琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

「曲げられない人」として生きるということ

「なんだこれは!主(あるじ)を呼べい!」
ドカドカドカドカ(廊下を走る音)

 僕は『美味しんぼ』の海原雄山が、こんなふうに入った店でクレームをつけているのを(マンガやアニメで)見るたびに、「海原さんって、いつごろからこの芸風なんだろうなあ」と疑問でした。
 今の「権威」となった海原さんであれば、どの店だって、「海原先生には逆らえない」のでしょうが、若くて無名のころに同じことをやっていたら、単なる「クレーマー」扱いされたりもしたんじゃないかなあ。
 でも、有名になってから、この「主を呼べい!」をやりはじめたのだとしたら、かなり感じ悪いですよね。
 もし、海原さんがこれをずっとやってきたのだとしたら、いろんなトラブルに巻き込まれてきたはずです。
 そんななかで、妥協せずにこの芸風を貫いてきたからこそ、いまの海原雄山があるわけです。
 「曲げられない人」は、それなりの実力と一貫性があれば、世間から敬われる場合もあります。

 先日の「少しだけ、小島慶子さんの話をします」について、こんなふうに採り上げていただきました。
 

2012/1/27 どうでもいいと思ってるところがすでにダメ - ぷよねこ減量日記 2012


 ここで紹介されている『石松の代参』の話を読んで、僕は、石松の、そして清水次郎長のような「曲げられない人」の扱いの難しさについて、考えてしまいました。
 こういう状況って、社会や職場でもよくありますよね。
 傍からみていたら、「言われた側としては、曲げられない」「最初に言い出した上司だって言い過ぎたと思っているのだけれども、面子もあるし、引くに引けない」
 『石松の代参』の場合は、「仲介者」がうまく立ち回って「大人の対応」を奨めてくれたので(しかも、石松にとっては、兄貴分ですから、聞きやすい立場として)、なんとかおさまったのですが、常にこういう仲介者がいるとは限らない。


伊集院静さんが、こんなことを書かれていました。

 当人がどれだけ注意していても災難の大半は向こうからやってくる。交通事故と同じだ。
 スイスの登山鉄道、ユタ州の自動車事故と楽しいはずの海外旅行での悲劇が続いた。
 自動車事故の方は原因がまだはっきりしないが、運転手の過労による運転が取り沙汰されている。同業者の弁で、何度か車が右に左にゆれるように走ったと言う。
 このことが事実だとしたら、なぜ誰かがその場ですぐに運転手に注意しなかったのか、それが私には解せない。
 時々、私は遠出のときやゴルフで車を手配されることがある。『その折、運転が危険だったり妙に思えると即座に運転手に訊く、
「君、疲れているのかね」
「い、いいえ」
 それで運転が直らなければ高速道路だろうが、山の中であろうが、
「君、車を止めなさい」
 と言って下車し、タクシーなり別の交通手段を選ぶ。これがもう三、四度あり、口では言わないが、その車を手配した会社とはなるたけ仕事をすまいと決めている。
 一人旅より、団体旅行の方が事故が多いのは、旅に危険はつきものだという根本を忘れがちになるからだろう。
 よく旅慣れているのでという年輩者がいるが、それは団体旅行で慣れているのが大半で、危険が近づいていることにすら気付かないで来た人がほとんどだ。

 伊集院静さんの場合は、若いころからこれを実行していたのかどうかはわかりません。
 僕はこの話を読んで、自分もそうしよう、と思ったんですよ。
 他のタクシーを探すくらいのことは、すぐにできるはずだから、って。


 しかしながら、それ以来、何度も腹が立つタクシーに乗っていながら、実行できていないのです。
「もうすぐ目的地だから」「こんなところで人とイザコザを起こすのもめんどくさいだけだし」「まあ、この人だって、この年まで運転してきたのだから、僕が乗っているときに事故を起こすってこともないだろ」
 いやほんと、これだけのことでも、「自分を曲げない」っていうのは難しい。


 小島慶子さんの場合、ちょっとくらい妥協するというか、番組関係者の「要望」は、「はいわかりました。まあ、がんばってみます」とかなんとか聞き流して、いままでと同じ方向性でやってしまえば、「誰も傷つかないですんだ」のかもしれません。
 僕も、そうするほうが「大人の対応」だとも思います。


 今回のケースでは、小島さんは傷ついたかもしれないけれど、「40〜50代の男性の自営業者向けに」と言ったスタッフだって、かなり傷ついたと思うんですよ。
 本人は軽い気持ちで言ったのだとしても(まあ、それはそれで問題かもしれませんが)、こんなことになったら、「お前があんなこと小島さんに言うからだ」って、責められているはず。
 それは、小島さんもわかっているはずです。


 でも、小島さんは、「曲がらなかった」し、「曲げられなかった」。
 世の中には、そういう生き方を選ぶ人もいる、ということなんでしょうね。
 それこそ、「これからも大変だろうなあ」とは思うけど。

 「そこで妥協しないのが、小島慶子なんだ」ということならば、「小島慶子らしさを失ってまで、番組を続ける」という選択肢はありえなかったのです。


 「曲げられない人」っていうのは、本人も、周囲もキツイですよね。
 そういう人たちの大半が、挫折していくなかで、能力と「貫く力」と運がかみ合った人だけが、スティーブ・ジョブズになれるのだろうなあ。

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