琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

ヒミズ ☆☆☆☆


ヒミズ コレクターズ・エディション [DVD]

ヒミズ コレクターズ・エディション [DVD]

【STORY】
住田祐一、茶沢景子、「ふつうの未来」を夢見る15歳
だが、そんな2人の日常は、ある“事件"をきっかけに一変。
自ら未来を捨てることを選んだ住田に、茶沢は再び光を見せられるのか ──。

DVDで鑑賞。原作マンガは未読。
最後まで観て、正直、「これでいいのか?』と思った。
これは「救い」なのだろうか?
そもそも、世の中の大部分の「住田くん」には、おせっかいな「茶沢さん」なんていない。
誰も、助けてくれないし、構ってもくれない。
そもそも、「住田くん」と「茶沢さん」だって、純愛というよりは、「共依存」の関係なのだ。
今の世の中では、「共依存」こそが、唯一の「純愛」なのかもしれないが。


世の中に対して、斜に構えて生きてきた、というか、そうせずにはいられなかった住田くんは、ある事件がきっかけで、「現実」と向き合わざるをえなくなってしまう。
「普通がいちばん」「目立たずに生きる」ことがモットーだった彼は、大人から「現実」をつきつけられ、「オレはお前等とはちがう、すごい人間なんだ」と言い返す。いまの世の中で、「平凡に生きる」ことが許される人というのは、本当は、そんなに多くはないのだ。


彼は「世直し」をしようとするけれど、成敗すべき「悪」が何なのか、よくわからない。
通り魔のような「突然の暴力」や、「キレやすい若者」がいて、彼らの被害に遭ってしまう人たちがいて。
でも、この映画を通してみると、「夢」とか「希望」とか「社会の規範」とか、「人の不幸に乗じて、賢くお金を稼ぐこと」とか、世界は、絶望している人間の怒りや悲しみを増幅するトリガーに満ちあふれているのだ。
夢を語られることで傷つかざるをえない人間だって、この世界には存在する。
だからといって、自分が被害者になっても「許す」わけにはいかないのだけれど。


ラストを観ながら、なんだか少し泣けてきた。
あの園子温監督が、こんなふうにこの映画を終わらせたのは、きっと、「それが映画として正しいから」じゃなかったのだと思う。
映画としては、普通だし、カッコよくもない。
でも、あんなふうに叫ばせずには、いられなかったのだ。
この映画を観ている、たくさんの「住田くん」たちに向けて。
ある意味、ベタベタだし、現実はもっと絶望的なんじゃないか、という気もする。
そして、だからこそ、スクリーンの中から現実に向けて、そして、絶望のなかから、未来に向けて、泣きながら、息を切らせながら、フィクションの登場人物たちはリアルに向けて、あの言葉を投げ掛けたのだ。


思ったほど、すごいことが起こる映画じゃないし、ある意味、園子温監督らしくない映画のような気もする。
だからこそ、園子温監督が「らしくない映画」を撮ったこと、あるいは、撮らずにはいられなかったことについて、僕は考えてしまうのだ。
あまりに大きな絶望は、人に、言葉を失わせ、「あたりまえのこと」しか言えなくなってしまうこともある。
それでも、その「あたりまえのこと」を叫ばずにはいられない。


もし、あの中学生が、この映画を観ていたら、彼の選択は、変わっていたのだろうか?
僕は、そんなことを考えてしまいます。
そんなことを想像することそのものが傲慢なのではないか、と自問自答しながら。

アクセスカウンター