琥珀色の戯言

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【読書感想】愛着障害 ☆☆☆☆


愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

出版社/著者からの内容紹介
●人に気をつかいすぎる
●親しい関係が苦手
●依存してしまいやすい
発達障害と似たところがある
●意地っ張りで損をする
その裏側には愛着の問題がひそんでいる!


◎人は、生まれるとすぐに母親に抱きつき、つかまろうとする。子どもが成長するうえで、母が子を抱っこすることは、乳を与えることと同じくらい重要なのである。いくら栄養を与えても、抱っこが不足すれば、子どもはうまく育たない。
抱っこをし、体を接触させることは、子どもの安心の原点であり、愛着もそこから育っていく。抱っこをすることで、子どもから母親に対する愛着が生まれるだけでなく、母親から子どもに対する愛着も強化されていく。何らかの理由で、あまり抱っこをしなかった母親は、子どもに対する愛着が不安定になりやすく、子どもを見捨ててしまうという危険が高くなることが知られている。

「愛着」とは何なのか?
僕は正直、大人の性格や行動パターンを、「幼少期の環境」とか「トラウマ」だけで説明しようというのには、違和感があるんですよね。
そんなの言い訳なんじゃない?って。
しかしながら、この本を読んでいると、「やっぱり幼少期の環境っていうのは、けっこう影響があるのかもしれないな……」と考えずにはいられなくなってくるのです。


著者は、こんな「実験的な子育て」を紹介しています。

 かつて、進歩的で合理的な考えの人たちが、子育てをもっと効率よく行う方法はないかと考えた。その結果、一人の母親が一人の子どもの面倒をみるのは無駄が多い、という結論に達した。それよりも、複数の親が時間を分担して、それぞれの子どもに公平に関われば、もっと効率が良いうえに、親に依存しない、自立した、もっと素晴らしい子どもが育つに違いないということになったのである。
 その「画期的な」方法は、さっそく実行に移された。ところが、何十年も経ってから、そうやって育った子どもたちには重大な欠陥が生じやすいということがわかった。彼らは親密な関係をもつことに消極的になったり、対人関係が不安定になりやすかったのである。さらにその子どもの世代になると、周囲に無関心で、何事にも無気力な傾向が目立つことに、多くの人が気づいた。
 これは、イスラエルの集団農場キブツで行われた、実験的とも言える試みの教訓である。効率本位の子育ては、愛着という重要な課題を、すっかり見落としてしまっていたのである。こうした弊害は、幼い子どもだけでなく、大人になってからも不安定な愛着スタイルとして認められた。ただし、同じようにキブツで育っても、夜は両親と水入らずで過ごしていた場合には、その悪影響はかなり小さくなることも明らかになった。
 この「実験」の結果は、愛着における不可欠な特性の一つを示している。それは、愛着の対象が、選ばれた特別の存在だということである。これを「愛着の選択性」という。愛着とは、ある特定の存在(愛着対象)に対する、特別な結びつきなのである。愛着対象は、その子にとって特別な存在であり、余人には代えがたいという性質をもっている。特別な存在との間には、見えない絆が形成されているのである。それを「愛着の絆」と呼ぶ。

このやり方、「合理的」ではありますよね。
親は「自分の時間」が持てるし、子どもは「いろんな大人から、吸収することができる」はず。
ところが、これはうまくいかなかったのです。
何十年も経ってからの「影響」というのが、幼少期の体験とどのくらいの因果関係をもっているのかはわかりませんが、少なくともこの本のなかで紹介されているかぎりでは、「子どもにとっては、自分の親と過ごす時間が重要」だったのです。


この本によると、子どもの愛着パターンは、おおむね4つに分かれるのだそうです。
「安定型」「回避型」「抵抗/両価型」「混乱型」で、「安定型」以外の3つのタイプは「不安定型」。
そして、「実の親のもとで育てられている子どもでも、3分の1の子どもが不安定型の愛着を示す」のだとか。
著者は、「カップルのどちらかが不安定型愛着を抱える可能性は、5割を超える」と述べています。
たしかに、「3分の1が不安定型」なら、そういう計算になりますね。
もちろん、「安定」「不安定」の境界は、そんなにクリアカットなものではないと思われますが。


この本を読んでいると、やっぱり、「子供の頃の環境」って大事なんだなあ、と考えずにはいられません。
この本の「愛着スタイル分類」を読んでいて、「ああ、僕はまさにこの『回避型』だなあ」と思いましたし。
ちなみに、「回避型」について、著者はこんなふうに説明しています。

 回避型愛着スタイルの特性が、顕著に表れるのは、恋愛や家族との愛情が試される場面である。
 回避型の人の恋愛には、どろどろしたものを嫌う、淡白なところがあり、相手との絆を何としても守ろうとする意志や力に乏しい。

ああ、これ僕だ……
そういうところは、「他人の痛みに共感していない」ように、外からは見えてしまうようです。
もっとも、こういうのって、「回避型だから、しょうがないだろ!」って宣言すれば許容されるというものでもないでしょうけど……


