琥珀色の戯言

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ルポ 賃金差別 ☆☆☆


ルポ 賃金差別 (ちくま新書)

ルポ 賃金差別 (ちくま新書)

内容(「BOOK」データベースより)
同じ職場で同じ働き方をしていても、賃金に差が生じるのはなぜなのか?労働者の三人に一人が非正規雇用となり、受け取る生涯賃金にも大きな格差が生まれている。本書はアルバイト・パート・嘱託・派遣社員契約社員など「働く人の賃金」に焦点を当て、現代日本の労働問題を考察する。賃金というものさしから、いま働く現場で何が起きているのかを読み解き、現代日本の「身分制」を明らかにする、衝撃のノンフィクション。


この本の冒頭で、こんな事例が紹介されています。

 2009年、外食大手「すかいらーく」の契約社員、前沢隆之さん(32)の過労死をめぐって、正社員並みの損害賠償を払うことで会社と遺族が合意した。前沢さんは2006年3月から同社の店舗で一年契約を更新する非正規の店長を務めたが、残業が月200時間を超えるような長時間労働が続き、2007年10月に脳出血で亡くなった。労働基準監督署は翌年、過労死と認定し、遺族は労働組合(労組)とともに謝罪などを求めて会社と団体交渉を続けてきた。
 遺族を支援した全国一般労働組合東京東部労働組合によると、店長の激務をこなしてきたにもかかわらず前沢さんの年収は約360万円で、同じ勤続年数の正社員の平均年収約450万円の8割にすぎなかった。だが、交渉によって、正社員の平均を基準にした損害賠償額を払うことを会社が了承したという。
 同じ仕事、しかも店長という激務を担いながら、「非正社員」の線が引かれたとたん、賃金は下がり、過労死の賠償額にまで、この分類が影響を及ぼす。仕事の中身ではなく、採用形態だけでこれほど賃金が変わることを周囲も不思議に思わない。これはもはや、ひとつの身分制度だ。しかも、この新しい身分制度の下では、仕事だけはいくらでも上積みされ、高度化されていく。

 同じようなハードな仕事をしていても、「正社員」「契約社員」という立場だけで、給料や保障に大きな差があるケースというのは多々あります。
 この「すかいらーく」のケースでは、「契約社員だからという理由で、賃金を下げられた」ことが問題となっていますが、ファストフード店などでは「正社員であることを理由に、長時間の残業や重い責任を背負わされている、大勢のアルバイトのなかの、たったひとりの正社員」なんていう場合もあるんですよね。
 もちろん著者も、「正社員」=悪、と言いたいのではありません。
 問題なのは、同じ仕事をしている人を「分類」することによって、労働力を安く買いたたき、正社員と派遣社員との「断絶」をはかるシステムなのです。

 取材先の男性社員から、憤然と言われたことがある。「差別、差別と騒ぐが、仕事ができる者の勝ちだ。だから賃金の違いは格差ではあっても、差別ではない。人間はそれぞれ出来が違うのだから格差はあって当たり前。社会主義じゃあるまいし、仕事の違いにかかわりなく、賃金をみな同じにしろとでもいうのか」。
 だが、「養う家族がいないから」「夫や親がいるから」「そのうち結婚して辞めるかもしれないから」「家事や育児との両立のため短時間労働だから」は、仕事の違いではない。非正規社員であるばかりに、または、正社員でも中途採用であるばかりに、生え抜きの幹部社員と異なる賃金体系を最初からつけられ、どんな仕事をしようが一定の賃金や処遇に天井を設けられるとしたら、それはすでに、「できる者が勝つ」世界ではない。「格差」ではなく、「差別」たるゆえんだ。

しかしながら、この本には、「24時間、いつ呼び出されても文句が言えない仕事」をしている僕にとっては、なんか納得しかねるような事例も紹介されています。

 井上さんがカフェを始めたのは、2009年4月のことだった。東京大学を卒業後、京大大学院で美学を専攻し、イタリア語などを学んだ井上さんは、修士課程を修了した2003年以降アルバイト生活を続け、2005年、文学部の図書館で専門書の目録づくりなどを担当する「時間雇用職員」に採用された。自給1000円、週30時間労働で、年収は150万円に届かず、契約は1年単位で更新される不安定な非正規職員だ。「時間雇用職員」の賃金は、大学の裁量で、自給900円、1000円、1100円、1200円といったランクがあった。
「割に合わないな」とは思ったが、大学図書館では、司書関係の職員の半数がこうした非正規職員だ。正職員の半分以下の賃金であっても、似たような働き方の職員が周囲にはうようよいる。そんな状況の中で、深く考えることもなく応募した。学生の多い京都の町には月に2万円足らずの家賃のアパートもあり、生活レベルを落とせば食べてはいける。本に囲まれたゆったりとした環境で暮らせれば、それで十分という気分だった。

