琥珀色の戯言

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二流小説家 ☆☆☆☆


二流小説家 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

二流小説家 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

内容(「BOOK」データベースより)
ハリーは冴えない中年作家。シリーズもののミステリ、SF、ヴァンパイア小説の執筆で食いつないできたが、ガールフレンドには愛想を尽かされ、家庭教師をしている女子高生からも小馬鹿にされる始末だった。だがそんなハリーに大逆転のチャンスが。かつてニューヨークを震撼させた連続殺人鬼より告白本の執筆を依頼されたのだ。ベストセラー作家になり周囲を見返すために、殺人鬼が服役中の刑務所に面会に向かうのだが…。ポケミスの新時代を担う技巧派作家の登場!アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞候補作。


『このミス』海外編で1位だったこの作品なのですが、正直、とっつきはあまり良いほうとはいえず、しばらく積んでしまっていました。
横文字の名前に二段組み、450ページの長さで、前半は主人公・ハリーの「すごく売れているわけではないけれど、食えないほどでもない作家生活」と、「美女たちに構われてしまう様子」が描かれていて、けっこう退屈です。
そんなハリーに、「12年前に4人の女性を惨殺した殺人鬼」ダリアン・グレイからの告白本の執筆依頼を受けるところから、物語は動きはじめます。
ハリーは、ダリアンから「告白本を書くための、奇妙な条件」を突きつけられ、渋々それに同意するのですが、それがきっかけで、とんな事件に巻き込まれるようになり……


ミステリですから、あまりあらすじを紹介してしまうと、読む楽しみが失われてしまいます。
ですから、あまり物語の詳細を書くべきではないと思うのですが、正直、ミステリとしては、そんなに「驚く」ようなものではありません。
むしろ、「その『意外な事実』は、あまりに御都合主義なのでは……」と言いたくもなります。


でも、だからといって、この小説がつまらないかというと、そんなこともなく、事件の結末というよりは、このハリーという中途半端な作家の人生が、どう転がっていくのか、見届けなくてはならないような気分に、少しずつなってくるんですよね。
作中に挿入される、ハリーのSFとかヴァンパイアものなどの「通俗小説」も、テーマに踏み込んでいるようないないような、なんともいえないアクセントになっています。
「面白いか?」と問われると、「うーん、箸休めとしては機能していると思うけど……」というような作品なんですけどね。


この小説を読んでいると、主人公・ハリーの姿を「コロンビア大学の大学院で英米比較文学修士号およびクリエイティブ・ライティング修士号を取得したのち、映画、ファッション、出版、ポルノ産業などさまざまな業種にたずさわってきた」という著者と重ね合わせずにはいられません。
著者も、この作品について、「ポルノ雑誌の編集部に勤めていた際に、囚人から寄せられてきた数多くの手紙に着想を得た」と話しています。

 ぼくの見てきた校正刷は、途方もない妄想や倒錯に満ちていた。にもかかわらず、ある事実のたしかな証拠を示してもいた。つまり、ある種の人間にはどんなことでもできてしまう、という事実だ。そして、もし、編集部宛の手紙や、読者が撮影した写真や、”パーティで泥酔したすえの秘めごと”報告を目にする機会がきみにもあったなら、秘めたる一面は誰のうちにも存在しうるのだということ、その内なる一面が表層の見てくれとは間逆の性質を帯びる場合もあるのだということが、かならずやわかってもらえただろう。たとえば、人種差別の撤廃や女性の解放を声高に唱える黒人女性が、白人男性に尻を叩かれたいと心ひそかに願っていることもある。企業の社長を務める五十がらみの白人男性が、体重三百ポンドの黒人女性にハイヒールで背中を踏みつけられたがっていることもある。そこまで極端ではなくとも、ぼくらが労働者なり、市民なり、誰かの友人なり、恋人なり、赤の他人として社会に存在するとき、ぼくらはそれぞれに異なる”顔”を呈している。それらの”顔”がたとえ正反対の性質を帯びていたとしても、そこにはなんらかの関連性が必ず存在する。そうした”顔”は、サイコロの面に似ている。面と面とが対極の位置にあろうとも、面と面とが接していようとも、一度にすべてを視野におさめることは絶対にできない。少なくとも、この地球上においては不可能だ。

「ものすごく面白くて、時間を忘れる」ような作品でも、「驚愕のトリックに絶句させられる」ような作品でもありません。
けっこうグロテスクな描写は多いし、登場人物が饒舌すぎるような気もします。
でも、「何かを書きたい人間」「二流(以下かもしれませんが)ブロガー」である僕としては、なんだかとても、「印象に残る小説」でした。
「書くことで誰かを傷つけることがある」ことはわかっていても、書くことをやめられないし、「それが芸術というものです」と開きなおることもできない、そんな情けなさ。
だけど、その「中途半端な立ち位置」に、僕は共感せずにはいられなかったのです。


ああ、お金持ちの女子高生が、僕を家庭教師に雇ってくれないものかなあ!

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