琥珀色の戯言

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【読書感想】どん底 部落差別自作自演事件 ☆☆☆☆


どん底 部落差別自作自演事件

どん底 部落差別自作自演事件

内容説明
現代の部落差別の実態と犯人の正体に迫る

03年12月から09年1月まで、被差別部落出身の福岡県立花町嘱託職員・山岡一郎(仮名)に対し、44通もの差別ハガキが送りつけられた。山岡と部落解放同盟は犯人特定と人権啓発のために行政や警察を巻き込んで運動を展開していったが、09年7月に逮捕された犯人は、被害者であるはずの山岡一郎自身だった。
 5年半もの間、山岡は悲劇のヒーローを完全に演じきった。被害者として集会の壇上で涙ながらに差別撲滅と事件解決を訴え、自らハガキの筆跡や文面をパソコンを駆使して詳細に考察し、犯人像を推測していた。関係者は誰も彼の犯行を見抜くことができなかった。
 被差別部落出身で解放運動にたずさわる者が、自らを差別的言辞で中傷し、関係者を翻弄したこの事件は、水平社創設以来の部落解放運動を窮地に陥れた。06年の大阪「飛鳥会」事件で痛手を負っていた部落解放同盟は、この自作自演事件で大打撃を被ることになった。
 なぜ山岡はハガキを出さざるを得なかったのか--現代の部落差別の構造と山岡の正体に鋭く迫りながら、部落解放同盟が”身内”を追及する前代未聞の糾弾のゆくえを追う。
 週刊ポスト連載「糾弾」から改題。


 「部落差別」を自作自演した男、「山岡一郎(仮名)」。
 なんというか、どういうふうに解釈していいのか、難しい事件ではあります。
著者は、この本の最後に「先入観なしで読んでほしい」と、あえてことわりを入れているのですが、読み終えても、「どう読めばよかったのか」わからない気がしました。
 この「山岡一郎」という突然変異の怪物が、自分の生活や自己顕示欲のために、先人たちが厳しい状況のなか作り上げてきた「部落解放運動」に泥を塗った、ということは間違いありません。
 でも、その背景には、「差別され続けてきた苦しみ」がある一方で、「差別を解消するためということで、行政から勝ち取った権利の存在」もあるのです。
(とはいえ、著者は、多くの批判者が口にするほどの「特権」は、少なくとも現在は存在しないのだ、ということも述べています)
 「部落差別」そのものがマシになったためか、「解放運動」をやることにメリットを感じなくなったのか、いま現在、解放運動を精力的にやっている人たちは、どんどん高齢化しているそうです(この本で紹介されている地区では、多くの人が60歳をこえている、ということでした)。
 この「山岡一郎」という人も、以前「結婚差別」を受けたことがありながらも、積極的に解放運動とかかわってきたわけではなく、「ほとんど若い人がいないから」という理由で、乞われて地域の組織の役員になっていた人物でした。

 彼はなにをしたのか。
 同じムラに暮らす部落民の職業を剥奪しようとする内容をしるした差別ハガキを、5年近くにわたって匿名で44通も出しつづけたのである。そのハガキを出した相手とは立花町長、学校長、社会教育課長などであり、さらに驚くべきことにはほとんどの場合が「自分自身」なのだった。
 えっ、自分自身に?
 そう、自分自身に――。
 すなわち彼が差別した部落民とは自分自身なのであり、読むに堪えないおぞましい言葉の数々を自分自身に向かって吐きつづけたのだ。
 平成15年12月初旬にはじまるハガキの送付は、平成21年1月半ば過ぎまで執拗につづいた。部落解放同盟は地元の組坂幸喜を先頭に大掛かりなキャンペーンを張り、犯人を特定して糾弾しようと血道をあげた。平成21年3月には福岡県議会でもとりあげられ、県知事や県警本部長が徹底究明を約束する答弁をし、実際に県警本部は特捜班を組んで立花町に派遣し、彼の逮捕にいたった。これまでもこのような差別ハガキや手紙、落書き事件が全国でさまざまに起きてきたが、犯人検挙にいたったケースはきわめて稀で、被害者の多くは泣き寝入りしてきた。
 それにしても彼は、ハガキが届いたことをまっさきに同盟の筑後地協に知らせてから逮捕されるまでの5年あまりにわたって被害者としてふるまい、自分の家族までさまざまな研修会や集会に出して、まだ高校生だった子どもなども涙を流して怒りと悲しみを訴えたものだった。立花町は反差別町民集会を開催し、ハガキが来るたびに対策会議や町民への啓発活動に追われた。そしてその中心にあたかも悲劇のヒーローのごとくありつづけたのが、この男だった。彼はある時点から自分の顔と名前を公表し、そのことによって脚光を浴びはじめたのだ。

