琥珀色の戯言

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消えた天才騎手 ☆☆☆☆


内容紹介
あなたは、競馬界の沢村栄治を知っていますか?


 ウオッカの前に、牝馬としてデビューわずか3戦目でダービーを制したクリフジ。この名牝の11戦11勝すべてで手綱を取り、今もなお破られぬダービー最年少勝利の記録を持つ男。たった2年半の騎手生活ながら、四冠達成、生涯勝率3割超などの成績を残した男。しかし、第二次世界大戦で戦病死した彼の足跡は多くの謎に包まれており、関係者でさえも調べる手立てがなく、ほとんど忘れ去られていた。


 2006年夏、ある出来事をきっかけにいくつかの奇跡が重なり、彼の人生が劇的に動く。著者の6年にわたる取材から、少しの幸運と多くの悲運により23年の生涯を終えた“幻の天才騎手・前田長吉”のすべてが、ここに蘇る――。


 競馬史をも書き換える歴史集として、伝説の天才騎手の謎を解き明かすミステリーとして、主人公の知られざる数奇な運命をたどるドラマとして、いくつもの楽しみ方ができる読みごたえのある一冊です。


★主な内容
・3つの奇跡
・家出同然で東京へ
・最年少ダービージョッキー誕生
・2年半で通算勝率3割超
・臨時召集~収容所での抑留生活
・蘇る幻

 史上最年少ダービージョッキー(残念ながら、戦前で「参考記録」扱いとされているのですが)前田長吉さんの生涯を追ったノンフィクション。
 僕はこれまで、数えきれないほどの競馬関連の本を読んできたので、前田さんの名前は知っていました。クリフジとともに白黒写真にぼんやり写っている「歴史年表上の人物」として。
 でも、前田さんは、戦争(とそれに続くソ連の抑留)で命を落とさなければ、まだ御存命でもおかしくないのです。


 この新書では、著者が、前田さんの一族や競馬界で接したことがある人々、戦地で一緒だった人たちへの丹念な取材に基づき、前田さんの「記録」のみならず、その「人となり」まで蘇らせています。
 前田さんが「一族の誇り」として地元で語り継がれ、その遺品が大切に保管されていたことも、この取材には幸いしたようです。
 日本にも、まだこんなに「家族の絆」が強い土地があるのだなあ。

 
 著者の島田明宏さんは、長年武豊騎手を取材しつづけている人です。
 島田さんは、前田さんを「若くして戦争で亡くなった、かわいそうな人」という視点ではなく、「この最年少ダービージョッキーは、どんな騎手だったのか?」と、少ない資料のなかで「分析」しようとしています。
 「前田長吉は、戦争で命を落とさなければ、競馬界に大きな記録を残せるほどの実力を持っていたのか?」
 「すごい記録をつくった」「戦争で亡くなった悲劇の人」として語るのではなく、あの時代に生きた、ひとりのアスリートとしての前田長吉に迫ろうとしているのです。


 ダービーで、前田騎手騎乗のクリフジは出遅れてしまいます。

 これだけ多頭数(この年・1943年のダービーは25頭立て)の競馬で出遅れると、普通はあせって前半である程度挽回しようと動いてしまうものだ。が、そうしてエネルギーを小出しにすると、末脚の切れが鈍ってしまう。長吉は、道中じっとしたまま、力を溜める騎乗に徹した。もしこれで前があかず、脚を余して負けていたら、関係者からもファンからも、とことんまで叩かれたはずだ。よほど腹の据わった男だったのだろう。
 このとき、長吉は20歳3か月。これは、今なお破られぬ、日本ダービーの最年少優勝記録である。

 もちろん、クリフジの力が抜けていたからこそ、こういうレースができたのは事実です。
 でも、ひとつのミスを取り返そうとして、焦ってさらに状況を悪くしてしまうことは、けっして少なくありません。
 それは、競馬だけの話ではなくて。
 ミスは誰にでもある。
 そして、ミスをしたときにどう対応するかが、一流とそれ以外を分けていくのです。
 たしかに、前田長吉という騎手は、「腹の据わった男」だったのでしょう。


