琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

天地明察 ☆☆☆☆



あらすじ: 太平の世が続く江戸時代、算哲(岡田准一)は碁打ちとして徳川家に仕えていたが、算術にもたけていた。もともと星を眺めるのが何よりも好きだった彼は、ある日会津藩主の保科正之松本幸四郎)の命を受け、北極出地の旅に出ることになる。算哲らの一行は全国各地をくまなく回り、北極星の高度を測り、その土地の緯度を計測するという作業を続け……。

参考リンク:映画『天地明察』オフィシャルサイト


2012年28本目の劇場鑑賞作品。
公開初週ではありますし、「本屋大賞」を獲って話題になった小説の映画化でキャストも岡田准一さん、宮崎あおいさんなどかなり豪華(松本幸四郎さんや中井貴一さんもしっかり脇を固めておられますし)。
ところが、火曜日のレイトショーは、久々の「観客ひとり」だったので驚きました。
うーん、『夜のピクニック』や『クローン・ウォーズ』よりも、はるかに集客力ありそうな映画なんだけどなあ。みんな連休疲れだったのだろうか……


この映画、主役は「暦(こよみ)」なんですよね。
日頃とくに意識しないまま「あって当たり前」のものである暦は、実際には多くの人の叡智の結晶なのだということが、この映画を観ているとよくわかります。
「日常生活」において、正しい暦というのがいかに大切なものなのか。


とはいえ、「暦」が主役というのは、この映画の観客動員にはあんまりプラスに働いていないのかもしれません。
いかにも地味そうで、やっぱり地味。
だが、それがいい……のだけどなあ、僕はこの映画大好きです。


かなり長い小説である原作に比べると、2時間20分にまとめるという制約があるため、ダイジェスト版みたいになっているところはあります。
算哲が全国の測量に向かうまでの「算術への興味と、碁打ちとしての鬱屈」みたいなものは、ほとんど取り除かれているのです。
なんかあっさり測量に出かけちゃったなあ、と。


僕はこの映画のなかで、算哲が幕府の測量チームと一緒に旅をする場面がいちばん好きでした(原作でもここがいちばん好きだったんです)。
建部伝内、伊藤重孝という年長・上役の天文学・算術の大先輩たちと道中に歩数で測量をして、その日の計測地の北極星の角度を当てっこする場面があるのですけど、見事寸分たがわず「明察」した算哲の答えをみて、年長者2人は心底嬉しそうに「見事だ!」と大喜びするのです。「自分が年長者なのに」とかいうような屈託もない、正解を出した者への「すごいなお前!」という純粋な驚きと称賛。そして、新しい知識への好奇心。
なんというか、本当に学ぶこと、知ることが好きな人って、こんなふうに「知識」や「発見」に触れることができるんだな、と感動してしまいました。


あと、なんといっても宮崎あおいさんの「えん」は、ハマリ役。
原作を読みながら、「ああ、これは宮崎さんのアテ書きなんじゃないか?」と思ったくらいでした。
こういう「気が強そうでしっかりもの、でも、出しゃばりじゃない女性」を演じているときの宮崎さんは素晴らしいですよね。
思わず画面に見とれてしまうくらいの、凛とした美しさ。


ただ、算哲とえんが結婚するまでの過程が、原作とはちょっと違っていて、それは、上映時間や観客の感情移入のしやすさ、わかりやすさを考えれば、たぶん正しいのだけれども、僕は原作の二人が結ばれるまでの「回り道」に人生の巡りあわせの妙みたいなものを感じていたので、残念といえば残念ではありました。


「原作からの改変」といえば、忍者軍団とかクライマックスについては、「うーん、こういう形で『見せ場』をつくらなければならなかったのだろうか……」と疑問だったんですよ。
そういうチャンバラ的なところではない「暦という埋もれた大事業での静かな闘いを描く」はずの作品なのに、やっぱり「映画としてお客さんを呼ぶ」となると、ああいう演出が必要なのかなあ。
それにしても「忍者軍団」はあんまりじゃないかな。悪いけどあの場面は失笑してしまった……


おくりびと』でアカデミー賞外国語映画賞を受賞した滝田洋二郎監督なのですが、僕はあの映画で唯一納得できないのが、最後に主人公のお父さんが死んじゃうところなんですよね。
ああいう「あざとい感動シーン」は必要だったのだろうか?
(必要だったんでしょうけどね、結果的にすごく評価された映画だったから)


この『天地明察』、原作をうまく活かしてつくられた、「明日からちょっと頑張ってみようかな」と思える良作に仕上がっています。
ただし、原作未読だと、細かい設定がわかりにくいかな、という気もします。


ところで、滝田監督って、高橋留美子先生の作品大好きなんじゃなかろうか。
観ながら、「それ『めぞん一刻』だろ!」って内心ツッコミを入れた場面がけっこうあったんだよね。

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