琥珀色の戯言

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タブーの正体! ☆☆☆☆☆


タブーの正体!: マスコミが「あのこと」に触れない理由 (ちくま新書)

タブーの正体!: マスコミが「あのこと」に触れない理由 (ちくま新書)

内容(「BOOK」データベースより)
どれだけ重大な事実であろうと、マスコミが口を閉ざしてしまうことがある。大物政治家の不正疑惑、大手企業が引き起こした不祥事、有名タレントの薬物使用疑惑…。「報道の自由」を掲げながらも、新聞やテレビ、出版各社が、過剰な自主規制に走ってしまうのはなぜか?『噂の眞相』副編集長時代に右翼から襲撃を受けた経験を持つフリージャーナリストが、闇に葬られた数々の実例を取り上げながら、ネット時代の今もメディア・タブーが増殖し続けるメカニズムに鋭く迫る。


著者は『噂の真相』の副編集長だった方です。
僕は『噂の真相』を「プライバシーを暴いて売る下世話なスキャンダル雑誌」だと思い込んでいたのですが、この新書を読んで、そのイメージが変わりました。
噂の真相』って、スタッフが「報道のタブー」と闘ってきた貴重な雑誌だったんですね。
他の大手メディアが「自粛」していることをちゃんと採り上げると「スキャンダル雑誌」のように見えてしまう、そんな現実を思い知らされました。

 タブーはさまざまな要素が複雑に絡み合ってつくられるものではあるが、つきつめれば、最後は暴力、権力、経済のうちのどれかに対する恐怖にいきつく。この三つの恐怖を軸にタブーを観測すれば、なぜ、メディアはこうも簡単にタブーに屈するのかという本質的な問題を解く鍵が見えてくる気がするのだ。三つを順に追っていくことで、タブー要因が時代とともに、暴力、権力から経済へと移り変わってうることも明らかになるだろう。

著者は「3つの圧力」について語っておられるのですが、著者自身が『噂の真相」時代に体験した「暴力による圧力」と、それが著者にもたらした「影響」についての告白は、読んでいて僕もつらくなりました。「日本のマスコミは嘘ばかり」だとみんな言うし、大きな問題を抱えているのも事実です。

 つまり、私が暴力に屈したことが、『噂の真相』の休刊をダメ押ししてしまったのだ。
 我ながらなんてお粗末で情けない話だろうと思う。だが、それでもこの体験だけは正直に語っておきたかった。なぜなら、現実には、多くのメディアが私たちの知らないところで右翼や民族団体からの抗議を受け、ひそかに転向をとげているからだ。
 雅子妃に批判的な記事を頻繁に載せていた女性週刊誌がある時期から、雅子妃に同情的になった、あるお笑い芸人が、コラムなどで日中戦争を「侵略戦争」と断じ、靖国神社の存在を疑問視していたところ、ある時期からそういった台詞を一切口にしなくなった、試合前に「君が代」を歌わなかった日本代表のサッカー選手が突然、大きく口を開いて歌うようになった……。こうした転向には、たいてい右翼・民族派団体の抗議が関係している。
 そして、私の見るところ、右翼から抗議を受けた人がとる態度は二種類しかない。一つは、「俺は右翼から抗議を受けたが屈しなかった」と武勇譚にする態度。もう一つは、これが圧倒的に多いのだが、抗議を受けたこと自体を隠し、人知れず転向してしまう態度だ。
 この二つの態度は、事実を隠蔽しているという意味では同じである。結局、タブーに直面した人間はほとんどの場合、その経験をタブーとして封印してしまう。そして、そのことでタブーの実態はますます見えにくくなり、タブーは肥大化してしまう。

しかし、「暴力」を前に敢然と立ち向かっていける者しか、マスコミで働くことができないのだとしたら、何人が残れるでしょうか。
そんなマッチョな人たちだけが伝えるニュースというのも、それはそれで偏りがありそうだし。


「権力」についても、「みんなに人気がある政治家はあまり批判せず、人気が落ちれば、容赦なく責め立てる」というのは、よく感じるところです。

 実際、地方自治体レベルでは、東京都知事石原慎太郎大阪府知事から大阪市長に転身した橋下徹が。”タブー”として君臨している。石原は自ら旗振り役となってたちあげた新銀行東京の経営破綻や不正融資など、さまざまな疑惑が噴出したにもかかわらず、厳しい追及をほとんど受けないまま、今も都知事の椅子に座り続けている。先の大震災では「天罰が下った」という被災者の神経を逆なでするような失言をした際も、たった一度、謝罪をしただけでマスメディアからの追及はすぐにやんでしまった。

 最近の政治家の「失言騒動」のレベルを考えると、石原都知事の「天罰」発言は、「一発レッドカード」に値すると僕は思います。
 震災関係の失言で辞任したどの大臣も、ここまで被災者をバカにした言葉は口にしていません。
 でも、たしかに「言葉のひどさのわりに、メディアからの追及は緩かった」。
 本当に、これでいいのでしょうか?


