琥珀色の戯言

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【読書感想】ノーベル平和賞で世の中がわかる ☆☆☆


ノーベル平和賞で世の中がわかる

ノーベル平和賞で世の中がわかる

内容紹介
毎年、秋になると、 「今年のノーベル平和賞は誰だろう?」と話題になります。
誰もが「受賞して当然」と考える人物が選ばれることもあれば、 多くの人が首を傾げる選考結果もあります。
ただ、この111年の歴史を見ると、 地上から戦争や紛争、貧困、疾病をなくそうと 闘ってきた人々の努力が見えてきます。
ノーベル平和賞の歴史は、 20世紀から21世紀にかけての現代史そのものであり、 平和に向けての努力を重ねた人々の熱いドラマでもあります。


本書では、 第1回受賞者の「赤十字の父」アンリ・デュナンから始まる111年の歴史を5つに区分し、 現代から過去にさかのぼる形にまとめています。 ノーベル平和賞受賞者についての事典として利用することもできますし、 以下のようなミステリアスな事実を知る楽しさもあります!
●インドのガンジーが5回もノミネートされながら受賞には至らなかったのは、なぜ?
●<北ベトナム>のレ・ドゥク・トが受賞を辞退した(唯一の辞退者)のは、どうして?
●あのナチス・ドイツのヒトラーが平和賞に推薦されていたって、ホント?
●他の賞はスウェーデン王立アカデミーが選考するのに、なぜ平和賞だけノルウェー?
佐藤栄作元首相より前に平和賞の候補になった日本人がいた?
●高額な賞金がその後の受賞者(団体)の活動に支障を来す原因になったこともある?
●アメリカのオバマ大統領はまだ大した実績もなかったのに、なんで受賞したの?
●「5億ドルでノーベル平和賞を買った」と批判されているのは誰?
ほか。


ちなみに、この本で紹介されているのは、1901年受賞のアンリ・デュナンさん、フレデリック・パシーさんから、2011年受賞のレン、サーリーフ、レイマ・ボウィタワックル・カルマンさんまでで、2012年受賞のEUは含まれていません。
まあ、2012年の受賞者が決まったのはついこのあいだですからね。


池上さんの著書ということで、ノーベル平和賞の歴史が、わかりやすく書かれているのだろうな、と楽しみにしていたのですが、この本に関しては、「ノーベル賞受賞者事典」と言ったほうがよさそうです。
紹介内容も、人や組織によってけっこう分量が違うのですが、有名な受賞者については短すぎ、無名の受賞者については、資料そのままというか、あんまり書くことがなかったんだろうな、というのが伝わってきます。


「受賞者なし」の年もけっこうあるのですが、111年分を読んでいくのはけっこう大変。
この本、2011年から1901年にかけて、時代を遡って受賞者が紹介されていて、なんで逆行しているんだろう?と最初は疑問でした。
でも、後半まで通して読んでいくと、たしかに第一次世界大戦第二次世界大戦くらいに平和運動に従事していた人の略歴を読んでも、あんまりピンとこないというか、正直あんまり面白くないのです。
最初から読もうという人たちが投げ出さないように、という配慮なのかもしれません。
ノーベル平和賞をもらった人って、有名人ばかりじゃないし。
最近の受賞者は、まだ現在の世界情勢とリンクしていることもあり、興味深く読めるのですが、古い時代になると、「うーん、退屈だ……おおっ!マザー・テレサ出た!」「シュバイツアーだ!」などと、ときどき知っている人が出てくると嬉しくなってしまうくらいです。
池上さんも、そういう人の年は、「みんな知っている有名人の登場です」とか書いているんですよね。
資料を整理していて、やっぱり「地味な人が続くな……」とか思っておられたのでしょうか。