 当時のレース映像から、騎乗スタイルや精神面の強さなどについて想像できるのは、長年超一流の騎手たちに接し、競馬をみてきた島田さんならではでしょう。
 島田さんは、前田騎手の「死に方」や「悲劇」を語るのではなく、騎手としての「生きざま」を残そうとしています。
 読んでいて、僕はそれがすごく嬉しかったのです。


 この新書を読んでいて、前田長吉という騎手のすごさと同時に、「一流の騎手になるための条件」を考えてしまいました。
 騎手というのは、アスリートのなかでも、ちょっと異質な存在です。
 陸上や水泳などの個人競技では、アスリート自身の能力が高ければ、勝つことができます。
 野球やサッカーでも、チームの勝利は全体の力にかかっているとしても、「個人技」を見せることは可能です。
 でも、騎手というのは、いくら本人に実力があっても、良い馬に「乗せてもらう」ことができなければ、結果を出すことができません。
 もちろん、関係者だって勝ちたいですから、圧倒的な実力があれば、人格に問題があっても良い馬がまわってくることはあるでしょう。
 でも、そういう存在になるためには、やはり、「良い馬に乗せてもらって、実績をつくっていく」必要があるのです。
 他の競技でいえば、F1レーサーが、騎手に近いかもしれません。

 
 徴兵された前田騎手は、満州に出征しました。

 長吉は、中隊長の命令を小隊長に伝える徒歩伝令の任についていた。
 若くて体力があった長吉は、みなが尻込みするような任務でも、
「前田がやります!」
 と、積極的に手を挙げた。
「いいから休んでいろ」
 中山と同じ長野出身の兵長・堀内高行にそう言われても、
「大丈夫です」
 と、戦友たちが楽をしているときも体を動かしていた。
 長吉は、
「自分はラッパ師になりたいです」
 と堀内に話していた。いつも馬の近くにいられる仕事で、毎日馬に乗ることができるからだ。
 だが、ラッパ師になると昇進が遅れるので、堀内は勧めなかった。それでも長吉はラッパ師になることを希望しつづけた。
 堀内は、芯が強く、けっして自分を大きく見せようとしない、この若者をかわいがった。

 前田騎手は、終戦後、シベリアでの厳しい抑留生活でも、
「前田がやります!」
 と言って、戦友たちの作業を肩代わりしていたそうです。


 この新書からうかがえる前田騎手の人となりは、「控えめ、真面目で、愛嬌があって、人のいやがることを率先してやる『いいひと』」です。
 馬に乗り、操る才能があったのはもちろんなのですが、前田騎手は「人にかわいがられる能力」があったと思われます。
 若い頃の武豊騎手と同じように(いや、別に今の武豊騎手がイヤなやつになったってわけじゃないですよ、念のため)。


 この新書を読んでいると、いままで知らなかった「戦前の競馬、そして競馬場」の雰囲気が伝わってきます。
 少ない資料のなかから、著者は、当時の騎手たちの騎乗状況や、同じ馬が毎週のように出走していたレースの様子を浮かび上がらせています。


 太平洋戦争が終わって、67年。
 たくさんの馬たちがいて、レースにもバリエーションができ、騎手たちはスターになりました。
 競馬場は、綺麗で、華やかな場所です(もちろん、ギャンブルなので、それ相応の雰囲気も残ってはいますけど)。
 それでも、「騎手」という仕事に必要な才能というのは、前田長吉さんの時代から、武豊騎手まで、同じなんだなあ、とあらためて感じました。


 競馬ファンには、ぜひおすすめしたい1冊です。
 今の時代のような「明るい競馬」が、ずっと続いてくれることを願いつつ。

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