僕がいちばん気になったのが、「経済的圧力」についてでした。
スポンサーたちは、暴力をふるうこともなければ、脅迫してくるわけでもない。
そのかわり、マスメディアと「利益共同体」になることによって、メディアを「仲間」にしてしまうのです。
「そんな記事を書くのなら、広告出しませんよ」
それだけでいいのです。
そして、メディアでの採りあげかたで、世間の印象は大きく違ってきます。
メディアでは、トヨタパナソニックは「二大タブー企業」とされているそうです。

 このトヨタと並んで「二大タブー企業」といわれているパナソニックをめぐっても、同じような”不可解な沈黙”が頻繁に起きている。
 2005年、パナソニックの前身・松下電器産業製の石油ファンヒーターで死亡事故が発生。製品の完全回収・引き取りを決定した同社が、テレビCMや新聞・雑誌広告をすべて「おわびとお知らせ」に切り替え、「最後の一台を見つけるまで」をスローガンにチラシ配布、告知はがきの郵送など、大がかりな回収活動を展開した。このとき、経済ジャーナリズムはこぞって「松下の英断」「創業の精神で危機を乗り越えた」とその対応を絶賛し、雑誌やネットも、「20年以上前の製品のフォローをここまでやるとはさすが松下」「松下の誠意ある対応には頭が下がる」といった評価で埋め尽くされた。
 たしかに同社の回収活動はのべ17万人の社員200億円以上の予算をかけた、前例のない大規模なものだった。だが、パナソニックは最初から自発的にこうした「誠意ある対応」をとっていたわけではない。
 松下電器石油ファンヒーターで最初の死亡事故が起きたのは2005年1月。一酸化炭素中毒で男児が死亡し、父親が重体に陥るという痛ましい事故だったが、同社は当初、重大欠陥を認めず、対策もほとんど講じようとはしなかった。すると、同年2月と4月にも事故が発生。その後、松下はようやくホースの交換という形でリコールを実施するのだが、告知は行き届かず、実施の修理対応はまったく進んでいなかった。そして、11月には二度目の死亡事故が発生。経済産業省が緊急命令を出す事態にまで発展した。
 前述した本格回収措置を開始したのはその後のことである。松下の対応は明らかに後手に回っており、その対応の遅れが二人目の死亡事故を引き起こしていたのだ。しかも、12月にはリコールでホースを交換した製品でユーザーが意識不明の重体になる事故も発生していた。
 しかし、その間、主要メディアで松下の責任を追及する報道はほとんどなかった。そして前述のように、松下がファンヒーターの本格回収を開始し、大量の告知広告を打ち始めたとたん、その活動を称賛する形で大きく紹介し始めたのだ。
 実は、この石油ファンヒーター回収とほど同時期、パロマの小型湯沸かし器が死亡事故を起こしていたことが大きな問題になっている。メディアはパロマに対して激しい追及を行い、同社の小林敏弘会長は辞任、業務上過失致死での在宅起訴に追い込まれた。このパロマのケースと比べると、松下に対する報道がいかに甘いものだったかがよくわかるはずだ。

 僕もあの広告をみて、「松下はよくここまでやるなあ」と感心していたので、この話を読んで、愕然としました。
 「メディアの報道のしかた」によって、「世間の反応」は変わり、当事者に対する「量刑」すら動かしてしまう。
 ライブドア事件での堀江社長の逮捕・有罪判決などは、その典型例でしょう。
 ちなみに、『有力企業の宣伝広告費2010』によると、2009年度の広告宣伝費上位5社は、
 1位:パナソニック、2位:花王、3位:トヨタ自動車、4位:本田技研、5位:KDDI
 ちなみに、電力会社各社をみると、東京電力は243億円で15位。
 日本全国の電力会社11社を合計すると、884億円で、パナソニックの771億円を大きく上回っています。

 しかも、ここで着目しなければならないのは、電力会社が地域独占企業であることだ。競合他社の存在しない企業はなぜ、こんな巨額の広告を出稿する必要があるのか。それはやはり、メディアの批判、とくに原発批判を封じ込めるという目的があるからだ。

 
 多額の広告の出稿、豪華な接待、そして、マスコミ関係者の天下り先の確保。
 もうズブズブなんですね、メディアと電力業界は。


 そして、芸能界にも、さまざまなタブーが存在しています。


参考リンク:AKB48が「新たな芸能タブー」になった理由 - 活字中毒R。
↑のように、「至極平和的な方法で、メディアを取り込んでしまうやりかた」も、珍しくなくなってきたのです。

 
 そんな欲の皮の突っ張った奴らは、マスコミで仕事をするな!
 僕もそう思います。
 しかし、いまの世の中、とくにネットの世界では「無料が当たり前」です。
 みんな「コンテンツ」は無料じゃないとイヤだと思っています。


でも、メディアが自らの機能を維持するためには、お金が必要なのです。
「受け手」に払う気がなければ、「スポンサー」に頼るしかない。


「経済的なタブー」を助長してきたのは「良い記事にもお金を払おうとしないユーザー」の責任もあるはずです。


嘘つきのマスコミを探し出して、みんなが責める、というのがいまの時代の風潮ですが、これからは、排除するだけではなく、「良心的なメディアを、みんなが守り、応援して育てる」しかないと僕は思います。


マスコミの「最前線」にいる人からの、貴重な告発の書です。
マスゴミ」って叩く前に、マスコミの現実をまず知りましょう。
僕たちが世界で起こっているすべてのことを自分で直接「取材」できるわけがないのだから。


ひとりでも多くの人に読んで、考えてみていただきたい一冊です。

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