琥珀色の戯言

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【読書感想】山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた ☆☆☆☆


山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた

山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた

内容説明
■祝・ノーベル賞受賞! 唯一の自伝。はじめて明かした、研究人生とiPS細胞のすべて


決して、エリートではなかった。「ジャマナカ」と馬鹿にされ、臨床医をあきらめた挫折からはじまった、僕の研究――。


■「iPS細胞ができるまで」と「iPS細胞にできること」


ぼくは医師であるということにいまでも強い誇りを持っています。臨床医としてはほとんど役に立たなかったけれど、医師になったからには、最期は人の役に立って死にたいと思っています。父にもう一度会う前に、是非、iPS細胞の医学応用を実現させたいのです(本文より)


■読みやすい語り口で、中学生から読める


父は町工場の経営者/高校柔道部から受験勉強に邁進/「ジャマナカ」と蔑まれた研修医時代/臨床医としての限界/はじめての実験/求人広告に手当たり次第応募/オスマウスが妊娠?/帰国/「アメリカ後うつ病」にかかる/新入生争奪戦/遺伝子を二四個まで絞り込んだ!/論文捏造スキャンダルの陰で/再生医療の可能性/病気の原因解明と創薬 (本書の内容より)

うん、これは本当にわかりやすい。
山中先生のノーベル賞受賞のタイミングに合わせて、こういう「これまでの研究生活と研究内容についての読みやすい本」が出たのは、素晴らしいことだと思います。
肝心の研究内容についても、「理科が苦手じゃない中学生」には、ある程度理解できるくらい簡潔に、かつわかりやすく紹介されています。

 人生初の薬理学の実験で学んだ教訓が三つあります。
 一つ目、科学は驚きに満ちている。科学の面白さは、予想通りの結果にならないところにあるということです。
 二つ目、一つ目と裏腹ですが、予想外のことが起こるからこそ、新薬、新治療法を、準備なしにいきなり患者さんに使用することは絶対にしてはならない。必ず事前に動物実験をおこなって、安全性や効果をじゅうぶんたしかめておかなければならない。
 三つ目、先生のいうことをあまり信じてはならない。いまの教科書にAはBであると書いてあっても、10年後の教科書にはAはCであると書いてあるということは科学の世界ではしばしばあります。先生の考えをそのまま信じこまず、真っ白な気持ちで現象に向きあうこと。先入観を持たないこと。
 こういった大切なことを最初の実験で学べたのは幸運でした。
 三つ目に先生の言葉をあまり信じてはならないという教訓をあげましたが、もちろん有益な言葉もあります。当時助教授の先生に何度もいわれた「阿倍野の犬実験をするな」という言葉はいまも心に刻まれています。
 阿倍野とは、大阪市立大学医学部がある大阪市阿倍野阿倍野です。アメリカの研究者がアメリカの犬は頭を叩いたら「ワン」と吠えたという論文を発表すると、日本の研究者は、日本の犬も頭を叩いたら「ワン」と吠えたという「日本の犬実験」の論文を書く。さらにひどい研究者は阿倍野区の犬を調べてやはり「ワン」と吠えたという「阿倍野の犬実験」の論文を書く。そういう誰かの二番煎じ、三番煎じの研究はするなというのが、「阿倍野の犬実験はするな」という言葉の意味です。

この話を読んでいると、「その通りだよなあ」と思うのだけれども、研究費を獲得したり、大学や研究室内でのポストを維持するためには「目先の結果」が求められることも少なくありません。
阿倍野の犬実験」でも、とりあえず論文書いて実績をあげておきたい、という現実もあるのです。


僕も何年か研究生として臨床を離れ、データを集めたり論文を書いたりしていた時期があったので、この本を読みながら、なぜ、山中先生は、若くしてこんな大成功をおさめることができたのだろう?と考えていました。
(もっとも、多くの研究者は、顕彰されるのがある程度高齢になってから、というだけで、30〜40代くらいに、大きな業績をあげているんですけどね)
僕自身は「臨床に戻ること前提の、腰掛け研究生」だったのですが、研究生時代には、「ものすごく努力している研究者」をたくさん見てきました。


この本を読んでみると、山中先生をここまでの成功に導いたのは、「みんながやらないことをやった」こと、「プレゼンテーションの能力をアメリカ留学の際に磨いたこと」、「目先の結果を求め過ぎなかったこと」、そして、「周囲のスタッフをひとりの研究者として尊重したこと」なのではないかな、と僕は思うのです。


