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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

「ピットブル事件」と「ネット上では容赦ない人たち」

WEB 社会


参考リンク:人はなぜネット上で無礼に振るまうか−自意識防衛の作用も - WSJ日本版 - jp.WSJ.com


僕はfacebookに関しては、あまり熱心にやっていないこともあり(というか、なるべくログインしないようにすらしています)、こういう経験はないんですよね。
僕が知っている範囲の日本のfacebookは、どちらかというと、「食べものや旅行、家族の話ばかりで、みんながお互いに『イイネ!』をつけあっている、平和だけれどちょっとめんどくさい場所」という感じです。
facebookで積極的に発言できる人は「自分の名前が売れることが、メリット>>デメリットである人、そういう仕事をしている人」という印象があるのです。


この参考リンクのような例は、僕が体験している範囲では、むしろ、ブログとかtwitterでよく起こっているように思われます。
ただ、これが「無礼」と言っていいのかは、ちょっとわからないんですよね。
訳した人も、うまく訳す言葉がなかったのかもしれません。


詳細は、参考リンクを読んでいただければ、と思うのですが、こんなやりとり、ネット上では、けっこう見かけます。

 そして、ブリストルさんの幼なじみがコメントを寄せ、こう断言した。「救急救命室(ER)担当の医師の立場から言わせていただきたい。15年この仕事をしているわたしは、ゴールデン・レトリバーにかまれて手術室行きになったとか、はたまた死んだとかいうケースに遭ったことがない」と。


 すると、この発言への批判が噴出した。ある人はその医師の「科学的調査結果」を見せるよう要求した。別の人は彼の患者たちが実際にはピットブルにかまれたかもしれず、その確認をこの医師が怠ったとして非難した。現実の世界を知るために「ERからあえて外に出る(ER担当医の職をやめる)」ことを推奨した人もいた。


 このけんかを蚊帳の外で眺めていたブリストルさんは、「あれは全くばかげていた」と話した。彼女の旧友であるこの医師は翌日の朝、彼女をフェイスブックの友達の指定から外した。これは8カ月前の出来事だが、彼女にはそれ以来、この医師から連絡は全くないという。


で、このER担当の医師の発言に対して、大バッシングが起こったというのも、「ああ、日本でもこういうこと、あるある」という印象でした。
おそらく、この医師は、あくまでも「自分の経験について話している」つもりだったと思うんですよ。
たとえば、飲み会で「そういえばさあ、なんかゴールデン・レトリバーって凶暴らしいよ」って話しかけられて、「そう?僕がつとめているERでは、実際にゴールデン・レトリバーに襲われて重傷を負った人なんて、診たことないけどね」って返すような感じで。


まあ、これは別におかしくないですよね。
というか、専門家に世間話として話をふったら、そういう返事がくることは異常でもなんでもない。
もちろん話している本人も、それは「統計学的な有意が証明されたデータ」ではないことは百も承知で、「自分の場合はこうだけど」と言っているわけです。
この人の場合は、「自分の経験では」って言っているけれど、15年間も臨床経験があるわけですから、診ている患者さんの数もかなり多いはずだし、いろんな研究にも目を通しているはずですから、それなりに「尊重すべき経験談」ではあると僕は思います。
もちろん、「この人がこういうのだから、それが統計学的にも証明され、救急学会もみとめた事実だ」というわけじゃありませんけど。


これに対して、「科学的調査結果」を出せという人たちの立場や気持ちも、わからなくはありません。
「じゃあ、そういう学会発表や論文があるのか?」と。
残念ながら、この参考リンクの記述だと、医師が「ゴールデン・レトリバーは危険じゃない(他にもっと危険な犬がいる)」というニュアンスで発言したのか。「犬そのものが、そんなに危険なものじゃない」という意味だったのか、ちょっとわかりませんので、どういう立場の人たちが、医師をバッシングしたのか、想像しにくいんですけどね。
「たったひとりの専門家の経験に基づく主観に、俺たちは騙されないぞ!」
と主張するのは、(この発言については、医師も別に学術的な根拠をもって書いたわけではなさそうなので)いささか過剰防衛だとは思うけれど、「論拠が乏しいのを指摘するのは間違っているのか?」と問われると、「まあ、そういうスタンスで人生を送る人もいるでしょうね」としか言いようがない。


