琥珀色の戯言

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【読書感想】ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて ☆☆☆☆


ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

内容説明
「特権をむさぼる在日朝鮮人どもを日本から叩き出せ!!」
聞くに堪えないようなヘイトスピーチを駆使して集団街宣を行う、日本最大の「市民保守団体」、在特会在日特権を許さない市民の会 会員数約1万人)。
だが、取材に応じた個々のメンバーは、その大半がどことなく頼りなげで大人しい、ごく普通の、イマドキの若者たちだった・・・・・・。
いったい彼らは何に魅せられ、怨嗟と憎悪のレイシズムに走るのか。
現代日本が抱える新たなタブー集団に体当たりで切り込んだ鮮烈なノンフィクション。
彼らはわれわれ日本人の“意識”が生み出した怪物ではないのか?
彼らがネットとともに台頭してきたのは確かだが、この現象には、もっと大きな背景があるのではないだろうか。
著者・安田浩一氏の徹底取材はこうした疑問から始まった。


2010年末から2011年にかけて、ノンフィクション雑誌「G2」に掲載され、大きな反響を呼んだ傑作ルポルタージュ、待望の単行本化。


実はこの本を読むまで、僕は「在特会」(在日特権を許さない市民の会)の存在を知りませんでした。

 在特会は、「在日コリアンをはじめとする外国人が」「日本で不当な権利を得ている」と訴えることで勢力を広げてきた右派系市民団体だ。インターネットの掲示板などで”同志”を募り、ネット上での簡単な登録ながらも会員数は1万1000人を超える。朝鮮学校授業料無償化反対、外国籍住民への生活保護支給反対、不法入国者追放、あるいは核兵器推進など、右派的なスローガンを掲げて全国各地で連日デモや集会を繰り広げている。

いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる、嫌韓、嫌中国の過激な発言をネットで繰り返す人には、あまり好感は抱いていませんでしたが、この本を読んでいると、「在特会」が該当で行っているヘイトスピーチの数々に、なんだかいたたまれなくなってくるのです。

「ゴキブリ朝鮮人を日本から叩き出せ!」
「シナ人を東京湾に叩き込め!」
「おい、コラ、そこの不逞朝鮮人! 日本から出て行け!」
「死ね!」

こういう発言は「差別的」を通り越して、「むしろ、あなたたちの方こそ、日本人としてのプライドがあるのか?」と問いかけたくなるものではあります。
いわゆる「在日特権」と呼ばれているものについても、この本の記述によれば「日本に生まれ、日本国籍を持っている者」ならば、みんなが当たり前のように持っている権利の一部を容認されている」ものですし。
そもそも、彼らがよく使うロジックである、「在日が国から援助を受けているおかげで、経済的に苦しい日本人が3万人も首を吊っている」というのも、在日コリアンを攻撃するより、「日本国政府に『困っている人たちを助けてくれ』とアピールすべき」ではないか、とも感じます。


でも、この本を読んでいると、在特会のような組織が、これだけの力を持ち、大声でヘイトスピーチを叫べるのも、それを支援する人や、支援まではしなくても、面白がって傍観してくれる人たちのおかげなのかも、と思えてきます。
「ウケる」ためにヘイトスピーチが役に立つのだ、と口にする会員もいます。

綺麗な言葉では、誰も見向きもしてくれない。
あんな汚い言葉を使うのも、それが気になった人がネットで検索をして、自分たちの主張に興味を持つきっかけになればと思っているから。


「より強い言葉」「より派手な行動」
より過激な「見世物」を、ネットユーザーは喜びます。
ふだんは、「おとなしい、他人の話を黙ってきいているだけの人」でさえ。


いや、僕もそれは同じなんですよ。
「炎上」が起これば、それを嬉々として「分析」してみたりして。
燃えているのが自分でさえなければ、「炎上はネットの華」。


「目的は手段を正当化する」
しかし、「在日」を排除することによって、日本がそんなに良くなるのでしょうか……
この本のなかでも、何人かの右翼の活動家が「いちばん『在日特権』を振りかざしているのは米軍だろ」と言っています。
そしてもちろん、在特会は米軍に向かって「ゴキブリ」「死ね」なんて罵声をあびせることはありません。
この本の内容からは、在特会で実際に核として活動しているメンバーは、「エリートとして生きている人」ばかりではないようです。
むしろ、そうではない人のほうが多い。
なんだか、「自分たちが受けてきたイジメを、わかりやすい『仮想敵』に対してやり返しているだけ」のようにも見えます。


「日本人であること」は、そんなに偉いことなのか?
生まれた国が偶然日本だっただけではないのか?
そもそも、「日本が良い国」であるからといって、個々の「日本国民」が偉いということになるのか?
もし、自分の武器が「日本国籍を持っていること」だけだったら、悲しくないの?
(実際、日本人であることは、いろいろと恵まれていることは事実なんですけどね。たぶん、世界でもっとも多くの国に平和に渡航できるパスポートも取れるし)

