琥珀色の戯言

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ニンテンドー・イン・アメリカ ☆☆☆☆☆


ニンテンドー・イン・アメリカ: 世界を制した驚異の創造力

ニンテンドー・イン・アメリカ: 世界を制した驚異の創造力

内容紹介
ドンキーコング」から3DSまで――
アメリカ人ジャーナリストが見た任天堂とマリオのすべて!


僕はマリオの「身の上話」がゲームの歴史そのものだと気づいた。そう、確かにそれは、任天堂とマリオを生み出した人々――ゲームデザイナーの宮本茂、億万長者の山内溥ニンテンドー・オブ・アメリカを支えながらも過小評価された山内の娘婿、荒川實など――の歴史だ。しかしその核心には、Qレイティング(視聴好感度)においてあのミッキーマウスに勝るとも劣らない、ある架空の男の一代記がある。ブルックリン育ちで小太りのイタリア人配管工。負け続けの人生でも不思議はなかった男。3つの大陸にルーツを持つ男(アジアで生まれ、米国に根づき、名前はヨーロッパ人だ)。つかみどころのないキャラクター。なのに今や世界中で愛されている男。僕らの分身で、しかも僕らより強く、けれど時には弱いヒーロー。その男こそ、スーパーマリオだ。――本書より


僕はこれまで、数々の「ゲーム関連本」を読んできました。
任天堂」については、日本でもたくさんの本で取り上げられており、この本で紹介されているエピソードのなかにも、知っていたことがかなりあったのですが、それでも、かなり読みごたえがありました。
アメリカからみた『ニンテンドー』はこんな感じなのですね。


日本の「任天堂本」だと、もっと宮本茂さんとか横井軍平さん、山内社長などの「人となりとか、個人的なエピソード」に多くのスペースが割かれているのですが、この本は、そういう「ひとりひとりのこと」には、極力深入りしないように書かれています。
むしろ、看板キャラクター「マリオ」が任天堂およびゲーム界にはたしてきた役割を、ファミコンの時代から丁寧に追いかけている、そういう本です。
もちろん、宮本茂さんのことに触れなければ「マリオ」のことを書くのは不可能ではあるのですけど。


この本を読んでいると、良くも悪くも、アメリカでの「ニンテンドー」=「マリオ」なのだな、ということが伝わってきます。
日本ほど『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』のようなRPGの影響が大きくならなかったアメリカでは、まさに「マリオ」こそがニンテンドーの「顔」であり、新しいハードの命運を握っていたのです。
マリオの歴史を語ることは、ニンテンドーの歴史を語ることにもなるのです。


著者は、「マリオ」というキャラクターを、こんなふうに評しています。

 マリオ以降の、他のゲームの主人公はスターとしての個性を作り上げるのに四苦八苦している。クラッシュは馬鹿で、ソニックは無愛想で、ジャックは禁欲的。マリオには人格というものをまったく持たないという自由がある。声優チャールズ・マーティネーによってマリオがしゃべりだすと、思わず笑えてしまうのはそのせいだ。何かをしゃべれば、マリオは人格を持った1人の人間になる。何も言わなければ永遠の分身(アバター)だ。神話学者ジョーゼフ・キャンベルの言葉を借りれば、マリオは「千の顔を持つ英雄」なのだ。

たしかに、そう言われてみると、僕たちは「マリオ」のプライベートを、ほとんど知りません。
他の人気ゲームのキャラクターのような「キャラクター設定」がマリオについてなされているかどうかも不明です。
それでも、多くの人は、「マリオ」を「任天堂、そして宮本茂が自信を持って送り出している、面白いゲームであることを示す記号」として認識しています。

そういう意味では、マリオというのは、ゲーム界が生んだ「ミッキーマウス」なのかもしれません。


この本では、『ドンキーコング』から、『スーパーマリオギャラクシー』まで、ほとんどの「ニンテンドーから生まれたマリオのゲーム」が紹介され、それが生まれた背景が語られます。
なかでも僕が印象的だったのは、宮本茂さんの転機となった『スーパーマリオブラザース3』についての話でした。
スーパーマリオブラザーズ』の大ヒットを受けて、宮本さんは、その「続編」の製作を求められました。
そこで、宮本さんは新しいことをやりたいと思いつつも、逡巡のすえに「前の『スーパーマリオ』と似たような外観と要領のゲーム」をつくってしまったのです。
結局、その難しすぎた『スーパーマリオブラザーズ2』は、日本ではそれなりに売れたものの、海外で発売されることはありませんでした。


