琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

アーティスト ☆☆☆


解説: サイレントからトーキーへと移り変わるころのハリウッドを舞台に、スター俳優の葛藤(かっとう)と愛を美しいモノクロ映像でつづるサイレント映画。フランスのミシェル・アザナヴィシウス監督がメガホンを取り、ヨーロッパのみならずアメリカの映画賞をも席巻。芸術家(アーティスト)であることに誇りをもち、時代の変化の波に乗れずに凋落(ちょうらく)してしまうスターを演じるのは、『OSS 117 私を愛したカフェオーレ』のジャン・デュジャルダン。ほかに、ジョン・グッドマンなどのハリウッドの名脇役が出演。サイレントの傑作の数々へのオマージュが映画ファンの心をくすぐり、シンプルでロマンチックなラブストーリーも感動を誘う(シネマトゥデイ)。


あらすじ: 1927年のハリウッドで、サイレント映画のスターとして君臨していたジョージ・ヴァレンティン(ジャン・デュジャルダン)は、新作の舞台あいさつで新人女優ペピー(ベレニス・ベジョ)と出会う。その後オーディションを経て、ジョージの何げないアドバイスをきっかけにヒロインを務めるほどになったペピーは、トーキー映画のスターへと駆け上がる。一方ジョージは、かたくなにサイレントにこだわっていたが、自身の監督・主演作がヒットせず……。


2012年12本目の劇場鑑賞作品。
日曜日の20時からのレイトショーで観たのですが、観客は僕も含めて8人だけでした。
アカデミー賞の作品賞を受賞していても、サイレントのモノクロ映画だと、やっぱり興行的には厳しいのかもしれません。
映画を頻繁に観に行くような人にとっては「こんな映画もたまにはいいんじゃない」と新鮮に感じる要素も、「ハレのイベント」として映画館に行く人たちには、「音がない映画って、つまんないよね、きっと……」という地雷臭になってしまうのかなあ。


僕自身は「こんなハンデキャップを自らに課してアカデミー賞を獲った映画だから、さぞかしすごいんだろうなあ!」と期待していたんですよ。
でも、観終えての感想は「まあ、こんなものかな」という感じです。
観ながら、「ああ、こういう映画、ちょっと小洒落たバーで、BGV(バックグラウンドビデオ)として流されてそうだなあ」と、ずっと思っていました。
「登場人物の声が聞えないということは、よっぽど集中して画面を観ていなければ、話がわかんなくなりそう」だということで、最初はけっこう緊張して観ていたのですが、要所要所では「音」による演出が入りますし、サイレント時代風のレトロなBGMも雰囲気があります。登場人物が、あえてオーバーアクション気味な「サイレントの芝居」をしてみせてくれているのも面白い。重要なセリフは、ちゃんとテロップが出るので、そこまで用心していなくてもストーリーは理解できますしね。


ただ、正直言って、僕はこの映画、ちょっとピンとこなかった。
お洒落で「サイレントとトーキーの時代の狭間に生きた映画人たちの姿」が伝わってくる佳作だとは思うんですよ。
犬と運転手の優しさにも感涙。
でもね、ペピーがヴァレンティンに向ける「一途な優しさ」については、「こんなヤツいないだろ」という違和感というか「あまりに美しすぎる物語への反感」のほうが、僕には強かったのです。
本当に「この映画向きの観客」じゃなくて、申し訳ないのだけれども。
僕には「ヴァレンティンみたいには救ってもらえなかったサイレント時代の映画人たち」のほうが気になりました。
「音」や「テロップ」による演出も、なんか中途半端というか「妥協」を感じてしまったのです、観客の利便性を考えれば、正解なのだとわかってはいても。


そもそも、僕はモノクロやサイレントを「懐かしい」と言えるような記憶を持っていないので(というか、いまの映画の観客の大部分も同じなはず)、「こんな感じだったんだなあ」という物珍しさはあったのだけれども、それ以上の「感動」はありませんでした。
古い映画も、ほとんど観ないしなあ。


この映画を観ていると、「自分は映画の何を重視しているのか?」がわかるような気がします。
僕は「1にストーリー、2に映像のスゴさ」で、「雰囲気」とか「役者」の優先順位は低いみたいです。
逆に「雰囲気の良い映画が好きな人」や「映画の世界そのものが好きな人」には、唯一無二の作品、なのかもしれません。


ちなみに、この映画で、ジャン・デュジャルダンさんはアカデミー賞主演男優賞を受賞されたのですが、僕にはベレニス・ベジョさんのほうが印象的でした。
ああ、モノクロ顔というか、こういう映像で映える顔の人って、いるんだなあ、って。


良い映画だと思いますよ、本当に。
ただ、良い映画すぎて、僕にはちょっと物足りない、そんな感じでした。

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