 この井上さん、働いていたプロジェクトが予定より早く打ち切りになるかもしれない、ということに対して「短期契約にも、働く側には生活がある」と2008年に労働組合をつくった直後に契約を打ち切られたそうです。
 その後、他の学部で働いていたものの、「京都大学の時間雇用職員は、契約の更新限度は5年までとする」という決定がなされ、その撤回を大学側に申し入れたところ、井上さんの雇用は、ここでも打ち切られました。


 井上さんたちは、2009年2月から、「首切り職員村」というのを大学構内につくって抵抗、結局、この事例は、裁判となりました。


 2011年の京都地裁での判決は、井上さんたちの全面敗訴。
 判決文にはこうあったそうです。

 原告らの労働契約は、一週間当たりの労働時間が30時間を超えないことを想定したものであり、時給も補助的な職務内容であることを考慮した金額に設定されている。このような労働は、家計補助的労働と呼ばれるもので、労働契約が更新されなかった場合には労働者の生活が崩壊するというようなことを想定しなければならない類型の労働とは言い難い。


 うーむ、率直に言うと、僕はこの井上さんたちの主張には、あまり共感できないんですよね。
 だってさ、「給料が安くても、不安定でもいいから、自由な時間の多い、ゆったりとした環境で暮らしたい」から、この仕事を選んだにもかかわらず、その「不安定さ」が露呈したとたんに「話が違う!」って言うのは、あまりにも自己中心的な気がするから。
 著者は、この判決に対して、井上さんの気持ちを尊重せず、「東大まで出ているんだから、その気になれば仕事だってあるはず」と言っていると批判しているのですけど、僕も裁判長と同じことを思わずにはいられませんでした。
 正社員も派遣社員もみんな、それぞれの理不尽に耐えながら生きているのは同じ。
 ……でも、この本を読んでいると、「やっぱり正社員は優遇されているのかな」と感じたところも多いんですけどね。
 正社員は、派遣社員を「お前らは辞めたいときに辞められて、自由でいいよな」と羨み、派遣社員は、「自分よりも働いていない人が、正社員というだけで優遇されている」のが許せない。
 その「精神的な分断」から逃れるのは、かなり難しいような気がするのです。……実感として。


 この新書では、大阪の「近畿運行管理センター」では、同じ仕事をしているにもかかわらず、賃金差別があるということで、正社員と臨時運転手が協力して会社を訴えた事例が紹介されています。
 その結果、どんなことが起こったかというと……

 だが、2002年の地裁判決は敗訴だった。
 判決では、臨時社員は、臨時便に対応するものなので本来は本務者より軽い仕事であるとされ、また同じ仕事をしていたとしても、正社員の賃金は年功で決められ臨時社員の賃金は、それとは別の賃金相場で決められるもので、同一賃金原則は妥当しないとし、労働契約の内容が異なるのだから、賃金が異なっているのは妥当とされた。原告らの仕事の実態ではなく、「どのように位置づけられた仕事か」を判断基準にし、賃金の決定方式や労働契約内容が異なれば、差があるのはやむをえないとする判断である。
 最高裁でも原告らの上告は棄却され、この判断は確定した。違った賃金体系を採用し、異なる契約を結べば、行っている仕事が同じでも差は容認される、ということなら、雇う側が決めた賃金体系や契約内容に逆らう手段がなくなるに等しい。
 正社員も安泰ではなかった。2001年、それまでより30%安い価格で輸送委託を引き受ける運輸会社が出てきたことを機に、正社員運転手への賃金引下げが始まった。会社は、休憩時間を1時間から3時間に拡大した。一見、休憩が延びて有利に見えるが、拘束時間のうち労働時間が占める割合が減り、仕事内容は同じなのに残業代がつかず減収となる仕組みだ。つまり、8時間労働、1時間休憩で9時間拘束され、夜2時間は残業代つきで11時間働いていた社員が、8時間労働プラス3時間休憩となったことで、同じ時間働いても残業扱い部分がなくなるということだ。
 病気休暇もなくなり、労組の試算で、年85万〜110万円の減収となった。会社の業績は好調だったにもかかわらずの条件の切り下げに、成田さんら有志は、一方的な労働条件の不利益変更だとして提訴した。「手当の削減は、非正規運転手との格差の是正だと言われた」と成田さんは苦く笑う。
 非正規社員からの差別是正の訴えが法廷で棄却され、抑えられた非正規社員の水準に合わせて、「差別是正」の名の下に、会社側が正社員の賃金水準を下げる。そんな事態が進行していた。

 これは本当にひどい話です。
 でも、「差別をなくす」という名目で、みんなが平等に不幸になるように「是正」してしまうという話、最近もどこかで聴いたような……
 結局のところ、弱い立場の者どうしが、うまく「対立」させられ、利用されている、ということなのですよね。
 とはいえ、いまの状況では、日本の企業もそんなに余裕があるとは思えないし、「労働条件を改善しろ!」というのも、憚られるような雰囲気ではあります。
 ほんと、こんな世の中になって、いったい誰が得をしているのでしょうか?
 

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