琥珀色の戯言

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【読書感想】ラジオのすごい人たち ☆☆☆☆


ラジオのすごい人たち: 今こそ聴きたい34人のパーソナリティ

ラジオのすごい人たち: 今こそ聴きたい34人のパーソナリティ

内容紹介
このラジオパーソナリティがすごい! 
伊集院光ふかわりょう山里亮太南海キャンディーズ)、宮川賢ピストン西沢、オードリー……最前線で活躍するラジオの天才34人を厳選、そも魅力と聴きどころを縦横無尽に語りつくす、まったく新しい画期的ラジオパーソナリティガイド!いま、ラジオが面白すぎる!


出版社からのコメント
radikoやネットとの連動で以前より気軽に聴けるようになったせいもあり、ラジオへの注目度が増えてきた昨今ですが、雑誌などで取り上げられる場合、どうしても80年代までの深夜放送黄金期を振り返るような内容になりがちで、現在進行形のラジオパーソナリティについては、オマケ程度にしか取り上げられていないような気がします。しかし、ラジオは昔も今も変わらず面白く、いま現在のリスナーを魅了しているパーソナリティもたくさんいるのです。本書はそんな最前線のパーソナリティ34人を厳選し、その魅力と聴きどころを解説した、ちょっと類例のない「ラジオパーソナリティミシュラン」のような一冊です。著者は「ラジオライフ」「ラジパラ」などで活躍した、新進気鋭のラジオ記者。独自の取材経験に基づいたラジオ解説がたっぷり楽しめます。ラジオに少しでも興味があるなら、手元に置いておいて絶対に損がない一冊です!

本の雑誌』の年間ベスト10で第8位にランクインしており、ラジオ好きとしては読まなければ!と購入。
でも、この本の冒頭に書かれている文章に、冷水を浴びせられたような気分になりました。

 だが、現状でラジオを語る際、名前が上がるのは熟練のしゃべり手ばかり。40年も昔のカメ&アンコー亀渕昭信斉藤安弘)がいまだに話題になることさえある。「最近までラジオを聴いていた」という人がいても、よくよく話を聞いてみると『ビートたけしオールナイトニッポン』や『中島みゆきオールナイトニッポン』止まりだったりする。両番組とも1980年代後半から1990年頃、つまり今から20年前に終わってしまっているのに、である。

ああ、僕はまさにこれだ……
僕はけっこう同世代のなかでは、いまでもラジオを聴いているほうだと思っていたのですが、これを読んでいると、「ああ、1980年代のオールナイトニッポンの記憶をひきずっているだけで、現在のヘビーリスナーじゃないんだよなあ」とあらためて思い知らされました。
考えてみれば、最近聴いている番組って、『安部礼司』とNHKの『三昧シリーズ』で気になる回くらいですし。


この本、ラジオを愛し、ずっとラジオを採り上げてきた著者による、「いま、注目のラジオパーソナリティ紹介」がメインになっています。
「いまの、そしてこれからのラジオを支える人たち」を採り上げるため、福山雅治さんとかナインティナインのような「長年のキャリアを持つ、評価が固まっている人」あるいは「ラジオ以外のところでの活躍が目立つ人」は、意図的に外されているようです。


伊集院光さんや小島慶子さんといった「ラジオ界の有名どころ」から、首都圏中心の番組でしか聴けない人、あるいは、これから伸びてくることが予想される「期待株」まで、かなりたくさんの人が網羅されていて、僕もあらためて「聴いてみようかな」と思うパーソナリティが何人か見つかりました。


伊集院光さんの項では、こんなエピソードが出てきます。

 伊集院光が「ラジオモンスター」と呼ばれる由縁はフリートークだけではない。コーナーや投稿選びにも尋常ではない熱量を傾けるのだ。ラジオ番組の作り方として、企画はディレクターや構成作家が考え、採用する投稿もスタッフが選び、万全の準備が整ってからしゃべり手がマイクの前に座ることもあるが、伊集院は違う。番組の企画決定にも積極的に関わり、投稿にもすべて目を通して採否を決める(2005年1月2日、TBSラジオ新春特番内での外山惠理アナウンサーの発言より)。放送を聴いていると、番組が25時からにもかかわらず21時頃には局に入っているようだ。さらに、自宅でも投稿を読んでいるらしい。2時間の放送のために、何日もかけて準備をしているわけである。

「面白い」のは、伊集院さんの「即興的なしゃべりの才能」だけが理由ではなくて、ちゃんと「仕込み」から気を配っているから、なんですよね。
ラジオというのは、「即興」の面白さが大きいのですが、だからといって、準備をしなくていい、というわけじゃない。


