琥珀色の戯言

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【読書感想】韓国窃盗ビジネスを追え ☆☆☆☆


韓国窃盗ビジネスを追え―狙われる日本の「国宝」

韓国窃盗ビジネスを追え―狙われる日本の「国宝」

内容紹介
日本から盗まれた重要文化財が韓国で売買されている! 信じがたき実態を暴く。長崎県壱岐島の安国寺、兵庫県鶴林寺……日本各地の寺院から次々と盗まれる高麗仏画や経典。それらは韓国で高額で売買され、一部が堂々と国宝に指定されたという疑惑も。「元々は我々のもの、取り返して何が悪い」と開き直る古美術商や、彼らからの注文を受け暗躍する窃盗団たち。竹島だけではない、日韓の“火種”に迫る。


日本の重要文化財が、韓国の窃盗団に狙われている!
なんて酷い話なんだ、とこの本の紹介をネットで読んだときには感じました。
日本の寺院なんて、一部の大寺院を除けば、ほとんど無防備だろうし……
(これは僕の思い込みで、この本を読むと、重要文化財クラスを所蔵している寺院には、それなりのセキュリティが張り巡らされていることが書かれています)
しかも、韓国の人たちは、その窃盗団を「支持」しているのだとか……


この本を読むまでは、もっと「日本と韓国との断絶」を煽るような内容なのかな、と思っていたんですよね。
「日本から盗んだ朝鮮半島由来の美術品が、韓国で平然と見せびらかされ、国宝にまで指定されているという疑惑もある」のですから。


でも、読んでみると「もともとウチのものなんだから」って公言しているのは、窃盗団とか一部の研究者、ネット上の反日派くらいのようです。
韓国の「世論」も、窃盗団が、盗んできた美術品をすぐに換金した、という「金目当て」の犯行であるというのを知って、表面上は沈静化したそうですし。
ただし、著者が受講した韓国の文化庁お墨付きの美術品の講座では、「この作品は『日本のヤツ』が持っていった」などという、敵愾心を剥き出しにした「解説」をする講師がいたそうなので、「内心」では、「日本に盗まれたものを取り返して、何が悪い」と考えている人は少なくなさそうです。
もし犯人たちが「義賊」を名乗って盗み、韓国の美術館に寄贈されていたら、どうなっていたのだろう?とか、ちょっと想像してもみるのですけど。


日本の各地の寺院から盗まれてしまった文化財について、著者は各地を取材したそうなのですが、大事な文化財であり、信仰の対象を失ったほとんどの住職は、「半ばあきらめていた」のです。


そんななか、鶴林寺の幹栄盛住職は、盗まれた「阿弥陀三尊像」について、こう仰っていたそうです。

「あの仏画は230年ごとに、これまで三度修理されており、豊臣秀吉朝鮮出兵以前の1477年にも修理した記録があります。高麗仏画ということで近くに住む在日の人たちの自負心の支えにもなっていましたし、日韓友好の証でもあります。なんとしても戻ってきてほしい」
 こう話し、仏画の奪還へ並々ならぬ情熱を傾けていた。
 私は、幹住職のこの情熱につき動かされた。
 韓国では、日本にある朝鮮半島由来の古美術品は、倭冦や豊臣秀吉朝鮮出兵によって、あるいは植民地時代に略奪されたと見る傾向が強い。韓国で取材していると、「もともとはわれわれのモノなのだから」とあからさまに言う人も少なくなかった。
 意識の違いをひしひしと感じ、自分の力では重文の行方など探せるはずがないと弱気になっていた私に、幹住職の言葉は響いた。
 そうなのだ、日本に渡ってきた経緯は定かではないにしても、鶴林寺のように、日本で大事に守ってきた歴史もあるのではないか。そんな思いがふつふつと沸いてきて、よし、ともかく、なんとしてでも行方の糸口だけでも探しだそうと気持ちを切り替えた。

「美術品は誰のものか?」っていうのは、たしかに「火種」になりうる問題です。
どちらの国の、どの時代を重視するかで、立場は違ってきます。
 以前『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!』という本で、こんな文章を読みました。

 ドイツのベルリンにあるペルガモン博物館にも、古代遺跡の出土品が多く展示されています。全体を再現展示されている「ゼウスの大祭壇」は、それがもともとあったトルコのベルガマ遺跡の荒涼とした雰囲気を思い出しながら、同じく「イシュタール門」はイラクにある古都バビロン遺跡を想像しながら鑑賞します。


 どちらも息をのむほど美しく装飾されており、これを都会の美術館の屋内ではなく、古代遺跡の現地で鑑賞できれば、どんなにすばらしいだろうと思います。しかし同時に頭に浮かぶ問いは「でも、本当にそれが一番いいと言えるだろうか?」ということです。


 これらの文化財を自国に持ち帰った欧米諸国は、当時の世界において圧倒的な経済力や政治的安定性を誇っていました。もしも彼らがそれらを自国に持ち帰っていなかったら、今頃どうなっていたでしょうか。


 欧米の博物館は、文化財の維持、保存に多額の費用をかけ最先端の技術を適用しています。修復や調査研究でも大きな成果をあげており、それらにより新たに判明した古代の事実も多いのです。さらに大半の国は、それらを安いコストで誰にでも鑑賞できるように展示しています。


