琥珀色の戯言

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将棋名人血風録 ☆☆☆☆


内容紹介
将棋名人四〇〇年を迎える将棋界。伝統ある名人のすべてを紹介すると同時に著者自ら「変人名人」として話題になった。歴代名人の知られざる一面が分かる。


内容(「BOOK」データベースより)
1612年、江戸幕府徳川家康が大橋宗桂に俸禄を与え、「将棋名人」が誕生して400年。現在まで「将棋名人」の名を引き継いできた。世襲制から実力制が始まり名人戦は数々の“事件”と“伝説”を残してきた。本書は実力制第6代の名人の著者が歴代棋士たちと繰り広げた時代を回想、奇抜な将棋棋士たちの知られざる姿を改めて綴る貴重な一冊である。


僕は(弱いですが)将棋というゲームが好きですし、その世界で「勝つこと」をひたすら追求している「棋士」たちにも興味があるのです。
この新書も、書店で見かけて即買いしました。
「あの加藤一二三先生」が、歴代名人たちのエピソードを紹介する本なんて、僕にとっては、「ど真ん中」ですから。


『勝負哲学』という、前サッカー日本代表監督の岡田武史さんと、棋士羽生善治さんの対談本のなかに、加藤一二三さんのこんなエピソードが紹介されています。

羽生:これは余談ですが、加藤一二三先生は対局中に立ち上がって、実際に相手の向こうへ回りこんで、仁王立ちで相手の背中越しに盤をにらむことをします。


岡田:はは。ただ、それはどうなんですか、かまわないんですか。マージャンとは違って手を盗み見るわけじゃないから、別にいいのか。


羽生:マナー上、かまわないというわけでもないんですが、加藤先生だから仕方がないということになっています(笑)、しかし、そうまでしても中立の目を欲しがる気持ちはよくわかりますね。頭の中で盤をひっくり返すより、実際に、反対側から見たほうがわかりやすいですし。

羽生さんが、さりげなく、加藤先生「だから」と言っているところに、「ああ、加藤先生の奇行は、これだけじゃないんだな」というのがうかがわれます。


この新書のなかには、実際に加藤先生が闘ってきた「実力名人制」以降の名人たちを中心に、将棋界のさまざまなエピソードが紹介されています。
加藤先生は、1950年代から2000年代まで、順位戦A級(ここで1位になれば、名人に挑戦できるクラス)の座を保ち続けた唯一の棋士であり、「木村義雄名人以降の11人の名人たちと、直接対戦したことがある、唯一の現役棋士」なのだそうです。

 さて、実力名人制のスタート以来、名人位に就いた者はこれまで11人を数える。就位順に名前をあげると、木村義雄塚田正夫大山康晴升田幸三中原誠加藤一二三谷川浩司米長邦雄羽生善治佐藤康光丸山忠久森内俊之となり、このうち、木村、大山、中原、谷川、森内、羽生の六人は、通算五期で名乗ることができる「永世名人」の資格を得ている。
 じつは私は、木村さんをはじめとする11人の名人――私を除く――全員と実際に対局した経験を持っている。そんな経験をしているのは、おそらく現役棋士のなかでは私ひとりではなかろうかと思う。訊ねてみたことはないが、11人の名人のなかにも全員と戦った人はいないのではないか。
 私自身が名人戦に出場したのは四回である。しかし、副立会も含めて立会人を何十回も務めたし、同時進行の大盤解説も担当していたことも多数ある。
 それ以外のときは実際に対局場に行って研究をしていた。したがって、少なくとも昭和33(1958)年度以降の名人戦のすべてを、いわば当事者のひとりとして私はつぶさに見ていることになる。