また、小島慶子さんについては、2006年に著者がインタビューしたときの発言の要約が、こんなふうに紹介されています。

「育児を通して仕事観が変わった。子供がいたら家に帰って食事も作るし洗濯もしなきゃいけないし、お風呂も掃除しなきゃいけない。こういう生活の上で当たり前のことをせずに、「自分たちはすごいことをやっている』と思っている人間がマスコミ、とりわけテレビ局には多い。だけど、自分たちが作ったものを届ける相手は、日常の生活にまみれながら息抜きや情報を求める人たち。その対象となる人々の生活を知らずにいるのは不勉強でしかない」

 今になって考えれば、至極もっともな話である。一般生活から浮いた生活をしていれば、世間の人がどんな情報、どんな娯楽を求めているのかは分からない。そんな人間が作ったテレビやラジオといった放送、もしくは本が、受け手の心を揺さぶるわけがないのだ。
 だが、当時20代後半だった私にとって、彼女の言葉は衝撃だった。その頃の私は、自分の仕事が認められ始めて意見も通るようになり、働くのが楽しくて仕方がない状況だっただけに……である。

うーん、これを読んだ瞬間は「その通り!」って思ったのですが、率直に言うと、「だからこそ、実際の生活をかけ離れたものを求める」場合だってあるだろうとも感じたんですけどね。
「迎合」してくるメディアは、「浮世離れ」しているよりもはるかに、たちが悪いような気もするし。
でも、子どもがいる生活をしていると、小島さんが仰っていることはわかります。
なんのかんの言っても、テレビがすべての世代のニーズをカバーしきれるわけではないし、ずっと画面を観ているわけには行かない人だって多いのだから。
ラジオは何か他のことをやりながら聴いている人が多いから、「日常の生活にまみれながら息抜きや情報を求める人たち」に寄り添うメディアなのかもしれませんね。


この本のなかで印象的だったのは、伊集院光さんと小島慶子さんのラジオで喋ることに対するスタンスを、著者が比較して述べた、こんな言葉でした。

「辛い現実を受け止め、社会を変えようと務める」小島慶子のスタンスは、「辛い現実を笑い飛ばす」という伊集院光と表裏の関係にある気がする。希望的観測抜きで世の中を見極めた上で、おかしいことは正面から指摘すべきとするのが小島慶子、婉曲的に笑いにし、相手に気づかせるのが伊集院光なのではないだろうか。立脚点は同じで、世の中に望みを持ち続けているのが小島慶子、達観しているのが伊集院光といい替えてもいい。だからこそ、初期の『深夜の馬鹿力』の「馬鹿ニュース(常識的にあり得ない馬鹿なニュースを読む)」企画に欠かせない存在として、TBSアナウンサー時代の小島慶子がいたのではないか。


僕は中学〜大学時代に『オールナイトニッポン』を聴いていたので(当時はタイマー録音なんてありませんでしたから、深夜放送がはじまる時間まで起きているのが大変だったのを覚えています)、リスナーの「ネタ投稿」をさばいて、盛り上げていくのがパーソナリティの技量、と考えてしまうのですが、世の中には、日中に仕事をしながらとか、運転をしながら聴いている人も多いのです。
もちろん「ネタ」も大事だけれども、聴く側のニーズも多様なわけで。


東日本大震災の際に「ラジオのちから」が多く採り上げられましたが、その後のラジオは「テレビとネット」に押され続けながら、なんとかその「隙間」で生き長らえています。
現実的に考えて、今後、ラジオがテレビやネットを押しのけてメディアのなかでの地位を上げていく、なんてことは、想像がつきません。
でも、そういう「マイナーな存在」だからこそ許される、あるいはできることもあるはずです。
テレビ業界でも「テレビ東京だからこそ可能な番組」があるように。


先ほど御紹介したNHK-FMの長時間の『○○三昧』という企画などは、テレビでは放送時間的にも視聴率的にも難しいでしょうし、運転しながら名も知らない番組を聴いていて、リスナーからのちょっとした日常報告にハッとさせられることもよくあります。
ラジオを1時間聴いていたら、必ずブログのエントリを1つかけるくらいのネタが含まれているのです。


radikoのおかげで、スマートフォンでもラジオが聴けるようになりましたし、なんとなく「耳障りにならないような、誰かの声が聴きたい」と思うこともあるんですよね。
そういうときには、やっぱりラジオ、なんだよなあ。


首都圏以外のリスナー(僕もそうです)にとっては、知らない&聴けない人が多いのが残念ではありますが(うちの近辺では、AM
ラジオはニッポン放送系とNHK、FMはTOKYO-FM系とNHK-FMだけですから)、「もう一度、ラジオを聴いてみようかな」という「再デビュー組」にとっては、数少ない良質のガイドブックだと思います。

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