琥珀色の戯言

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【読書感想】78歳いまだまんが道を… ☆☆☆☆☆


78歳いまだまんが道を

78歳いまだまんが道を

内容紹介
藤本弘氏とのコンビでペンネーム「藤子不二雄」でデビューを果たして以来、漫画家人生六十年! その途中下車だらけの「まんが道」秘話をユーモアたっぷりに綴る。


内容(「BOOK」データベースより)
「怪物くん」「笑ゥせぇるすまん」「プロゴルファー猿」etc.漫画の創生期から現代まで疾走するAのドキュメント。山あり谷あり回り道ありの「まんが道」秘話をドーンと収録。


ああ、A先生まだまだお元気で嬉しいなあ……
現在78歳の藤子不二雄A先生、いまも3本の連載を抱え、平日は電車で仕事場に通っておられるそうです。
手塚治虫先生が藤子不二雄にとっての「神様」だったように、僕にとっては、藤子不二雄先生が「神様」なんですよね。


この本、読売新聞で連載された「時代の証言者」をまとめたものだそうなのですが、A先生が藤子・F・不二雄先生と出会って2人で上京し、トキワ荘時代を経て、日本を代表する漫画家になるまでが描かれています。
そして、A先生自身についての「新しいジャンル」への挑戦や、F先生との「別れ」についても。


僕がいままで読んできたものからいうと、圧倒的に「F先生派」なのですけど、この本を読んでいると、「コミックエッセイ」や「大人の女性向けマンガ」の開拓など、「少年マンガ」にこだわり続けたF先生とは違った、つねに挑戦しつづけるA先生の姿に感動してしまいます。
日本のマンガ界の「生きた伝説」であるにもかかわらず、フットワーク軽く人生を楽しみ続けているA先生。

 小学館漫画賞の審査員をやっていたこともあったけど、とてもついていけないので、自分から降りました。審査発表の時、壇上で、「僕はこれで降ります」って、宣言して。決して、最近の漫画がつまらない、というわけではありません。面白いかどうかも分からなくなってきたので、とても選べないんです。もちろん、僕だけじゃなくて、何人かで選ぶわけですから、討論をしますが、誰かの意見を聞くと、ああ、そういう見方もあるんだなあ、と、ある意味、納得するところもありました。ところが、だんだんと、それすら分からなくなってきた。ほかの審査員の方々も、僕よりみんな若い人たちで。そんな状態で選ぶのは、審査対象の漫画家の方々にも失礼になりますから。もう、一部をのぞいて漫画の賞の審査員は、ほとんど降りてしまいました。

これを読んで、僕はA先生の率直さ、潔さに驚きました。
文学賞の選考委員をこの間までやっていた某都知事に比べると、ねえ……
「最近の漫画」のことはわからないところがあるけれど、自分は自分が描ける漫画を、描けるかぎり描いていくんだ、というA先生。
僕はもう、折り込みチラシの『まんが道 愛蔵版』を購入することに決めました。
(2012年11月より刊行予定だそうです)


この本を読んでいて印象的だったのは、トキワ荘時代の仲間だった、寺田ヒロオさんのエピソードでした。
当時、同じアパート(トキワ荘)に住んでいた寺田さんは、お金がなかった仲間たち(石森章太郎さんや赤塚不二夫さんにも!)に家賃を貸してくれたり(「寺田バンク」なんて呼ばれていたそうです)、生活のめんどうをみてくれたり、売れなくて漫画家をやめようとしていた赤塚不二夫さんに多額のお金を渡して「これが無くなるまで、がんばってみろ!」と励ましてくれたり……
まさにトキワ荘の若い漫画家たちの「兄貴分」だったのです。

 テラさんは生活は勿論、漫画に対してもとてもストイックでした。テラさんの描く作品は、「背番号0」でも「スポーツマン金太郎」でも主人公の少年が一生懸命頑張る。決して横道へそれない。当然、暴力的なアクション描写など一切ない。自分の作品だけじゃなく、雑誌を見て、許せない作品があると、「こんな漫画載せちゃダメだ」と編集長に抗議に行く。編集長は困っちゃって、「いや、先生ね、こういう漫画が人気あるんですよ」と言う。すると「それじゃ俺はやめた」と、自分からその雑誌の連載を降りちゃう。どんどん降りて、70年代後半には、完全に筆を折ってしまいました。
 もう、学校の先生みたいな感じでしたね。僕らはまだ、そういう意味ではテラさんの許容範囲でした。たしかに僕らも、ものすごいドンパチは描かなかった。石森氏は若干描いていたけれど、痛快なアクションだったから、テラさんのおとがめは受けなかった。トキワ荘のグループはみんなOKでしたね。