まさに、加藤先生ほど、この本を書くのに適した人は、他にはいないだろうな、と思います。

 私も自分のとった行動が、意図に反して盤外戦ととられたことがある。
 東京・千駄ヶ谷にある将棋会館のエアコンの暖房は若干音がする。私はそれが気になるので、冬場に会館で対局が行われたとき、対局室に電気ストーブを持ち込んだことがあった。相手も寒いだろうと思ったので、等分に熱がいくようなところにストーブを置くと、意外にも相手にきつい表情で言われてしまった。
「顔が熱いからやめてください!」
 その棋士は私が盤外戦を仕掛けていると受け止めたのだと思う。これがほかの棋士に伝わったらしく、次に三浦弘之八段と順位戦で対局したとき、彼は「今日は私もこの電気ストーブを使わせてもらいます」といって、自分用にもうひとつストーブを用意していたのである。
 もうひとつ、エアコンを使うとき私は室温を22度に設定する。それが私にはいちばん快適なのだ。ところが、10分後、「暑いな」と思ってスイッチを見ると、いつのまにか設定が25度に変えられている。それで私が22度に設定し直すと、10分後にはまた……ということが時々ある。むろん、対戦相手がいつのまにか25度に設定し直しているのである。対局中はおたがい「温度を変えます」とは口にしにくい。そこで無言のやりとりが続くことになるというわけである。
 もうひとつつけ加えると、私には「盤の位置にこだわる」という伝説がある。将棋盤というものは、部屋の中央に置くのがどこから見ても安定すると私は信じている。安定していれば私は気持ちよく戦えるし、相手もそうだろうと思う。だから、対局室に入ったときに盤が中央に据えられていない場合は動かすようにしている。

この新書を読んでいると、棋士たちの盤上での闘いの凄まじさとともに、「盤外戦」にも驚かされます。
将棋に対してだけでなく、将棋を指す環境にも、こんなにこだわっているなんて!
エアコンの音くらい、関係ないんじゃないか、とも思うし、盤の位置なんてなおさらです。
おたがい、いい年の大人なんだし、ちょっとどちらかがガマンしたり、話し合えばすむことなんじゃないか、とも思うのですが、そこで妥協しないのが「勝負師のこだわり」なのでしょうね。

 たとえば、大山さんは、相手が中座したときに座布団のへこみ具合を見たという。そうすることで相手の心理状態を察するのだと語っていた。私なりに想像すれば、たとえば苦しいと思っていれば、否が応でも前かがみになって考えるから、座布団の前のほうがへこんでいる。そういうことを大山さんは言いたかったのだと思う。
 また、これも二上さんが「人づてに聞いた話だが」と断って述べていたことだが、二上さんとタイトル戦を戦うことになったとき、大山さんは好きだった煙草をやめたそうだ。
二上は酒は呑むが、煙草は吸わない。自分は酒は呑まないが、煙草を吸う。だから、自分が煙草をやめれば、酒を呑む分だけ二上が不利になる――」
 大山さんはそう考えたのだという。
「大山さんは勝負のためには自分のすべてを制御できる人だった」
 二上さんはそう述べていたけれど、私も大山さんのそうした姿勢、言い換えれば勝つことに対するあくなき執念が、大山さんの強さの一端を支えていたと思っている。

大山康晴先生のこのエピソードなど、「どこまでが本当なのかわからない」としか言いようがありません。
「大山さんは、そこまでやる人だ」というイメージこそが、大山さんの武器だったのかもしれません。
みんなすごく頭の良い人たちなのに、あんまり科学的だとは思えないような「ジンクス」にこだわらずにはいられない。
将棋の世界というのは、ここまで「勝つことへの執念」を持っていなければ、名人にまで達することはできないんですね……


この新書を読んでいて感じるのは、加藤先生もまだまだ「現役の棋士」として、勝負へのこだわりを持ち続けている、ということでした。

 タイトル戦で激突した多くの棋士が大山さんに勝てなかったのは、いま思うと大山流の振り飛車に対して、棒銀を指さなかったからである。
 振り飛車は、そびえる岩ではなく、棒銀を巧妙に差せば右辺からだけの攻めで十分に戦えたのだ。
 私も棒銀を徹底しなかった。いまの知識があれば、健闘できたはずである。
 長年、棒銀を指し続けてきたが、進歩が全くないわけではない。

大山先生は、もう鬼籍に入っておられるのですが、それでも加藤先生は、こんなふうに、昔の将棋のことを思い出さずにはいられない。
「人間は、忘れることができるから、日々生きていける」というような歌詞がありましたが、「忘れることができない記憶力」を持った棋士たちの頭脳には、たくさんの後悔も詰まっているのでしょうね。


これを「すごい!」と感動するか、「天才っていうのは、やっぱり変な人が多いんだなあ」と呆れるかは人それぞれだと思うのですが、将棋好き、棋士好き、あるいは「勝負の世界」が好きな人には、たまらない新書です。

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