琥珀色の戯言

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フェルマーの最終定理 ☆☆☆☆☆


フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
17世紀、ひとりの数学者が謎に満ちた言葉を残した。「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」以後、あまりにも有名になったこの数学界最大の超難問「フェルマーの最終定理」への挑戦が始まったが―。天才数学者ワイルズの完全証明に至る波乱のドラマを軸に、3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描く、感動の数学ノンフィクション。

フェルマーの最終定理フェルマーのさいしゅうていり、Fermat's Last Theorem)とは、3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn(Xのn乗+yのn乗=zのn乗) となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない、という定理のことである。フェルマーの大定理とも呼ばれる。

「すごく面白い」と聞いていた作品なのですが、テーマが僕の苦手な「数学」ということもあり、「今度読もう」と思いつつも積みっぱなしになっていました。
このたび、ようやく読了。
「なぜ、フェルマーの定理は伝説化したのか」
「数学という世界の美しさ」
「数学者とは、どういう人たちなのか」


 この本には、イアン・スチュアートが『現代数学の考え方』のなかで紹介した、数学者に関する小話が引用されています。

 天文学者と物理学者と数学者(とされている)がスコットランドで休暇を過ごしていたときのこと、列車の窓からふと原っぱを眺めると、一頭の黒い羊が目にとまった。天文学者がこう言った。「これはおもしろい。スコットランドの羊は黒いのだ」物理学者がこう応じた。「何を言うか。スコットランドの羊のなかには黒いものがいるということじゃないか」数学者は天と仰ぐと、歌うようにこう言った。「スコットランドには少なくとも一つの原っぱが存在し、その原っぱには少なくとも一頭の羊が含まれ、その羊の少なくとも一方の面は黒いということさ」

 天文学をやっている人には「いくらなんでも、俺たちはそんなにアバウトじゃない!」って言われそうですが、「数学者という人たちは、完全な証明がされないうちはどんな主張も認めないことで知られている」そうです。
 そして、具体的な例を挙げていくだけでは、数というのは無限にあるのだから、「すべての場合にそれが言える」と証明したことにはなりません。


 これは、フェルマーの定理と、それに挑んだ人たちのドラマに加えて、「数学の魅力」がたくさんつまっている作品です。
 正直、僕の数学力では、紹介されている公式や解法は、ほとんど理解不能だったのですが、それでも、楽しく読めました。
「こんなわけわかんないことに、一生をかけて向きあっている人たちがいるんだなあ」と、なんだかとても不思議で、心強くもあったんですよね。
 生々しい「ビジネスの世界での成功」「ライフハック」に日々さらされている僕には、とても新鮮に感じられました。
 いや、この本のなかには、「数学」の聖なるところだけではなくて、「学問の世界での功名争いのドロドロした部分」も描かれていて、不遇だった女性数学者や、功績のわりに自国民にすらあまり知られていない日本人数学者(谷山豊・志村五郎)なども紹介されていて、けっして「きれいごと」だけではないんですけどね。
 また、終わりのほうでは、「四色問題」という数学の難問をめぐって、「コンピューターの発明により、『力技』(理論ではなく、コンピューターの圧倒的な計算能力)での証明が行われるようになりつつある」という今後の数学の世界の展望も紹介されています。
 コンピューター将棋がプロ棋士を脅かしつつあるように、「紙と鉛筆、そして頭脳で解決される理系の学問」の最後の聖域のようにみえる数学も、いまや、コンピューター抜きでは成り立たなくなっているのです。

 チョークを握り、黒板に向きなおるワイルズ。証明を完成させる最後の数行が書かれた。三百余年におよぶフェルマーへの挑戦が、いまはじめてなし遂げられたのだ。歴史的瞬間を捉えようと幾筋かのフラッシュが発せられた。ワイルズフェルマーの最終定理を描き終えると、聴衆に向き直って穏やかにこう告げた。「ここで終わりにしたいと思います」
 二百人の数学者たちから祝福の喝采がわき起こった。結末に不安を抱いていた者でさえ、信じられないという顔で笑った。このときワイルズは、三十年来の夢がついに叶ったものと信じ、7年間の孤独の末、ついに秘密の計算を公表できる時が来たと思った。だが、ニュートン研究所が幸福な気分に包まれているそのときにも、悲劇の幕は上がろうとしていたのである。至福の瞬間をかみしめるワイルズは、その場にいたすべての人たちと同様、忍び寄る恐怖の影に気づくよしもなかった。

