここにあるものは、「進化」しつづけている。
昔からあるものだからこそ、その「進化」を、こうして実感することができる。


結局、人類が生きているかぎり、技術的な退化とか「スローライフ」なんていうのが主流にはなりえないのではないか、という気がします。
「改良」せずにはいられないから、「人間」なのかもしれない。
そして、それが人間を滅ぼすのかもしれない。

満員電車にすし詰めでは、どんなに電車というハードが進化しても、乗り心地というのは、あまり変わらないのだろうけれど。

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