そして、宮本さんに、捲土重来のチャンスが訪れます。
スーパーマリオブラザーズ3』をつくることになったのです。
もちろん、それは、大きな賭けでもありました。

 宮本は変化が苦手だった。かつて彼の両親はこう言った――「舟を乗り換えるな」。状況に振り回されず、自分らしくあれということだ。だから通勤には自転車を使い、ぼさぼさ頭のまま、独立もせず任天堂に勤めつづけていた。
「僕はアメリカンドリームは求めません。あれは成功するために常に変化していく、という考え方ですから」。
 だが、間違っても「ザ・ロスト・レベルズ2」(日本版『スーパーマリオブラザーズ2』は、アメリカでは『ザ・ロスト・レベルズ』として発売された)を作らないようにするためには、変わらなければならない。宮本は、アーケード時代の末期にゲーム開発の道に入り、今では家庭用ゲーム機に満足していた。アーケードゲーム業界の同業者のほとんどは飛躍できていない。「スペースインベーダー」の西角友宏しかり、アタリのノーラン・ブッシュしかり。さらに宮本が崇拝する「パックマン」のクリエータ岩谷徹しかり。いずれも時代を創った大物だが、新しいイノベーションの嵐が業界に巻き起こると存在感を失った。優れた技術力を超えた、指針となるべき大きな物語がなければ、ゲームは振り出しに戻ってしまうのだ。
 ではマリオの大きな物語とは何だろう? 宮本が「スーパーマリオブラザーズ」に盛り込んだ手に汗握る冒険だろうか? 宮本はそれで2匹目のドジョウを狙って失敗している。それとも、もっと根本的な――おなじみのマリオシリーズはもちろん、他の人気シリーズ作品でも実現可能な――ものだろうか?
スーパーマリオブラザーズ3」で彼が下した決断が、後の人生を決定づけることになる。
 宮本はゲームプレイを中心に据えようと決めた。マリオがどうやってその世界と関わるか。ゲームの核心において、「ザ・ロスト・レベルズ」はオリジナルとほとんど変わっていなかった。はるかに難しくなったことを除いては、ゲームプレイは瓜二つだった。だが今度はマリオのために新しいアイデア、新しい相手、そして新しい力を宮本は望んだ。人々が口を揃えて「ザ・ロスト・レベルズ」はマリオではないと不満を漏らしたのは、決まりきったやり方が変わったからではない。変わらなかったからだ。
 そこで本作ではパワーアップアイテムとして「スーツ」が導入された。カエルスーツを着ると速く泳げる。奇怪なタヌキスーツを着ると、マリオは攻撃されてもダメージを受けない石像になったり、空を飛んだり、尻尾で敵を攻撃したりできる。
「走る」「跳ぶ」という基本的なアクションを生かしたこの斬新なゲームプレイこそ、「ザ・ロスト・レベルズ」に欠けていたものであり、雨後の筍のように続々と発売された横スクロール式の類似作にも絶対になかった要素だ。こうした二番煎じゲームでは、プレイヤーはおそろしく難易度の高いステージを進んでおそろしく弱い敵と戦うだけ。だが宮本は、初期ステージのパワーアップや1アップのアイテムを増やし、ステージを進むにつれて数を減らしていった。こうすれば初心者をめげさせず、同時に上級ゲーマーも満足させられるわけだ。

プレイヤーを「同じように感動させる」ためには、「変わり続ける」ことが必要だったのです。
「変わらないためには、変わらなければならない」
僕もよく知っているゲームの話であるだけに、この『スーパーマリオ3』での宮本さんの挑戦のエピソードには、頷かざるをえません。
宮本さんを他のゲームデザイナーたちと差別化したのは、この「変わることの必然性を理解したことと、それを実行した勇気」だったのではないかと思います。
もちろんこれは、ゲーム制作だけの話ではないはず。


あと、この本では、「アメリカでしか発売されなかった、珍しいマリオのゲームの話」も面白かった。
ニンテンドーとCD-ROM開発で一時的に契約していたフィリップス制作の『マリオホテル』なんていうゲームが、アメリカにあったそうです。

 フィリップスが独自に発売したマリオゲームの「ホテルマリオ」は、ぼろくそにけなされるソフトになった。クッパキノコ王国を乗っ取り、ピーチ姫を誘拐する。ここまではお決まりだ。さらになんと、あたり一帯をホテル群に変えてしまう。確かに妙だ。だが、マリオゲームに新しい要素が加わるのは毎度のこと。恐竜に乗ってみたり石に姿を変えたりすることに比べれば、ホテル王を目指すクッパの野心などまだまともな方だ。
「ホテルマリオ」のプレイ画面は、各ステージ(それぞれ1画面分の大きさ)がいずれも開いた部屋のドアで埋めつくされている。マリオは障害や敵を避けて階から階へ移動しつつ、ドアというドアをすべて閉めて回らなければならない。宮本が制作にまったく関わっていなかったのは歴然としている。インターネット上のある投稿がからかったように、「ホテルマリオ」はアクションのない「エレベーターアクション」のような代物だった。あるいは謎(パズル)のないパズルゲームか――なにしろ、ひたすらドアを閉めて回るだけなのだ。

これはひどい
アクションのない「エレベーターアクション」って、ただの「エレベーター」なの?
でも、「そんなにひどいのなら、『マリオホテル』を一度みてみたい!」という気分にすらなってきます。
ゼルダの伝説』のリンクにいたっては、このフィリップスから、3本もの「最低のゲームたち」がリリースされたそうで、本当にお気の毒です。


この本、「人間ではなく、ゲームを主役にしたニンテンドー史」として、素晴らしい内容になっていると思います。
だからこそ、「ゲームでは遊ばない人が、ビジネス書として読む」には、ちょっと難しいかもしれません。
アメリカからみた「ニンテンドー」。
そして、「ニンテンドーは、なぜアメリカで成功できたのか?」


ゲームファンには、ぜひオススメしたい一冊です。