 僕も「フェルマーの最終定理が証明された」というニュースを聞いた記憶があるのですが、その一報のあと、「ささいな問題点」から、ワイルズ教授の証明は追い詰められ、ギブアップ寸前にまでなったというのは知りませんでした。
 「フェルマーの最終定理の証明」は、いわば、「フェルマーの時代から、現代までに生み出されたさまざまな数学理論の集大成」であり、その証明を行った論文は、100ページをこえるものなのだとか。
 僕には読んでもまったく理解できないと思うのですが、それを世界中の数学者が「検証」して、ワイルズ教授の正しさを認めたというのですから、すごい話です。


 この本のなかでも触れられているのですが、ワイルズ教授の証明は、「フェルマー以降」に生み出されたさまざまな数学の定理を使っているので、おそらく、フェルマーが「余白がないので書けない」と書きのこした「証明」とは別物のはずです。
 となると、フェルマーの頭のなかにあったのは、どんな「証明」だったのでしょうか?
 もちろん、タイムマシンでも開発されなければ、永遠にわからないでしょうけど、そんなことを考えずにはいられません。
 「フェルマーは、もしかしたら、(自分では証明できたと思い込んでいただけで)正しく証明できていなかったのかもしれない」そんな説もあるそうです。
 もしそうだとしたら、なんとも人騒がせであるのと同時に、それがこれだけ多くの人の運命と数学の歴史を変えたのですから、なんとも不思議な話ではありますね。


 「フェルマーの最終定理」は証明されたけれど、数学の世界には、まだまだ多くの「未証明の予想」が残されています。
 人間の「知りたいという欲求」は無限なのだなあ、と、なんだか頼もしくもあり、恐ろしくもありますね。


 最後に、この本のなかで紹介されていた、「ゲーム理論」の問題を御紹介して終わりにします。テストじゃない数学って、なかなか面白いものですね。
 よかったら、ちょっと考えてみてください(答えは「続きを読む」をクリックすると表示されます)。

 ある日、クロ氏とグレー氏とシロ氏は、もめごとを解決するためにピストルで決闘をすることにした。決闘は一人だけが生き残るまで続けることになった。クロ氏はピストルが下手だったので、平均して3回に1回しか的に当たらない。グレー氏はそれよりもいくらかましで、3回に2回は的に当たる。シロ氏はピストルの名手で、百発百中だった。公正を期するため、クロ氏が最初に発砲し、次にグレー氏(彼がまだ生きていれば)、最後にシロ氏(まだ生きていれば)という順番で、一人が生き残るまで続けることにした。問題はこうである。「クロ氏ははじめにどこを狙うべきだろうか」直感にしたがって答えるも良し、ゲーム理論にもとづいて答えるも良しである。


(以下は解答です)

 クロ氏の選択肢を吟味してみよう。まずクロ氏には、グレー氏を狙うという手がある。もしもそれに成功すれば、次にピストルの引き金を引くのはシロ氏である。シロ氏に残された的はクロ氏一人だから、百発百中のシロ氏はクロ氏を狙い、クロ氏は死ぬだろう。
 これよりもマシな選択肢は、シロ氏を狙うことである。もしもそれに成功すれば、次にピストルの引き金を引くのはグレー氏である。グレー氏は、3回に2回の割合で的に当たるだけだから、クロ氏が生き延びて、次の回にグレー氏を狙って勝利する可能性はある。
 こうしてみると、クロ氏の取るべき戦略は後者ということになりそうだ。しかし実は、第三の、もっとよい選択肢があるのである。それは、クロ氏が空に向かってピストルを撃つという手だ。次にピストルを発射するのはグレー氏だが、彼はシロ氏を狙うだろう。なぜならシロ氏の方が危険な敵だからだ。もしもシロ氏が生き残れば、彼はグレー氏を狙うだろう。なぜなら、グレー氏のほうが危険な敵だからである。クロ氏は空に向かってピストルを撃つことにより、グレー氏にシロ氏を殺させるか、もしくはクロ氏にグレー氏を殺させることができるのだ。