とくに「アメリカで身につけたプレゼン力」の話は参考になります。

 ほかの受講生の前で実際に口頭でプレゼンして、お互いに批評し合うというのがゼミの基本的なスタイルです。発表者がビデオで撮影される回もあり、プレゼンが終わると発表者は退席させられ、ほかの受講生が録画を見ながら細かに良い点、悪い点と指摘します。発表者本人がいないのでみんないいたい放題です。その様子もまたビデオに撮られていて、発表者は後で確認できます。我ながらいいプレゼンができたと思っても、ビデオを見ると、一挙一動まで批評されていました。「スライドには聴衆に見えない文字を使うな」「文字ばかりのスライドは避けよ」「発表で説明しないことはスライドに書きこむな」「発表のときに強調したいからといってポインターをクルクル回すと聴衆の目がまわる。ポインターはなるべく動かさないほうがよい」といった指摘も受けました。
 なるほどと思ったのは、スライドの一枚ずつにわかりやすいつながりがなければならないという教えです。「実験でこういうことがわかった。だから次にこういう実験をした」というような説明の仕方をしろということです。逆に、こういう説明をするためには、ふだんから、いまとり組んでいる実験と次にやろうとしている実験の関係を明確に意識しておかなければなりません。そういう意味で、プレゼンテーションのゼミは、プレゼン技術を身につけるだけでなく、研究手法や思考方法を見直すうえでも非常に役に立ちました。そのおかげで、プレゼンの仕方はもちろん、論文の書き方も変わりましたし、大袈裟にいえば、人生も変わりました。アメリカで身につけたプレゼン力が、その後、僕を何度も窮地から救ってくれることになります。

ああ、「プレゼン力」って、大事なんだなあ。
「プレゼンテーション技術」をみがくことで得られるのは、「学会発表が上手くなること」だけではないのです。
本当に、それで「人生が変わる」こともある。
聴衆は、発表者が無意識にやっている「クセ」のようなものも、見逃してはくれません。
自分が見る側のときには、けっこう気になるようなことでも(ポインターを動かすこととか)、発表する側になると、余裕がなくて、ついついやってしまいがちなんですよね。


ただ、やっぱり「運」とか「偶然」の要素もあって、山中先生が大きな研究室に所属するのではなく、小規模ながらも自分のラボを持ち、研究のテーマを自分で決められたことが、結果的に幸運だったような気がします。
大きな研究室であれば、短い期間である程度の結果を出し、コンスタントに論文を出すことが要求されますし、自分の裁量でできることが制限されていた可能性もあります。

もっとも、小規模のラボで、自分の好きな研究をやれた、というのは、「何も結果を出せずに泥沼化してしまうリスク」と隣り合わせでもあるんですよね。


山中先生は、「人に恵まれていた」と何度もおっしゃっていますが、この本のインタビューのなかで、ラボの創成期からのスタッフに「○○君は、こういう仕事をしてくれました」と、ちゃんと各人の具体的な仕事の内容にまで言及しながら、謝辞を述べておられます。
たぶん、この研究室のスタッフは、かなりのハードワークをしてきたと思うのです。
最先端の研究をしているというのは、裏を返せば、もっと人もお金もある世界中の研究室に追いかけられている、ということでもありますから。
「僕だけの功績じゃないですよ」という山中先生の言葉は、重い。


でもほんと、最後はやっぱり「運」っていうのはありますよね。
いろんな努力の積み重ねがあって、最後の最後に、ひとしずくの運。


山中先生の偉業の陰には、本当にたくさんの「山中先生になれなかった研究者」や「山中先生になろうと今も努力している研究者」たちがいます。
今回のノーベル賞は山中先生ひとりが「突然変異」で得たものではなくて、そうやってみんなが積み上げてきたものがあればこそ。
この山中先生の偉業をきっかけに、「科学を支える人たち」が注目され、評価されるような世の中になってくれることを、僕も願っています。


この本の最後に書かれている、山中先生の言葉。

 ぼくの父は、息子が臨床医になったことをとても喜んで死んでいきました。ぼくは医師であるということにいまでも強い誇りを持っています。臨床医としてはほとんど役に立たなかったけれど、医師になったからには、最期は人の役に立って死にたいと思っています。父にもう一度会う前に、是非、iPS細胞の医学応用を実現させたいのです。

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