はてなダイアリー10周年、ですか。
振り返ってみると、僕の最初のダイアリーは2003年の2月17日。こんな内容でした。
「オレたちひょうきん族」?のDVDが発売されるというニュースを見た。
観たいなあ、と思いつつも、僕が今「ひょうきん族」の当時の映像を観て、最初に浮かぶ感情は「面白い」というより「懐かしい!」だという予感がする。
個人の感性、および時代性を超えた「面白さ」というのを人々に与えるのは、絶対不可能なのではないか、という気持ちになることが多い。
実際、僕はチャップリンやキートン、あるいはコント55号なんてのを子供時代に観て、面白いとは思えなかったし、今観ても「名作だから」と自分に言いきかせながらでないと、最後まで観られないような気がする。
テキストコンテストという企画に僕は参加しているのだが、その感想を読んでいて毎回思うことは、いかに人それぞれの面白いと思うツボが違うか、ということだ。
それでも、自分の能力でできる範囲の人々に「面白い」と言ってもらいたい。
でも、どう考えても僕には描けない種類の面白さというのが、この世には存在している。
しかし、こういうのは、もはや才能じゃなくて、巡り合わせと少しの修練なのかもしれない。
たとえば、ピアノがない時代に生まれた素晴らしいピアニストとしての才能を持った人が、世間の役に立たずに埋もれていくのと同じように。「面白いことを書こう」と思った時点で、すでに敗北が決定していて、「その人が普通にやったことが周りに面白く受け取られてしまう」人だけが勝者となりうるのかもしれない。
すべては巡り合わせである、というのは、あまりに運命論的ではあるのだろうけれど。
まあ、なんというか「青いと言えば青い」し、「10年前から、やろうとしていることは、そんなに変わっていない」(そして、目標は達成されていない)」と言わざるをえないですね。
当時『日記才人』とか『テキスト庵』とかで一緒に日記を書いていた人たちが「これからはブログの時代だ!」と、次々とはてなダイアリーのβテストに加わっていくのをみて、僕もなんとかβテストに入れてもらったときのことを思い出します。
あのときは、「メインサイトでは書けない、愚痴を吐き出す場所」にするつもりだったのだけれども、いつのまにか、こちらがメインになってしまって。
思えば、「はてな」とも、ほぼ10年の付き合いになるわけです。
その間、「はてな」の「ネガティブコメントへの対処のしかた」とか、「はてなブックマークで袋叩きになりやすい性質」などに疲れ、移籍しようとしたこともあったし、プライベートモードにしたこともありました。
実際、他のブログサービスを試してみたこともあります。
でも、結局10年間、ここにいるんだよなあ。
「はてな」というのは、「人と人と、あるいは、ブログとブログが繋がりやすいサービス」なんですよね。
それも、「お気に入り」「フレンド登録」みたいな「仲良し前提」ではなくて、「キーワード」や「ブックマーク」で、望むと望まざるとに関わらず、「繋がってしまう」。
おせっかいというか、めんどくさいというか。
しかしながら、一度「はてな」の雰囲気に染まってしまうと、あまりにも静かな他のブログサービスでは、何か物足りなく感じてしまうのです。
僕は「炎上上等!」というタイプではなく、(少なくとも)平和と孤独を愛する人間で、世界の片隅から、少しでも自分と世の中が良い方向に行くような言葉を紡ぎ続けられたらいいなあ、と思っています。
でも、本当に穏やかな環境だったら、ここまで続いていたかなあ、などと考えることもあるのです。
TwitterやFacebookなどのSNSが栄えて、ブログはもう時代遅れなのではないか、と言われています。
ブログをアクティブに書いている人も、減ってきているのは間違いないし、10年前のように、新しい、面白いブログを「発見」する喜びを感じる機会も少なくなりました。
でも、Twitterをやっていると、なんだかすごく虚しくなることがあるのです。
Twitterは、比較的容易に、誰かの反応を得ることができるツールです。でも、そのためには、とにかく、ずっと呟き続けなければならない。
どんな「いいこと」を言っても、30分もすれば、その言葉は流れ去ってしまう。
「140字で、簡単に書ける」ように思われがちだけれど、誰かの「反応」が欲しくなってしまうと、本当にキリがない。
そして、Twitterのなかでやりとりされている情報のほとんどは、メディアの記事であったり、ブログの内容、あるいは、『2ちゃんねる』やTwitterのつぶやきの「まとめ」なんですよね。
Twitterは、1のものを100に増幅できる。
でも、0のものを1にはできない。
そう思うのです。
ブログは、ごく稀にだけれど、その「1」を生みだすことができる(はず)。
id:kowagariさんが『はてなの本』に、「はてなには、まだまだ何かがあるよ」と書かれていて、「そうだ、きっとそうだ」と思っていた頃が、すごく懐かしい。
たくさんの人に読んでもらえて嬉しいこともあったし、「炎上」して眠れない夜もありました。
人が多く来てくれるようになると、むしろ、外に向かって心を閉じてしまうこともあるのだ、ということもわかった。
この10年、いろんなことがありました。
思うに、僕の30代は、「はてなの時代」だったのかもしれません。
それで何が得られたというわけではないのだけれど、毎日のようにエントリを書き、その反応を確かめるというのは、僕にとってはひとつの「存在証明」みたいなものでした。
人は、ブログを書くために生きるのではない。
でも、ブログを書くことによって、生きることの解釈のしかたを、少しだけ変えることができる。
そういえば、2月17日って、結婚記念日なんですよね。
このブログと結婚生活、どちらが長持ちするだろうか。