琥珀色の戯言

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【読書感想】北の無人駅から ☆☆☆☆☆


北の無人駅から

北の無人駅から

内容(「BOOK」データベースより)
単なる「ローカル線紀行」や「鉄道もの」ではなく丹念な取材と深い省察から浮き彫りになる北海道と、この国の「地方」が抱える困難な現実―。新たな紀行ノンフィクションの地平を切り拓く意欲作。

『書店員が本当に売りたかった本』(僕の感想はこちら)で採り上げられていたのをみて購入。


北海道の「無人駅」からはじまる、7つの章で成っている本なのですが、合計800ページ弱で、各章の終わりに「CLICK」というタイトルのかなり詳細な「注釈」がつけられています。
最初、手にとったときには、「分厚い本だなあ、読み切れるかな……」と買うのを躊躇してしまったほどですが、読んでいくうちにどんどん引き込まれていってしまいました。

 なぜこんなところに駅が……。誰もが疑問を抱きたくなるような場所に、その駅はある。
 室蘭本線「小幌駅」。
 駅のホームは、トンネルとトンネルの間のわずか87メートルの切れ間にあり、右を向いても左を向いても黒々としたトンネルが口をあけている。おまけに、ホームの北側には山がせり出し、南側は海を見下ろす断崖だ。
 特急に乗って通過する人は、まさかそこに駅があるとは思いもしないだろう。


(中略)


 奇妙なのは、この駅に一日8本(上り5本、下り3本)の普通列車が停車することだ。ケモノ道を下って崖下の海岸に出られることから、夏の間、ごくたまに釣り客や山菜採りの人などが乗り降りすることもあるというが、周囲にはもちろん民家などない。
 いったい誰のための駅であり列車なのだろう。

田舎を列車で旅していると、「この駅、誰か利用しているのかなあ」なんて感じることは、少なからずありますよね。
でも、この「小幌駅」の話はさすがに「別格」という感じがします。
こういう駅は、いまの日本では、北海道以外ではなかなか見られないのではないでしょうか。
この本で紹介されている無人駅のうちのいくつかは「鉄道マニア垂涎」でもあるらしいですし。

しかしながら、そこに鉄道が通っていて、駅があるというのには、それなりの「理由」があるのです。
そして、その駅に関わってきた人たちの「物語」がある。
この本のなかでは、そういう「大新聞やテレビやYahoo!のトップニュースにはならない、北海道で生きてきた人々」の記録が丁寧におさめられています。


この本では、6つの(増毛駅は上下篇なので)無人駅のエピソードから、漁業、自然保護、農業、観光、地方の政治という、さまざまな切り口から、「北海道のいま」そして、「日本のいま」が描かれているのです。


北海道といえば、雪祭りと大自然と札幌ラーメンと日本ハムファイターズ、というくらいのイメージしか持っていなかった僕にとっては、いままで知ることがなかった事実があまりに多すぎて、驚かされるばかりでした。

ホタテ漁に興味がある」というのは、まんざらウソではなかった。
 私はこの取材をするようになって初めて、ホタテガイが北海道を支える重要な屋台骨であることを知った。漁業統計をみても、北海道で水揚げされるすべての魚種の中で、ホタテの生産量はここ10年来つねにトップ。しかも、2位以下のスケトウダラやホッケ、サケなどを大きく引き離したダントツの1位である。
 サケやカニ、コンブといった北海道を代表する魚貝類はもちろん、サンマやイワシといった大衆魚も、ホタテの生産量にはかなわない。北海道は、日本の総水揚げ量の4分の1を占める「水産王国」であるから、ホタテなくして、日本の水産業界は立ちゆかないといっても言い過ぎではない。


