琥珀色の戯言

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【読書感想】冥土めぐり ☆☆☆


冥土めぐり

冥土めぐり

内容紹介
あの過去を確かめるため、私は夫と旅に出た――裕福だった過去に執着する母と弟。彼らから逃れたはずの奈津子だが、突然、夫が不治の病になる。だがそれは完き幸運だった……著者最高傑作!

ああ、読みやすい、そしてわかりやすい。
最近の芥川賞受賞作のなかでは、一二を争うリーダビリティではなかろうか。
でも、僕はこれを読んでいて、なんだかずっとモヤモヤしていたというか、イライラしていたのです。
「この主人公、何が楽しくて生きているんだ?」
病気の夫は致し方ないとしても、「昔の栄光」にすがってばかりの母親と、見栄をはるばかりで主人公にたかってくる弟。
僕は読みながら、「さて、いつこの主人公は、卵を投げ始めるのだろう?」あるいは「背中を蹴っ飛ばすのだろう?」と思っていました。
しかしながら……

 母親はきっとまだ自分がお姫様にでもなれると思っている。タダで、何回も、の待遇が当たり前の、祖父が生きていた頃の時代がまたやってくると信じている。それが叶わないと思うと、またわあわあ泣くのだろう。
 そして奈津子は思うのだ。自分は母親から離れられないだろう、と。この人は、知恵が足りないし、非力すぎるから、一人では生きていけないだろう。気に入らないことがあると、少女のようにわあわあ泣いて、いつまでも誰かが解決してくれるのを待っているに違いない。その誰かというのはきっと自分なのだ。
 弟は、といえば、彼もまた自分を不幸だと思っていた。しかし彼はまた、不幸ゆえ、自分が選ばれた人間であり、人並みはずれた偉業を成し遂げるに違いないと思い込んでいるのだった。
「家に金さえあれば」いつも彼は言った。「母親が俺を留学させてくれる金があれば、俺はいつだってすごい人間になれる。俺は、チャンスさえあればなんにでもなれる」
 彼は興奮していつもそう言った。だが本当に不幸なのは、ぼんやりとしたそのすごい人間、すごい世界、にいつまでも憧れており、そこに存在しない自分が不当で仕方ない、正義でないと思っていることに違いない。


この主人公は、自分の状況をなんとか受け入れて生きている。
いままでも、たぶん、これからも。
多少、気持ちの波があっても、「そういうふうにしか、生きられない」。
たぶん、世の中には、こういう人、こういう家族は少なからずいるのでしょう。
なんだか、現在大ヒット中の『置かれた場所で咲きなさい』を読んでいるような気分になったんですよね。


芥川賞の選評で、島田雅彦さんは、この作品について、こんなことを書いておられました。

一人の労働者が三人の無産者を養わなければならないという今日の日本が置かれた状況のリアルな寓話


主人公は科挙の合格者の超エリートなどではなく、ごく普通の、パートでなんとか生計を立てている女性なのです。
にもかかわらず、彼女の母親や弟に、精神的にも経済的にも「食い物」にされている。


僕はこの作品を読む前に、『文芸春秋』で、鹿島田真希さんの受賞者インタビューを読んでいました。
鹿島田さんはキリスト教正教会の信者だということで、そういう宗教的なバックボーンがこの作品に流れているということなら、この主人公の「受難」も理解はできます。
僕などは、すぐに「奈津子は、なんでこんな割にあわないことをやっているんだ……」と呆れたり、怒ったりしてしまうのですけど、「これはそういうものというか神からの試練のようなものであり、割にあうとかあわないとかいう問題ではないのだ」と考えるのも、ひとつの「救い」なのだろうか。


「受賞者インタビュー」で、鹿島田さんはこんなことを仰っておられます。

 理不尽を理不尽として書くだけではなく、理不尽を受け入れるところまで書いたのがこの作品における自分の成長だったかなと思います。理不尽を受け入れられる人というのはどういう存在なのかを具体的な人間像として描いたことが。

 人間がすごく不幸なのは、国家や社会規模の”公的な不幸”を抱えながら、一人一人に固有の”私的な不幸”を抱えているところです。その公的な不幸と私的な不幸の比重というのは同じだと意識することが、うまく生きるコツかなと私は思います。たとえばいま、東北の震災がニュースで採り上げられたかと思うと、いじめで自殺する子どものニュースが報じられます。この二つの不幸は同じ比重だと考えるべきだと私は思うんです。不幸の大きさは、公的であろうと私的であろうと変わりません。
 私的な不幸を、「たいしたことないから」とか「もっと大変な人がいるから」などといって忘れたことにして乗り越えようとするのは違います。「自分の悩みは結構深刻な問題だぞ」と自覚するのは意外と大切なことで、私的なことだからと人に相談したりSOSを発するのは恥ずかしいとは思わないほうがいい。大人でも子供でもいっしょです。

この話には、なるほどな、と思いました。
あの震災以降、僕などは、自分の小さな不幸そのものに落ち込み、「震災で苦しんでいる人たちが大勢いるのに、自分はこんな小さな不幸で落ち込んでいる」ということで、さらに自分を責めてしまうことがあったので。


「奈津子のような生き方」が正しいのかどうか、僕にはよくわかりません。
というか、やっぱりこんなのおかしい、という気持ちのほうが大きいのです。
でも、こういう生き方をしなければならない「現実」を抱えている人にとっては、この作品は「救い」になりうるのかもしれませんね。
「そんな身内、見捨ててしまえ」
ネットではそう言えても、実生活ではなかなかそんなふうに思い切ることは難しいから。

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