しかし、経験豊富な医師がERをこんな理由でやめたとしたら、誰が得するのかねいったい?
ERの現場には、「襲ってきた犬の種類をきちんと確認すること」よりも、もっと差し迫った「やるべきこと」がたくさんあります。
急患がひとり来るたびに、インタビュー番組をつくるわけにもいきますまい。
自分が犬に噛まれて大けがをしているときに「その犬種は何でしたかっ!本当にそれで間違いないんですねっ!」としつこく食い下がって、診療をはじめてくれない医者!
ある種の中毒性薬物のように、「何が原因か」が大事な場合もあるのは事実ですが。


ある意味、「専門家だからこそ、発言しにくくなるような空気」もできつつあるんですよね、ネットって。
反論者は「じゃあソースを出せ!」と言い、ソースを出せば「そんなデータやマスコミが信頼できると断言できるのか!」と言い、言い返せなく(というか、もう相手するのもバカバカしく)なったところで、「お前は専門家のくせに嘘つきだ!」とレッテルをべったり貼り付ける。
場合によっては、「お前が所属する組織に抗議してやる!」と息巻いてくる。


ネットでは「責める側が強い」し、「失うものがない側が強い」傾向は、まちがいなくあります。
「専門家」が結局のところたどり着くのが、「もう、あんな連中相手に、情報発信するのはやめておこう」。
そして、某経済学者みたいな「炎上上等!」の人の声ばかりが大きくなっていくのです。
「攻撃しやすい人」「ちょっとおかしなことばかり言っている人」のほうが人気になるんだよねえ。
「偉そうな人を責める」のは快感なのかなやっぱり。
「こんなおかしなことを言っている人がいる」ことを拡散するよりは、「正しそうな意見や主張を広める」ほうが、よっぽど社会のためには有益だと思うのだけれども。


日本のfacebookは、ある意味、最初から「こうなることがわかっていた」ように、ほとんどの人が守備的なフォーメーションでフィールドに立っているように見えます。
大部分の人の「フレンド関係」は、「お互い友達なんだから、事を荒立てるようなのはよそうぜ」という暗黙の了解で成り立っているのです。
日本人は「自分に友達がいるということを証明できればいい」。
アメリカ人は「友達に『自分』をアピールしなければ意味がない」。
もちろんこれは僕の主観なので、「ソース」は僕の脳内にしかありませんからね。
僕は日本のfacebookのほうがラクです。
facebookって、真面目にコミュニケーションツールとして使おうとすると、相手との距離が近くなりすぎる。


個人的には、この医師が、自分のブログで「私は15年ERに勤務していて、そんな経験はないから統計学的に間違い!」って言うのなら、責められてもしょうがないと思うのです。
でも、知り合いのfacebookの内容にこんな感じで「反応」したことにだけで、「炎上」してしまうのでは、もう、何も言わないほうがいい、って思うよね。

 研究チームは5種類の調査を行った。1種目では、541人のフェイスブックユーザーに対し、同社サイトで過ごす時間の長さと同社のネットワーク内に何人の親友がいるかを尋ねた。またチームはオフラインの生活についても尋ねた。借金、クレジットカードの利用状況、体重、食習慣、それに実生活で他人との交流に週に何時間費やすかといったことだ。


 これによると、ネットで過ごす時間が比較的長く、親友がネットワークを占める比率が高い人は、クレジットカードの借金額が多く、信用度が低い傾向にあるほか、どか食いをし、体格指数で高い数値を示す傾向にあった。2種目の調査では、フェイスブックを5分間閲覧し、ネットワークの親友の比率が高い人々は、おやつにグラノーラ・バーよりもチョコチップクッキーを選ぶ傾向が強かった。


 3種目の調査では、チームは被験者に制限時間のある知能テストと、解読不能なアナグラムの解読を課し、問題を解くのをあきらめるまでにかかった時間を計測した。チームによると、フェイスブックで過ごす時間が比較的長い人は、難しいタスクをより早くあきらめる傾向にあることが分かった。

これを読んでいて僕が感じたのは、ネットで他者に向かって「ネットの世界は現実と同じなのだから、お前の言葉は許されない」と強く主張している人って、逆に「現実での他人との距離のとりかたが下手な人」が多いのではないか、ということでした。
対面での日頃の付き合いでは、「お互いに突き詰めすぎない」ことが大事なことが多いですからね。


僕も「ネットで過ごす時間が長い人」なので、いろいろと考えさせられた話でした。