 差別されている側の人間が、「自分や周囲の人を差別しているという架空の存在」をでっち上げることによって、組織の力を強めようとする、というのは、そんなに珍しい話ではありません。
 しかしながら、この「山岡一郎」という人の、「自分宛に『死』とか書いた部落差別の葉書を送り、さらに、『差別を受け、戦う人』として、講演までしてしまう」行為には、呆れるのと同時に、よくここまで自分に嘘をつけるものだな、と考えずにはいられません。
 「どうせ差別されるのであれば、それを自分のためにうまく『利用』してやろう、いまの自分がうまくいかないのも、その『差別』が根底にあるはずなのだから」という静かで自己中心的な「怒り」が、これまで先人たちが多くの犠牲の上が勝ち取ってきたことへの「敬意」を上回ってしまったのは、なんだかとても残念なことのように思われます。
 「差別の当事者になると、クビになりにくい」という状況では、仲間を踏み台にしてでも自分の生活を守りたい人もいる、というのは、理解できなくもないのですけど。


 この「醜悪な事件」が、「山岡一郎」という「特別な人間」によって起こったものだった、と言い切れればよいのですが、僕はなんだかちょっと、引っかかるんですよね。


 ノンフィクション作家の角岡伸彦さん(1963年生まれ)が書かれた『被差別部落の青春』という本を5〜6年前くらいに読んだのですが、そのなかで角岡さんは、いまなお残る結婚差別などの問題を紹介しながらも、被差別部落出身である角岡さん自身は、角岡さんの親世代が受けたような激しい差別を体験したことはなかった、と書いておられたという記憶があります。
 今回の『週刊朝日』の佐野眞一さんの記事と橋下さんの怒りへも、「もう『部落差別』なんて過去のもので、一部のひとたちが利権のために騒いでいるだけじゃないか」というような声もネットでは散見されていました。
 正直、いま40歳の僕自身も、これまでの人生で「部落差別」というものを体験したことはありません。
同和教育らしきもの」を小中学校で、ごく短時間ですが受けた記憶があるし、『ゴーマニズム宣言』で、小林よしのりさんが「ウルトラ部落解放フェスティバル」を提唱していたのは覚えているくらいです。


 この本を読んで、いまあらためて考えてみると「差別意識」は、たぶん、ほとんど無くなっていると思うんですよ。
 少なくとも、それを表に出す人はいない。
(その一方で、ネットには在日や近隣諸国の人たちへの差別発言が溢れてます)
 ただ、「差別されていた時期につけられた経済的な格差」は、まだ残っているのに「差別意識」が解消されつつあるというのは、当事者たちにとっては「やり場のない苛立ち」の要因になっているのかもしれません。
「今は、もう差別はしていない。あとは自己責任だ」と「過去の話」にしたい人たちと、「長年差別されてきた影響で、結婚も職業も住居もハンデをつけられた状態からのスタートになっている。これが公平なのか?」と「過去といまの苦労」を結びつけずにはいられない人たち。
 現在のように、みんなの生活がひっ迫している状況では、この溝を埋めるのは難しい。