有名人、とくに作家や芸術訪問で活躍した人は、「愛着障害」を抱えていた場合が多いようです。

 実際、愛着障害を抱えていた偉人のなかには、子どものころ問題児で、いまなら「発達障害」という診断を下されたと思われるような人が少なくない。夏目漱石も、ミヒャエル・エンデも、ヘルマン・ヘッセも、幼いころは行動上の問題がひどかった。
 アップルの前CEOで、今ではビジネスマンのヒーロー的な存在となったスティーブ・ジョブズも、そうした一人だろう。
 ジョブズは、生後数週間で、生みの親から離され養子となった。彼は幼いころから多動で衝動的な傾向を示し、殺虫剤の「味見」をしたり、コンセントにヘアピンを差し込んだりして、何度も病院に担ぎ込まれている。今ならADHDの診断を受けただろう。
 その背景には、明らかに愛着障害があった。彼が示した多動や衝動性は、本来の発達障害によるものというよりも、愛着障害によるものと考えられる。

 僕が読んだジョブズの伝記では、ジョブズの養父母は、養子であるスティーブに対して、血のつながった親のように接していたようです。
 虐待や冷淡な接し方ではなくても、「実の親ではない」という理由による子どもの側の混乱で「愛着障害」というのは起こりうる。
 こういうのは、本当に難しいことだと思います。

 愛着障害についてのケースをたどっていくと、すぐに気づかされるのは、作家や文学者に、愛着障害を抱えた人が、異様なほどに多いということである。夏目漱石谷崎潤一郎川端康成太宰治三島由紀夫という日本文学を代表する面々が、一様に愛着の問題を抱えていたというのは、驚くべきことである。ある意味、日本の近代文学は、見捨てられた子どもたちの悲しみを原動力にして生み出されたとも言えるほどである。
 文学以外にも、芸術の分野で名を成した人には、愛着障害を抱えていたというケースが非常に多い。ある意味、そこからくる「欠落」を心のなかに抱えていなければ、直接に生産に寄与するわけでもない創作という行為に取りつかれ、人生の多くを費やしたりはしないだろう。書いても書いても癒し尽くされない心の空洞があってこそ、作品を生み出し続けることができるのだ。
 芸術の分野以外でも、政治や宗教、ビジネスや社会活動の領域で、偉大な働きや貢献をする人は、しばしば愛着障害を抱え、それを乗り越えてきたというケースが少なくない。愛着障害の人には、自己への徹底的なこだわりをもつ場合と、自己を超越しようとする場合がある。実はその二つは、表裏一体ともいえるダイナミズムをもっている。自己へのこだわりを克服しようとして、自己超越を求めることは多いが、同時に、自己に徹底的にこだわった末に、自己超越の境地に至るということも多いのである。


この本で紹介されている、夏目漱石スティーブ・ジョブズなどの「愛着に関する問題」を読んでいくと、ものすごく大きな仕事をする人間・偉人というのは、ある種の「本人を不幸にするような負荷」をかけられることによって、生まれてくるのかもしれないな、という気がしてくるのです。
愛され、幸福に包まれた人間は、世界に対する「野心」を持たなくなるのかもしれません。
もちろん、僕だって、「仲の良い両親・家族に見守られて成長し、大人になって大きな仕事を成し遂げた人」を大勢知っていますし、「愛着障害」をもっている人のなかでの「成功率」はそんなに高くはないはずですけど。


著者は、「愛着障害の人にとっての子育て」についても言及しています。

 愛着障害の人にとって、子育ては大きな課題となりやすい。
 その場合、大きく二つのパターンがあるようだ。根っから子どもが嫌いだったり関心がないというケースと、子どもは好きだが上手に愛せない、どう接したらいいかわからないというケースである。
 スティーブ・ジョブズは、アップル創業期のころ、組み立ての仕事をしていたクリス・アンという女性と親密な関係になった。しかし、アンが妊娠したとわかると、激しい勢いで中絶を迫り、彼女がそれを拒むと、関わりを一切絶ってしまった。彼女の生んだ娘が親子鑑定の結果、自分の子だとわかっても、それを受けいれようとせず、自分の娘に会うことも、父親らしいことをすることも頑なに拒み続け、受けいれるまでに、長い時間を要したのである。
 夏目漱石谷崎潤一郎川端康成太宰治といった日本文学を代表する人々は、みな子どもに対して関心が乏しいか、上手に愛せない人たちであった。
 漱石は、子どもが泣くとイライラして、怒鳴りつけたり手を上げることもあった。そんな父親に子どもは懐かなかった。娘が赤痢で入院したとき、漱石が病室を訪れても、娘は何一つしゃべろうとしなかった。

結局、人間というのは、何もかもうまくいく、というわけにはいかないのかもしれません。
ジョブズは、時間をかけて、ある程度は肉親との「絆」を取り戻すことができたようですが、子どもからすれば、「ひどい親」だったはずです。
外部からみれば、どんなに「偉人」であったとしても。
そして、その子どもたちもまた、自分の子どもへの「愛着障害」を抱えやすくなってしまう。


「子どもを育てる」というのは、本当に難しい。
そもそも、大人であるという自覚を持つことも難しいのだから。

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