この本とひととおり読んでみると、「ノーベル平和賞」というのは、実に微妙というか、多面的な賞なのだということがよくわかります。
第1回受賞者のアンリ・デュナン(デュナンって、「赤十字の父」であり、「ノーベル平和賞の象徴的な受賞者」というイメージがあったのですが、赤十字をつくったあと事業に失敗して、ほとんど無視されるようになっていたそうですね。ところが、赤十字を去って30年くらい後に、ドイツのジャーナリストの記事で「再評価」されて受賞につながったのだとか)、マザー・テレサキング牧師のような、「ノーベル平和賞にふさわしい」と誰もが納得するような人や組織が受賞している一方で、2009年のオバマ大統領をはじめとする「この人が本当に『平和賞』なの?」という政治家たちへの受賞も少なからずみられます。
ノーベル平和賞は、「平和のために尽くした人」だけではなく、(西欧社会からみた)「平和に尽くしてほしい人」「自分たちが応援したい人」に、しばしば授与されているのです。
もともと、かなり曖昧というか、どうとでもとれるような選考基準でもありますし。
1970年受賞のノーマン・ボーローグさんは、穀物の増産に功績があったということで、「平和賞」を受賞しています。
ある意味、「お腹を満たすことこそが、平和につながる」のは事実でしょうけどね(やなせたかし先生が喜びそう)。


あるいは「平和賞」を授賞することによって、相手の行動を「平和」のほうに向かわせる枷にしよう、という考え方もあるようです。
たしかに、この賞をもらったら、「いい人」にならなければいけないような。

 中には受賞しないでよかった、と思う人物もいます。なんとナチスアドルフ・ヒトラーが平和賞に推薦されていたのです。ヒトラーの台頭に危惧を抱いたドイツの政治家(戦後に西ドイツの首相となったウィリー・ブラント)が、独裁を食い止めるために国際的な圧力になるように授賞させようと考えたのです。いわば「褒め殺し」で独裁をストップさせようとしたというわけです。ノーベル平和賞が政治的な思惑で利用される危険性を象徴する出来事でした。

第二次世界大戦前には、なんと、ヒトラーが授賞候補になったこともあったのです。
当時は、ヒトラーがあそこまでのことをやるとは、想像もつかなかったのかもしれませんが……
受賞していたら、「歴史の汚点」になっていたはずです(もしかしたら、それをきっかけに「いい人」になっていたのだろうか……)
2012年に受賞した「EU」も「審査員奨励賞」みたいな感じなのですが、EU側のほうは、むしろ「困惑と迷惑のあいだ」って感じですものね。
EUにとっては、この経済問題で厳しい時期に、プレッシャーかけやがって……というのが本音なのかも。


逆に言えば、ノーベル平和賞の歴史を追っていくと、「西欧社会は、この時代、誰を、どんな思想の人を応援していたのか」がわかるのです。
個人的には、なんだかおかしい、とは思いますけどね。


ただ、ノーベル平和賞って、「ずっとおかしい」のではなくて、「なんだこれは!むしろ戦争やってた人だろ……」という年と「こんな人もいたのか!」という年と「この人なら納得!」という年が入り混じっているんですよね。
「でも、キング牧師マザー・テレサも受賞しているんだし」と言われると、やっぱり高潔な賞のような気もするのです。


しかしながら、これを読んでいると、有名なノーベル平和賞受賞者も、ずっと周囲に崇め奉られて、幸せな「その後」を過ごしたわけでもないことがわかります。
キング牧師の項より。

 キングに対しては、黒人指導者たちからも批判が噴出していました。「ブラック・パワー」というスローガンやイスラム教のもとで団結する武闘派とも言うべき人々は、暴力には暴力で対抗するべきだと求めていました。一方、穏健派の人々から見れば、キングのやり方は過激だったのです。

「平和や平等を求める人たち」も、一枚岩ではなくて、それぞれの中で主導権争いが起こることも少なくありません。
極端に走ると危険だけれども、真ん中も、けっこうつらい。


通読してあまり面白いとは言えませんでしたが、資料として、あるいはノーベル平和賞の全体像を知るためには、役に立つ一冊だと思います。

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