琥珀色の戯言

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【読書感想】世にも奇妙な人体実験の歴史 ☆☆☆☆


世にも奇妙な人体実験の歴史

世にも奇妙な人体実験の歴史

内容説明
性病、コレラ寄生虫……人類の危機を救った偉大な科学者たちは、己の身を犠牲にして、果敢すぎる人体実験に挑んでいた!
自身も科学者である著者は、自らの理論を信じて自分の肉体で危険な実験を行い、今日の安全な医療や便利な乗り物の礎を築いた科学者たちのエピソードを、ユーモアたっぷりに紹介します。
解剖学の祖である十八世紀の医師ジョン・ハンターは、淋病患者の膿を自分の性器に塗りつけて淋病と梅毒の感染経路を検証しました。十九世紀の医師ウィリアム・マレルは、ニトログリセリンを舐めて昏倒しそうになりますが、血管拡張剤に似た効果があると直感。自己投与を続けて、狭心症の治療薬として確立するもとになりました。二十世紀、ジャック・ホールデンは潜水方法を確立するために自ら加圧室で急激な加圧・減圧の実験を繰り返し、鼓膜は破れ、歯の詰め物が爆発したといいます。
その他にも放射能、麻酔薬、コレラ、ペストなどの危険性の解明に、自らの肉体で挑んだマッド・サイエンティストたちの奇想天外な物語が満載。その勇気と無茶さに抱腹絶倒するうち、彼らの真の科学精神に目を開かされる好著です。


この本、書店で見かけたときには、ああ、唐沢俊一さんが好きそうな「サブカル本」だなあ……なんて思いつつ(僕も嫌いじゃないですけどね)、周りに人がいないのを見計らってレジに持っていきました。
いかにも「マッドサイエンティストたちによる、トンデモナイ人体実験の数々」を面白おかしく紹介した本、のような雰囲気だったので。


ところが、この本を読んでいると、「こんなことをする科学者が正気だとは思えないけれど、彼らの大部分は、病気の原因や感染経路、あるいは、事故の犠牲者を少なくするための安全装置や大自然の驚異を調べるために、自分の身体で実験を行っていた」のです。

 1804年、アメリカ人の医学生スタビンス・ファースは、黄熱病が伝染するかどうか確かめようと決意した。彼は、「黒い吐瀉物」を吐いている患者に添い寝し、「患者の息が確実に自分の顔にかかるように」した。しかしこれは、彼の壮絶な自己実験の始まりに過ぎなかった。
 黒い嘔吐物は万人受けするものではないが、ファースは嘔吐物をとろ火で煮てその蒸気を吸入した。吐き気のためについに我慢できなくなるまで、数時間にわたって吸入し続けたのである。患者の嘔吐物を犬に注射してみたところ、その犬はわずか数分で死んでしまった。にもかかわらず、彼は自分の血管に嘔吐物を注射し、両腕を深く切開してその傷口にも注入した。体に患者の血液、汗、尿を塗りつけ、患者の唾液、血液、嘔吐物を飲んだ。ブラックプディング(訳注:牛の血を固めて作ったソーセージ)でさえお代わりはお断りしている私としては、黒い吐瀉物に対するファースの食欲には頭が下がるばかりである。
 こうまでしても黄熱病に感染しなかったので、彼は論文にこう書いている。「黄熱病が接触感染によって人から人に移るかどうかがはっきりしないために、黄熱病に多大の恐怖を抱いている人もいるが、これらの実験によってその恐怖は和らげられるものと思う」
 これだけの苦痛を耐え忍んだにもかかわらず、彼の実験結果はほとんど注目されなかった。黄熱病の病因が明らかになったわけではなかったからである。

ここまでくると、「自己実験」というか、「そういう性癖の人なんじゃないか……」とすら思えてきます。


もうひとつ驚いたのは、「子供が3人いる」とか「新婚早々」なんていう、僕の感覚からすれば「躊躇する理由」になるようなこともまったく気にしないで、自らを研究材料にしてしまう、その自己犠牲心というか無謀さというか、知的好奇心の強さなんですよね。
なかには、「家族や弟子などを巻き込んで」なんて人もいます。
「自分の仮説は正しいのだから、何も起こるはずがない」からなのか、そういう研究にとりつかれてしまうと、本当に周囲が見えなくなってしまうのか……


その一方で、「孤児院の子供たちや死刑囚は、人体実験に参加し、『社会貢献』することが当然」だと考えられていた時代もあった、ということも紹介されているんですけどね。あと、末期がんの患者さんで実験が行われてもいたそうです。
最初の章の18世紀のロンドンでは「医学研究のために『新鮮な死体』への需要が高まり、遺体泥棒が暗躍していた」なんて話を読んで、『屍者の帝国』(伊藤計劃, 円城塔共著)を思い出してしまったのですが、あの冒頭部分は「歴史的事実」に基づいていたのですね。


