琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】幸福な食堂車 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
鉄道デザイン王国・九州の秘密


いまや日本中の鉄道ファンが最も熱い視線を注ぐ九州。
かの地に一歩踏み入れば、列車から駅舎まで、かつて体験したことのないユニークな鉄道文化が縦横に広がっている。
“本当の公共性"を問い続け、九州を鉄道王国へと変貌させた一人のデザイナーの挑戦と戦いの記録。


「デザインとは何か?」
そんな根源的なことを僕自身考えながら読みました。


僕は九州在住なので、水戸岡さんがデザインしたJR九州の車両(九州新幹線も含めて)には、けっこう頻繁に乗っています。
「これを誰がつくったのか?」なんてことはあまり考えたことはなかったのですが、たしかに「白いかもめ」はすごく雰囲気の良い、快適な電車なんですよね。
降りるとき、「ああ、もうちょっとこの列車に乗って、ボーッとしながら本を読んでいたいなあ」なんてことを考えます。


先日、家族でSL人吉に乗った帰りに、この本にも出てくる「いさぶろう・しんぺい」という珍しい名前の特急(熊本県の人吉と鹿児島県の吉松を結ぶ特急、名前の由来は、「いさぶろう」が人吉駅 - 吉松駅間が建設された当時の逓信大臣山縣 伊三郎、「しんぺい」が同区間開業当時の鉄道院総裁であった後藤新平なのだそうです)にも乗りました。
これも水戸岡さんデザインの列車なんですね。
この列車では車両や内装のデザインはもちろん印象的だったのですが、何よりも、女性の車掌さんが笑顔で車内を巡って写真を撮ってくれたり、記念の乗車証をくれたりして、すごく感じがよかったんですよね。
でも、ああいうサービスの改善というのも、水戸岡さんのデザインによって「環境が変わった」ことによるのも大きいのではないかと、これを読みながら考えていました。


しかしながら、水戸岡さんの「鉄道のデザインの改革」が、JR九州で行われたというのは、九州在住である僕にとっては、考えさせられるところもあって。
国鉄がJRになり、日本国内で6つに分社化された際に、黒字経営が見込めた東日本、西日本、東海の3社に対して、北海道、四国、そして九州の3社は「経営が厳しくなることは想定済み」だったのです。
「普通に電車を走らせ、仕事で移動する人たちを輸送する」だけで安定した経営ができる東日本、西日本、東海と比べて、通勤・通学の利用者が福岡県内の一部を除いては少なく、時間や運賃で自家用車や高速バスとの競争が激しい九州では、「お客さんに、積極的に鉄道を利用してもらう努力をしなければならない状況」が続いているのです。
「座して死を待つよりは」と、水戸岡さんのデザインに賭けたところもあるのだよなあ。


水戸岡さんは、「デザイナーが目立とうとするデザイン」ではなく、「そこに住む人たちの生活が充実したものになるデザイン」を追求しているデザイナーなのです。
でも、それは逆にいえば、「そこに住み、働く人たちにとっても、その心地よい場所を維持するための協力や自覚が求められる」ということでもあります。


 2011年7月に、富士吉田駅富士山駅にリニューアルした際の水戸岡さんについて、著者はこんなエピソードを紹介しています。

 クルマを駐車場にとめ、駅構内に一歩足を踏み入れたとたん、水戸岡が苛立ちを隠さず言う。
「こういう、いらんことはしなくていいのに。皆が余計なことをしたがる。そのまましておくと、こういうのがどんどん増えていくんだ」
 水戸岡が腹を立てていたのは、構内に入ってすぐのところに立てられていた看板だった。駅から隣接するカフェへと導くための手書きの案内板だ。もちろんデザイナーの許可を得ることなく立てられたものである。
 情報を必要とする人がいるであろうから、あるいは店の宣伝は不可欠であろうから立てる。それが立てる側の論理だ。しかし、これをやっていけば、公共の場にはやがて情報があふれかえり、混戦し、人は結局混乱の中に佇むことになる。少しでもわからないことがあったり、問い合わせが来たりすると、すぐにポスターや指示板を立てる悪癖が日本人にはある。事故が起きた道路に間隔などを気にせず次々と横断歩道や信号が設置されていくのと同じ理屈だ。過剰な説明と饒舌な宣伝は、街や駅といった公共の場をどんどん汚し、息苦しくしていく。

 ああ、これはものすごくよくわかる。
 その一方で、「過剰な説明や宣伝」をしたがる人たちの立場も、わからなくもないから困るのですが。


 水戸岡さんは、「5つのS」(整理、整頓、清潔、清掃、しつけ)を大事にしているそうで、整理整頓が苦手な僕には、けっこう耳が痛いところもありました。
 水戸岡さんは「街づくりでも、まずは大掃除から始めるべきだ」と考えておられるそうです。

 水戸岡はたとえばこんな計画を思い浮かべる。
 街が月に一度「街中掃除大会」を開く。モップやスコップ、バケツを用意して、掃除する。トラックに最新機能の掃除道具を積んで、皆で一気に掃除するのだ。そして無事に終わったら、参加者で打ち上げをする。掃除をするということは、すなわち、自分たちの環境を整備することに他ならず、そこでは環境に対する健全な姿勢が育つ。多くの人が参加することによって街に対する意識が変わる。デザイナーの役割は必ずしも際立つ建物をつくることではない。散らかったものを片付けるだけで、街と街に住む人々の意識は、大きく変わっていくのだ。動線がどうだとか、人口の流動が云々とか、集客数をどうあげていくかだとか、そんなことを言う前にまずは掃除から始めるべきだろう、というのが水戸岡の主張だった。