また、「米のおいしさ」についてのこんな話もはじめて知りました。

 コメの食味は、「食味分析機」という機械で測定される。日本人ならおそらく誰もが知っている、コメのおいしさ――。それを理化学的に機械で測定できるというのだから驚きである。おいしいコメとは、でんぷんの一種である「アミロース」と「タンパク」の含有率が低く、マグネシウムやカルシウムなどの無機成分が多いコメ、とされている。
 中でも、今日の農家をぎゅうぎゅう締め上げるほどに重要視されているのが、「タンパク値(含有率)」である。農家のウデ(農業技術)によって、数値に大きく差が出るからだ。
 というのも、コメのタンパク値は、土壌の3大要素である「チッソ・リン酸・カリウム」のうち、チッソと深く関係している。チッソが不足すると、イネそのものがうまく育たないため、各農家は肥料を投入することで土壌にチッソを補い、イネの生育を助けるというのがそもそもの栽培テクニックの基本なのだが、チッソを入れすぎると、イネはたくさん穂をつけるが、逆に、タンパク値が上がってしまう。
 おもしろいのは、「肥料の量」と「おいしさ」が反比例することだ。
 つまり、「おいしいコメ」を「たくさん穫る」ことは、原理的に不可能なのである。

僕はいままで、「このご飯、おいしいね」なんて言いながら、「まあ、コシヒカリだからね」みたいな「思い込み」の要素が強い気がしていたのですが、現場では、ここまで「客観的な評価」がなされているのです。
「本当なのだろうか」と言いたくもなるのですが、実際にこうして「コメのおいしさ」は数値化され、農家の競争が行われているのです。

また、これまで「民主党のバラマキ」のように思っていた、「農家に対する現金での援助」も、「これまでのようにコメを高く買い上げるよりも、コメの価格が上がらないので市場での競争力が高くなる」というメリットもあるということを知りました。


「ここまでやらなくても……」と言いたくなるくらい、注釈が充実しているんですよね、この本。
この「注釈」を読むだけでも、いまの日本の一次産業が抱える問題についてのかなり系統的な知識が得られるのではないかと思うほど。


この本を読んでいて痛感させられるのは、「いま、日本のメディアで語られている『日本の問題』は、『東京の問題』なのではないか?」ということ、そして、「ネットは強い力を持っているけれど、世の中には『ネットで語ることができない人々』が抱える問題があふれているのだ」ということでした。


読んでいて、なんだかうんざりするところもあるんですよ。
人口がどんどん減っている町の人が、東京や札幌を批判するのではなく、隣の町を「うちのほうが昔は大きかったのに」と恨み続けているところとか、ある地方都市の首長選挙で、町が2つに分裂して、勝ったほうがすべて「総獲り」し、負けた側は干されてしまう、という話とか。
これが縮図であるのなら、「二大政党制」とか「小選挙区制」っていうのは、あまりにも振れ幅が大き過ぎる制度なのではないだろうか、と考え込んでしまいました。


著者は、北海道に根を下ろし、現地の人たちとマンツーマンで接しながら、ひとつひとつの問題を「個人レベルから」掘り下げていきます。
「こういう人、付き合いづらいだろうな」という相手の懐に、大手マスコミの名刺を使ってではなく、ひとりの人間として入り込んでいくんですよね。
正直、こんな綿密な取材をして何年もかけて書き上げた本を、2500円で売って、食べていけるのだろうか?なんて心配にもなってしまうのですが、「対象者に直接取材はしない」というスタイルのルポライター(なのか?)もいるなかで、こういう人がいるのだなあ、と、ちょっと感動してしまいました。
「プチ鉄道オタク」の一旅行者としては、「こういう駅に、いつかひとりで行ってみたいなあ」なんて考えてみたりもするのですが、『鉄子の旅』の横見浩彦さんって、こういう、1日に上下線1回ずつしか電車が止まらない駅にもちゃんと1回ずつ降りているんですよね。そりゃすごいな……


この本の「注釈」のなかに、こんな言葉があります。

 つまり、私たちは普段、「東京」を中心とする日本人の地理感覚で、網走を「さいはて」「最北の地」と考えてしまうが、じつは「北方圏」という視点で見渡せば、この地は南方であり、十分”暖地”ではないかと思えてくるから不思議だ。また、網走をはじめ、オホーツク地方一帯は、地理的にも流氷が押し寄せる南限であり、さまざまな民族や文化が交流する十字路・交差点(ターミナル)だったこともよくわかる。

これは「網走」についての話なのですが、「東京からの視点」を九州に住んでいる僕でさえ、当然のものとして受けいれていることを、あらためて思い知らされた気がします。
それは、インターネットが発達して、地方からでも「情報発信」できるようになっても、変わらない。


遠くが見渡せる(ような気がしている)時代だからこそ、「自分の足元を見つめること」の重要性を、あらためて考えさせられた一冊でした。

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