現在の「科学的な態度」では、「被験者=自分自身」だけが無事だったり、病気に感染したりしたとしても、それは症例数が少なすぎて一般化できるものではありません。
孤児院の子供たちや死刑囚での人体実験なんてもってのほか、「自己実験」なんて、狂気の沙汰だし、学会からも認めてはもらえないでしょう。

しかし、この本を読んでいると、こういう「マッドサイエンティスト」たちが、医学や科学の急速な進歩を担ってきたというのは、まぎれもない歴史的事実なのです。
マッドサイエンティスト」たちの大部分は、歴史に埋没してしまっています。
この本のなかでも、前線で感染のリスクを背負いながら研究をした人たちではなく、後方で彼らの上司として指示を出していただけの人のほうが、有名になり、病院に名前が残っている事例が紹介されています。


「人体実験」という言葉に良いイメージを持っている人は皆無だと思いますが、新しい薬が実用化されるためには、臨床試験が不可欠です。
そういう意味では、「人体実験の歴史」は、いまも続いているのです。
もちろん、「安全性」については、第二次世界大戦前よりも厳格に守られています。
でも、どんな薬や治療(あるいは食物や乗り物も)100%安全などということもありえない。


この本のなかでは、2006年に行われた臨床試験で起こった「悲劇」も紹介されています。
臨床試験の報酬が高額である理由には、「危険料」も含まれていると考えるべきなのでしょう。


「自己実験」なんて、過去のマッドサイエンティストたちの遺物、だと僕も思い込んでいたのですが、こんな比較的最近の事例が紹介されています。

 1980年代前半、オーストラリアの微生物学者バリー・マーシャルは病理学者のロビン・ウォレンと共同で、人間の胃の中に生息している細菌を研究していた。彼らは、ヘリコバクター・ピロリという種類の細菌が十二指腸潰瘍患者からは100パーセント、胃潰瘍の患者からも75パーセントの割合で見つかることを発見した。この細菌が十二指腸潰瘍や胃潰瘍の発症に関与しているのだろうか。
 これを検証するため、マーシャルはチューブを自分の喉から胃に差し込み、胃壁の組織を採取した。これを検査し、彼の胃には潰瘍もピロリ菌も存在しないことを確認した。胃壁が回復するのを待って、彼はピロリ菌の培養液を飲み込んだ。もちろん、事前に予防策はとってあった。つまり、実験許可が下りないとまずいので病院の倫理委員会には伝えなかったし、妻にも事後報告しかしなかったのである。いずれにせよ、数日のうちに彼がぐったりして嘔吐し始めたとき、妻に気づかれた。彼にとって踏んだり蹴ったりだったのは、息が「ひどく臭い」ことを妻に指摘されたことだった。胃の組織を検査してみると、潰瘍の前段階である強度の炎症(胃炎)が見つかった。幸い、抗生物質を服用すると症状は消失した。マーシャルとウォレンはその後も研究を続け、ピロリ菌を除去すると胃潰瘍の症状が数日で消失すること、何十年来の胃潰瘍でさえ治癒に向かうことを証明した。しかし、この治療法が先進諸国の病院で広く行われるようになるまでには、マーシャルの実験から13年の年月が必要だった。その間、何十万人もの患者が間違った薬を処方されたり不必要な手術を受けさせられたりしたのである。
 当初、批判者たちは胃潰瘍感染症だとする説を一笑に付した。胃潰瘍の原因は化学的なアンバランスだと誰もが信じていたからである。胃の中に細菌がいるという説については、強酸性の胃の中で細菌が生きられるはずはないとされた。おそらく決定的だったのは、当時マーシャルが研修医で、彼もウォレンも胃腸科専門医ではなかったことだった。専門家でもないのに何が分かる、というわけだった。
 専門家が一笑に付したその発見に対して、2005年、ノーベル生理学・医学賞が授与された。

 いちおう、付記しておきます。
「マーシャルの実験から13年間の年月が必要だった」ことについて、著者は「医学の世界の権威主義」だけが原因のように書いていますが、マーシャルさんひとりに対する実験結果が、一般の患者さんに行える、安全性の高い治療に反映されるまでには、このくらいの時間がかかるのは、当然ではなかったかと思います。学会の権威云々じゃなくて。
 「結果論」からいえば、13年は長い、ということになってしまうのでしょうけど。


 それはそれとして、少なくとも、いまから30年前には、「自己実験」で大きな成果をあげた研究者がいるのです。
 著者によると、バリー・マーシャルさんは、自己実験を行った理由について「同意できるほど充分に説明を受けている人間は、私しかいなかったから」と説明したそうです。


 「無謀」なのか、「やむにやまれぬ知的好奇心による、崇高な自己犠牲」なのか?
 ひとつだけいえるのは、いまの時代、とくに先進国に生きていると、さまざまな形で、「こういう研究者たち」の恩恵を受けている、ということです。
 だからといって、他人に薦められるような生きかたじゃないですけどね。


 「キワモノ」っぽくみえますが、「研究者とはどういう人間なのか?」が、すごくよくわかる一冊だと思います。
 そして、良くも悪くも「マッドサイエンティストたちが、世界の一部をつくってきた」ことも。

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