琥珀色の戯言

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【読書感想】戦場の都市伝説 ☆☆☆☆


戦場の都市伝説 (幻冬舎新書)

戦場の都市伝説 (幻冬舎新書)

内容紹介
世にも奇妙な戦地の噂
・中東では出稼ぎ労働者に死体修復の仕事が割り当てられる?
アフガニスタンの空き地に「小さい女」の幽霊が現れる?
・遺体にコカインを詰めて密輸する麻薬密売組織がある?
・コンゴの少年兵が幽霊になっても捜し歩く、弾除けのお守り
ヒットラーは密かにアルゼンチンに落ち延びていた?


常に狂気に包まれた戦地や紛争地帯では、多くの都市伝説や怪談が生まれる。ウガンダビクトリア湖の「死体を食べて大きくなった巨大魚」、パレスチナの「白い服を着た不死身の自爆テロ男」、カンボジアの「腹を切り裂こうとする幽霊」、ナチス・ドイツの「ユダヤ人の脂肪でつくった人間石鹸」──。これらの噂話が妙に生々しいのには理由がある。その裏側には、往々にして、軍や政府、ゲリラ組織が隠蔽した「不都合な真実」があるからだ。海外取材経験豊な気鋭のノンフィクションライターが「都市伝説」から解き明かす、人間の心の闇と、戦争のリアル。


 僕は石井光太さんが書かれている作品は、欠かさずに読んでいます。
 「好きです!」なんて簡単に言えるような内容ではなく、読むたびに、「いま、自分が日本人としてこうして平和に暮らしていること」について考えてしまうのですが、石井さんの作品には「世界の見方を変える」力があると思います。


 この『戦場の都市伝説』、タイトルや「ナチスの『人間石鹸!』」など、「戦場、戦争に関する、噂なのか事実なのかわからない話」が18個紹介されています。
 いわゆる「オカルト本」のようにみえるのですが、これを読んで、著者が実際に現地の人から聞いた「戦争の記憶」と照合してみると、こういう「都市伝説」には、「そういう噂ができるための根拠」があるのです。 
 この本は、「都市伝説」を語るためではなく、「そういう都市伝説ができる背景にあった、人間の悲劇」が描かれているのです。


 なかでも、コンゴの「子供兵」に関する話は、読んでいて苦しくて、もう読むのをやめてしまおうかと何度も思いました。

 コンゴの森で暮らしている子供たちは、日本でいえば昔話に出てくるような、電気も水道も通っていない場所で自給自足に近い生活をしている。夜になればテレビや携帯電話を見る代わりに祖母から怪談を聞き、病気になれば病院へ行かずに近所に暮らす呪術師に治してもらおうとする。
 そんな場所で生まれ育った子供は、ゲリラ組織の暗示にもかかりやすい。ゲリラ組織の内部に呪術師がいたり、ボスが呪術師だったりして、たとえば「鳥の骨」を渡して次のように暗示をかける。
「このお守りを首から下げて大切に持っておけ。私が君のために十日間寝ずに呪文をかけたお守りだ。いくら敵が弾を撃ってきてもこれを身につけている限りは絶対に当たらない。だから被弾を怖がらず、敵の近くまで近づいていって戦え。そうすれば、きっと神は君を讃えるだろう」
 暗い森の中で蝋燭に火を灯し、髭を長く伸ばした呪術師がそう語る。時には麻薬を混ぜて判断力を鈍らせた上でその言葉をくり返す。幼い子供たちは「死にたくない」という気持ちも相まって、お守りの効力を信じるようになるのだ。
 こうしたことはコンゴだけでなく、隣国のウガンダでもある。ウガンダには「神の抵抗軍(LRA)というゲリラ組織があるが、指導者であるジョゼフ・コニー自身が呪術師であり、誘拐してきた少年少女たちの体に灰を塗ったり、聖水をふりかけたりすることで、「弾除けの魔法」をかける。彼らはそれを信じて銃を手にし、飛び交う弾丸を恐れることなく敵に接近しようとする。
 こうした呪術に効果がないのは明らかだ。銃弾を避けずに突撃していく子供兵たちは次々と狙い撃ちされて、死んでいくことになる。