「要するにですね」
 そこで米田は一呼吸置くと、私を正面に見据えたうえで一気呵成にまくしたてた。
「我々は一種の階級闘争を闘っているんですよ。我々の主張は特権批判であり、そしてエリート批判なんです」
 このときばかりは米田の表情から穏和な色が消えていた。顔には険しさが増し、目の奥には憎悪が光っていた。軽く怒気を含んだような声で米田は続けた。
「だいたい、左翼なんて、みんな社会のエリートじゃないですか。かつての全共闘運動だって、エリートの運動にすぎませんよ。あの時代、大学生ってだけで特権階級ですよ。差別だ何だのと我々に突っかかってくる労働組合なんかも十分にエリート。あんなに恵まれている人たちはいない。そして言うまでもなくマスコミもね。そんなエリートたちが在日を庇護してきた。だから彼らは在日特権には目もくれない」
 ここで「階級闘争」なる言葉が飛び出してくるとは予想もしなかったが、言わんとすることはわかる。つまり彼らは自らが社会のメインストリームにいないことを自覚しているのだ。自分たちを非エリートと位置づけることで、特権者たる者たちへの復讐を試みているようにも思える。

僕自身もネットでいろいろ書いていて、「ネットサヨク」と呼ばれるような知識層への幻滅を感じることが多々あります。
彼らは「正しいこと」を言っているのかもしれないけれど、それはなんだか、「神の立場」からの御神託のようにしか思えないことが多くて。
「お前らは偏差値が低いから、こんな簡単なことがわからないんだ」
「自分たちが正しいことを教えてやるから、手を汚して実行するのはお前らの仕事」
みんながみんなそうではないとは思います。
でも、「ネットサヨクの世界」は、「高学歴で頭が良い人たちしか、入っちゃいけないサロン」みたいに見えることが僕にはあるのです。


僕は在特会の主張を支持する気は全くありませんが、「根拠や理念に乏しく、ただ激しいヘイトスピーチを大声でやったもの勝ちという組織」というのは、「インテリたちのサロン」から疎外された人々にとっては、けっこう魅力的なのではないか、とも感じるのです。
「差別は悪い」なんてことはわかっているのだけれども、いまの「差別のない社会」では、いつまで経っても、自分はこのまま「底辺」なのではないか?

 では、既存の右翼組織ではダメなのか。何も在特会でなくてもいいはずだ。保守政治家に期待できないのであれば、過激さという点では既存の右翼組織だって十分に、その期待に応えることができるのではないか。しかし藤田はこの問いに対しても、明確に「NO」だと答えた。
「普通の人間が怒るからこそ、世の中は変わっていくんですよ。右翼が、これまで政治を変えることができましたか? 黒塗りの街宣車で騒いだところで、これまで何も変わってこなかったんですから」

著者によると、在特会の運動というのは「秋葉原界隈に普通にいそうな若者たちが集団となって激しい罵声を投げつける」ものなのだそうです。
そして、「そういう光景のほうが、(いかにも、という右翼が街宣車で乗りつけてくるよりも)よほど不気味だろう」と。
「普通の、おとなしそうな人」たちが、聞くに耐えないような酷い言葉を発する様子というのは、たしかに「観ている側にとっても、心がざわつく」ものではありますよね。
なぜ、この人たちが、こんなことを口にしているのだろう?って。


ネット社会は人と人の距離を縮め、直接のコミュニケーションを可能にした……はずでした。
しかしながら、実際に生まれてきたのは、「ネット社会の孤独」だったのです。


鴻上尚史さんが、『SPA!』の「ドン・キホーテのピアス」に、こんなことを書かれていました。

 インターネットの時代になって、自意識が数値化されるようになりました。僕の二十代、否定だけを居酒屋で語り続ける奴は、周りからただ無視されたり嫌われたりしましたが、現在のように「コメント(0)」とか、一日のヒット数が表示されるなんていう、「数字によって冷酷に知らされる孤独」なんてものがありませんでした。えらいこってす。

もしかしたら、「ネットウヨク」も「ネットサヨク」も、本当に求めているのは「世の中を変えること」じゃなくて、「自分をみとめてくれる誰かとつながること」なのではないかなあ。
本当に世の中を変えたいのであれば、もっと「多くの人に伝わりやすい言葉や表現」を選ぶはずだもの。


この本のなかに、元在特会会員の、こんな述懐が紹介されています。

「僕らが持っていないものを、あの連中(在日のこと)は、すべて持っていたような気がするんです」
 守るべき地域。守るべき家族。守るべき学校。古くからの友人ーー在特会と対峙する在日の姿から、そうしたものが浮かび上がってきた。
「考えてみたんです。僕らは市民団体を名乗っているけど、地域の人間とともに立ち上がることができるのか。家族とスクラムを組んで敵とぶつかることができるのか。そもそも出身小学校のために駆けつけることができるのか。すべてNOですよ。僕らはネットで知り合った仲間以外、そうした絆を持っていない。僕はそれに気がついた瞬間、この勝負は負けだなと確信しました」

人間って、自分がいちばん嫌っているつもりのものを、心の奥底では求めているのかもしれません。

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