 一方、古代遺跡が存在した国の多くは、少なくとも今まではそんな多額の予算を文化財保護のために投入することはできなかったでしょう。予算がなければ、長期間、風雨にさらされて毀損してしまったかもしれないし、盗掘や盗難に遭う可能性も少なくありません。


1994年に長崎県壱岐から盗まれた「高麗版大般若経」についても、韓国人のなかには「あれは昔、倭冦に盗まれたものなのだから、取り返して何が悪い」と言い放つ人が少なくなかったそうです。


泥棒という手段は許されませんが、「もともと自分の国のものだった美術品が、昔の国家の力関係で奪われたもの」であれば、取り返したいと思う気持ちは、わからなくもない。
僕もボストン美術館で、閑散としている日本絵画の部屋を眺めながら、「ああ、これ日本に持って帰りたいなあ」なんて、ちょっと思いましたし。
でも、あれらの作品は、日本ではそれほど重んじられていなかったし、もしかしたら、こうして持ち出されることがなければ、いまの時代まで残っていなかったかもしれない。


「国や民族の文化財を取り戻したい」というのは、万国共通のようです。
それが観光資源として、お金を生むこともありますし。


窃盗ではなく、交渉による「返還運動」が行われ、それが奏功することもあるのです。
あの有名なツタンカーメンの黄金のマスク、僕は子どもの頃大英博物館に所蔵されていると聞いていたのですが、エジプトからの強い返還運動により、現在はカイロ博物館にあります。
ちなみに、ロゼッタストーンは、まだ大英博物館の所蔵です。


ただ、日本にやってきた経緯はどうあれ、日本で、長年多くの人に拝まれ、大事にされてきた」歴史を考えると、そう簡単に「返す」というわけにもいかないでしょう。
ツタンカーメンの黄金のマスクのように、発掘の経緯が広く知られている文化財のほうが、珍しいのですから、「うちの国から盗んだものだ!」と言われても、証拠もないのだから。


著者の行動力には、本当に頭が下がります。
反日感情を持つ人も多い韓国で、しかも、盗品と窃盗グループを追うという「裏社会の取材」をここまでやるというのは、大変な労力と勇気を必要としたはずです。
窃盗団をつくって日本に来て、重要文化財を略奪した男やその仲間と差し向かいで話をする、というだけで、僕なら「ちょっと勘弁してください」って感じだものなあ。
ノンフィクションライターって、過酷な仕事だ……


犯人のひとりとされている人物は、長崎県壱岐での盗みについて、こんな証言をしています。

 しかし、500巻弱の教典をカバンにいれたのであれば、ひとつでは収まりきらないだろう。持ち運ぶにしても、かなりの重さだ。それに、そんな大荷物をいくつも持っているほうが怪しまれるのではないか。そう訊くと、分かっていないなあという表情で、
「乗船するときにカバンを両手でこうやって持って、チケットを口にくわえるんですよ。
 そうすると、チケットをチェックする人はどうすると思います? 両手にカバンを持ったまま、入り口のところまで行くと、口にくわえたチケットを口からとってチェックするんです。
 日本は他人に迷惑をかけてはいけないと考える社会でしょ。だから、重そうなカバンをわざわざおろさせて、なんていうことはしない。
 もちろん、一度には持ち運べないから、何回かに分けて運び出してきた」

生々しい証言なのですが、これが事実だったという証拠はありません。
でも、こんなふうに「日本人の特性」を犯罪者たちに利用されている場面って、少なからずあるんだろうなあ、という話ではあります。
基本的に「性善説」あるいは「事なかれ主義」なんだよなあ、きっと。


前述の主犯格の男は、こうも言っていたそうです。

「正直、食べて生きていくために、この仕事をやり始めた。それが、腹が膨れてくれば名分がたち、名分がたってくると、使命感が湧いてきた。
 この仕事をやっているうちに、若い世代に資料として残すべきだと考えるようになったんです。自分自身が変わったというか。知らないうちに愛国者の役割を担っていたというわけです。
 盗人から始まったのは事実ですが、それが信念に変わったというのも、また事実です」

まあ、盗人猛々しいとはこのことで、「若い世代に資料として残す」どころか、早々に金持ちに売っぱらってしまっているのですけど、こういう詭弁を「愛国的な行為」ともてはやす人が、韓国にいたのもまた事実。


こうして盗まれた仏画や経典は、表に出すわけにもいかなくなり、人目に触れることはなくなってしまいます。
そんな状態で「取り戻した」とは、言いがたいと思うのです。
それならばむしろ、外国にあっても、自分自身を含む多くの一般人の目に触れる状況のほうが、はるかにマシなはずなのに。


いろいろと、もどかしい話でもあり、こういうことが起こっていることに憤りを感じる面もあり。
こういうのを読むと、「やっぱり韓国は……」と僕も言いたくはなるのですが、そこで思考停止してしまっては、両国の関係も盗まれた美術品も報われないと思うのです。
残された現実は、「素晴らしい作品を、国籍に関わらず、ほとんどの人が見ることができなくなっている」だけなのだから。

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