 「敵」としても、子供を撃つのは気持ちがいいものではないはずです。
 でも、銃を持って迫ってくれば、撃たないわけにはいかないでしょう。
 子供たちが、こうして「大人の道具」として、自分たちがやっていることの意味もわからないまま死んでいく、殺されていく世界があるのです。
 そして、それを子供たちが自分で「どうにかする」ことなんてできない。
 よくそんなひどいことができるな、と僕は思います。
 しかしながら、アメリカの空爆でも多くの子供たちが犠牲になっています。
 太平洋戦争の日本だって、そうだったのです。
 

 この本には、「不十分な装備で、フカヒレのためにサメを獲ろうとし、犠牲になった人たち」の話もでてきます。
 中国の富裕化にともなって、フカヒレの需要が高まり、それを無理に獲ろうとして犠牲になる発展途上国の漁師が少なくないのだそうです。
 世界には大きな「格差」があり、先進国の「ちょっとした贅沢」のために命を落としている人もいる。


 著者は、最後に「日本(旧日本軍)」がかかわった「都市伝説」を紹介しています。
 「南京大虐殺」「七三一部隊」「朝鮮人強制連行」。


 南京大虐殺についての、著者のこんな言葉が印象的でした。

 南京大虐殺をめぐる両国の意見対立は、数十年間平行線をたどっている。中国側、日本側が冷静に話し合って研究する機会がなかなか設けられていないのだ。
 ただ、今回の「長江に現れる幽霊」(南京大虐殺の犠牲者たちの遺体が長江を埋め尽くしているのを見た、という都市伝説)の怪談では、中国人の幽霊が日本側の主張を否定するというモチーフが取られていることが興味深い。幽霊たちは長江の流れを止め、自分たちがここで殺害されたことを訴える。それは、南京大虐殺における日本の主張を真っ向から否定することを意味している。そう考えると、この話は中国人の日本の歴史観に対する疑問を土台にしたものだといえる。
 こうした中国人のかたくななまでの反日感情を嘲る日本人は少なくないだろう。「百人斬りなんてありえない」「南京大虐殺の犠牲者はせいぜい数万人程度だ」と言うのはたやすいし、正論かもしれない。
 しかし、それで話を終えてしまったら、この怪談を語る中国人の心情はわからない。殺された中国人の立場になってもらいたい。もし加害者である日本人に「あれは中国政府のプロパガンダだ」「中国側の公表する犠牲者数は誇張だ」と言われたら、どんな気持ちがするだろうか。中国人が「日本人の都合の良いように語るな」と反論したくなるのは当然ではないか。
 特に肉親が殺された者にとってはそうだ。殺された側の気持ちとしては、「数」や「理由」はどうでもいいのだ。とにかく謝ってもらいたいと思うだけだ。正式な「数」や「理由」は歴史認識のためには必要かもしれないが、遺族が生きている時代にあっては、日本人が自分たちの主張をすればするほど火に油を注ぐことになりかねない。たとえ、それが正論であったとしてもだ。

 これを読みながら、僕は考えていました。
 いまの時代を生き、あの戦争には直接かかわっていなかった僕は、どうすればいいのだろう?と。
 もちろん、「だからといって、相手の言いなりになる」のが正しいとは思えません。 
 でも、中国側からすれば「日本人は、謝ってさえもいないじゃないか」と見られてもしょうがないような気もするのです。
 「歴史認識」としては必要なことでも、犠牲になった側からすれば、「加害者のくせに、『まずは数字を確認しましょう』なんて、あまりに酷い連中だ」と感じるのでしょうね。
 それと同時に、結局のところ「時間の経過」で、恨みというのは薄まっていく面はあるのかな、とも思うのです。
 というか、それしかないのかもしれない。


 石井さんの著書を読んでいると、「世界の残酷さ」とともに、「僕たちが暮らしている日本という社会は、必ずしも『標準』ではないのだ」ということがよくわかります。
 その一方で、いろんな角度から物事をみようとすると、なんだかとても生きるのがめんどくさくなるよなあ、とも。

 
 読んでいて、気持ちの良い作品ではありません。
 だからこそ、ひとりでも多くの人に「世界の現実」に触れてもらいたい、とも思うのです。
 この新書の終わりに「世界の戦場都市伝説MAP」というのがついています。
 これをみて、「ああ、まさに『世界中に』戦場というのはあるのだな……」と溜息をつかずにはいられませんでした。

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