 阪神淡路大震災のあとの状況について、『弱者の居場所がない社会』という新書のなかで、著者の阿部彩さんがこんな話をしておられます。

(著者は、「このような追跡調査の常として、よりしんどい状況にある人のほうが調査に答えてくれる傾向があるが」と注釈しています)

 それにしても、愕然とするのは、2年後よりもむしろ5年後、9年後の方が震災前と比べて収入が減ったと答えた人が多いことである。
 震災後5年、9年と言えば、被災していない、たとえば筆者のような人間にとって、震災は、遠い記憶となりつつある頃であった。
 しかし、少なくとも一部の被災者の方々の生活は、悪化していたのである。
 この理由としては、被災者の救済のために震災後に設けられたさまざまな政府系の融資の返済時期がきたことや、住宅再建や事業再開のための借金の負担、失業などが、被災者に二次的、三次的な経済インパクトとして訪れるからと分析されている。
 無事に生活や事業の再建の道を歩んでいた人もいるであろうが、すべての人がそうであるわけではなく、そうでない人々は、この二次的、三次的な経済インパクトを、どこからの支援もなしに、かぶらなくてはならなかったのである。
 周囲が「忘れてしまった頃」に、新たな危機はやってくる。

 もちろん、自然災害と人為的な「差別」は違います。
 でも、「忘れてしまった頃に、支援がなくなってしまったときに、新たな危機がやってくる」のは同じなのかもしれません。


 周囲のひとの「差別意識」が薄れても、いやむしろ「差別意識と闘う」という明確な目標が見えにくくなってしまったから、かえって、「貧困」や「生きづらさ」が浮き彫りにされてしまう。
 「これまでの歴史へのお詫び」として受け取っていた経済的な援助も、「差別」がなくなれば、打ち切られるのが自然の流れです。
 とはいっても、この『どん底』を読むと、「支援」って、一部の人たちが叫んでいるような「特権」なんてものじゃなく、本当に最低限のものみたいなのですけど。

 幾度も「自分を支部長にしてくれ」と言ってきたことを考えると、山岡の目的は支部長になることであったのだろう。そこから先はどう考えていたのかわからないが、いずれにしても金銭がらみではないかと思われる。彼は差別ハガキを書きつづけ、ムラや同盟をどん底におとしいれる。そして自分は支部長としてムラを守るヒーローを演じつづけ、引く手あまたの講演会や研修会に出ては講演し、金を稼ぐ。それこそが彼の「自己実現」だったのだ。
 しかし、騙されていることに気づかぬまま彼のことを何年も熱心にささえ、部落差別の根絶のために駆けずりまわった組坂幸喜をはじめとする人びとがいたことを、私は深く心に記憶したい。彼らは他者の痛みを自分の痛みとして、山岡の家族の問題をもふくめて心配し、できるかぎりの手を打った。同胞の苦しみや悲惨に手をさしのべ、身の危険を思ったら即座にもちまわりでパトロールにあたった遠方をふくむムラの人たちのあたたかいこことは、この憂鬱な事件の渦中にあって、たったひとつの光であった。私がこの事件に取り組んだのは、山岡一郎の犯罪の真相をあばくことよりも、むしろ、いまでは失われた感のあるこうした人たちの姿を書きとどめておきたいと思ったからかもしれない。

差別意識」は薄れても、「格差」は残る。
そこから先は自己責任、と言い切ってもいいのかどうか……
あの『週刊朝日』の事件もあって、今回の感想は、この本の内容からは逸脱してしまったところもあります。
あの記事を読んで、この「山岡一郎」という人の行動と同じように、なんだかとてもモヤモヤしたものが残りました。


 この本、「部落差別の現状」に興味がある方は、読んでみて損はしない一冊だと思いますよ。

弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)

弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)

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