寺田さんがサポートした若い漫画家たちはみんな「時代の寵児」になっていった一方で、寺田さんは、こういう性格のため、漫画家としては「筆を折る」ことになってしまいました。
この本には、その寺田さんとの「最後の晩餐」の話が紹介されていて、人間の縁の不思議さ、残酷さについて考えさせられました。
漫画家としてはそれほど知られることはなかったけれど、寺田さんがいなければ、藤子不二雄赤塚不二夫も、志半ばにして漫画家をやめていたかもしれません。


この本、藤子不二雄ファンであれば、すでに知っている話が多いのではないかと思います。
もともと新聞連載だったということもあって、「暴露本」でもありません。
でも、「伴走者」として、A先生がF先生を語っている言葉の数々には、すごくインパクトがありました。
(ただし、その「言葉」は分量的にそんなに多くはありません。もしかしたら、「照れ」や「遠慮」があるのかもしれないし、「それは、これからマンガで描いていこう」と思っておられるのかな)

 漫画は頭で考える部分と、自分の実体験をふくらませる部分とがあります。もちろん、最初から最後まで空想で描く場合もありますが、ある程度現実が基になっていると、読者もリアルに感じて納得してくれるわけです。
「途中下車」の主人公のおじさんなんて、僕が現実に見た顔を絵にして描いたから、何ともいえないリアルな感じが出てると思うんですよ。読者も、ああ、本当にこういうことがあるかも知れないと。漫画に気持ちが入るというか。
 藤本氏はおそらく、全部、彼の想像力で考えていた。これは天才にしかできないことなんです。僕も最初はそうでしたが、だんだんと体験の部分が大きくなっていきました。最初はまったく同じスタートで出発した二人でしたが、次第に路線が分かれていった。トシをとるにつれ、経験をつむにつれ、二人の個性がはっきりしてきて別々の”まんが道”を進むようになっていったのです。

 合作というのは、結構、面倒くさいんですね。相談しながらやりますから。別々に描いていれば自分の都合で好きにやれます。特に僕なんか、夜飲みに行ったりすると、その分、帰ってきて徹夜で埋め合わせをしますが、合作だと、そうもいかない。僕も藤本氏も、世界が変わってきて、だいたい、藤本氏は学習誌関係を描いていて、僕はそのほか。でも、だんだんジャンルが分かれてきても、藤子不二雄は同じだという気持ちでした。普通だったら、一緒にいてもまったく別の漫画を描いているんだから、もっと早く分かれていても良かった。同じペンネームを使う必要がまったくないわけですから。それでも、同じ藤子不二雄を、僕たちも、読者も、みんなで共有していた。それはありがたいし、嬉しいですよね。普通はどこかでトラブルが起こりますよ。例えばそれこそ、金銭的な面とか。それが、どっちがいくら描こうが関係なかった。完全に半分にしていた。仕事の量が多いとか少ないとか、そういう計算をしたことが一切ありませんでした。

F先生のことを、いちばん近くでみてきたA先生による「天才」という言葉。
「想像だけで書いて、体験がないと、リアリティに欠ける」なんて言われがちなのですが、「本当の天才」というのは、「全部、想像力で考える」ものなんですね。
アウトドア派、行動派で、ひとりで海外にも出かけてしまうA先生と、インドア派で人付き合いも苦手だったF先生。
F先生が『ドラえもん』で国民的な漫画家になった時期、A先生は、「自分は、藤本氏のマネージャーにでもなるしかないか……」と悩んでいたこともあったそうです。
「ギャラ折半」というのも、かえって心苦しい時代があったのかもしれません。
でも、結局のところ、このふたりは、コンビを解消したあとも、お互いの信頼関係と藤子不二雄という名前を守ってきたのです。
むしろ、お互いの信頼関係を続けていくためのコンビ解消だったと考えるべきだったのでしょう。


藤子不二雄を愛する、すべての人々に、ぜひ読んでいただきたい一冊です。
ほんと、A先生がいまこの時代に生きていてくれて、本当によかったと思うよ。

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