 これがまさに、水戸岡さんのデザイナーとしての「思想」なんですよね。
 なんでもきらびやかに、新しいものをつくるのではなく、古くても使えるものは積極的に利用していくのです。
 無駄を極力省いて、居心地の良い空間をつくっていく、引き算のデザイン。


 水戸岡さんは、パース画という、顧客にアピールするためのマンションの完成図などを描く仕事で頭角をあらわし、ひょんなことから、「海の中道ホテル」のデザインを行うことになります。
 そして、本人も予想していなかった、鉄道車両のデザインへ。
 

 787系特急「つばめ」のデザインを依頼された際、水戸岡さんには「食堂車」へのこだわりがありました。

 水戸岡がとりわけ強く関心を持っていたのは、食堂車だ。お金がかかるばかりで儲かりはしない車両だが、絶対に必要なものだと思っていた。それは、この新型列車の肝になるものだと確信していた。「儲からないもの」も世の中にはあるべきだろう、という考えだった。
 水戸岡は、子どもの頃、吉備津神社の祭りを見ていて、なぜ大人がこんな儲かりもしないことを手間暇かけて必死に子どもたちのためにやるんだろう、と感じていた。農作業の手を休めて、にこにことした顔で準備に参加して、疲れて帰っていく。その田舎では当たり前のようにやられていたことが、なぜ、企業に入ってサラリーマンになるとできなくなってしまうのか。半分は会社の利益のために働くけれど、半分ぐらいは地域のために働くということがあってもいいのではないか。そんなことをときどきぼんやりと考えていたのだ。
 食堂車は、儲からない車両ではあるけれど、地域のため、利用者のための空間、いわば広場であって、公共の乗り物の中にはあってもいいのではないか、というのが水戸岡の発想だった。人々が集まってくる広場は、飛行機もクルマも持ち得ない、列車だけに可能な移動空間なのだ。

 人件費なども含めて考えると、食堂車は「1年間に1億円の赤字」となることが予想され、「つばめ」への食堂車の導入は難航します。
 結果的には、食堂車の代案としてビュッフェ(電子レンジなどで簡単に調理したものを出す簡易食堂)が、「つばめ」につくられることになりました。
 こうした水戸岡さんのアイディアが(完璧ではないにしても)導入されていったのは、水戸岡さん本人の力はもちろんなのですが、JR九州を変えるために、その思想を活かそうとした他の関係者たちの努力もあったのです。


 この本を読んでいて僕があらためて感じたのは「デザインが、環境が人を動かすこともあるのだ」ということでした。
 特急「かもめ」の普通車の椅子に革を使うことにした際には、こんなエピソードがあります。

 また、革に対しては、心ない客に傷つけられるのではないか、という意見もあったが、水戸岡は逆に「デザインがあるレベルに達していれば、人にマナーやモラルが生まれると信じている」と主張して、これを通した。実際それまでデザインした列車では、ひといいたずら書きはほとんどなかったのである。

 
以前読んだ『超<集客力>革命』という新書で、こんな話が紹介されていました。

 子どもたちに美術館で学んでほしい。その一方で、教育の場にももっと個性的な建築デザインが導入されてもいいのではないかと私は思っている。学校の校舎を個性的にすることは、子どもたちの意識を変えるきっかけになるはずだからだ。


 これは私だけの考えではない。石川県加賀市にある市立錦城中学は安藤忠雄さんが設計を手掛けている。市長が安藤建築の大ファンだったことから依頼があったという。


 この学校の建築デザインはすばらしい。安藤さんといえばコンクリート建築で有名だが、この学校は加賀市の木材で造られている。舟のかたちをした建物は、一見、学校とは思えないほどユニークだ。


 校長に話を聞いたところ、安藤さんの新校舎になってから、生徒たちが変わったという。旧校舎時代には、校内で生徒同士のいざこざがあったり、窓ガラスが壊されたりと、いわゆる「荒れた」時期もあったそうだが、新校舎になってまったくそういうことがなくなったという。


 どこにでもある同じような没個性の四角い箱の校舎ではなく、世界に一つ、どこにも例がない学校に通っているということは生徒にとっても誇りが持てることだと思う。学校を愛することができれば、自然と校舎を大切にする。建築表現の多様さを体現した空間のなかで感性に刺激を受けながら勉強できるとは、なんと幸せなことなのだろうか。安藤さんは錦城中学のほかにも伊東市の野間自由幼稚園など、教育環境に関わる設計にも積極的だ。


 人が環境を変え、変わった環境が、今度は人を変えていく。
 僕は芸術的なセンスに乏しい人間ですが、この本を読んで、「デザインの力」を思い知らされました。
 まず、自分の部屋を掃除しなくては。


 ちなみに、今年の秋、水戸岡さんデザインの九州一周寝台特急が運行開始されるそうです。
 これは、ぜひ息子と一緒に乗ってみたいと、いまから楽しみにしています。


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