琥珀色の戯言

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【読書感想】ルポ ゴミ屋敷に棲む人々 ☆☆☆☆


ルポ ゴミ屋敷に棲む人々 (幻冬舎新書)

ルポ ゴミ屋敷に棲む人々 (幻冬舎新書)

内容紹介
<孤立死の8割はセルフ・ネグレクト>


悪臭のする不衛生な「ゴミ屋敷」で、他者の介入を拒否し、物に埋もれながら暮らす人々が増えている。彼らの多くは、実は「セルフ・ネグレクト」の状態にある。セルフ・ネグレクト(自己放任)とは、自分の生活に極度に無関心となり、著しく生活環境と健康状態が悪化する状態のことで、やがては孤立死に至る。毎年2万人に上る孤立死の約8割は、このセルフ・ネグレクトが要因とも言われている。彼らはなぜ自らの人生を「放棄」し、ゆるやかな死を選ぶのか。少子高齢化、家族崩壊、高齢者虐待などを背景に急増する、現代の病理に迫る画期的な書。


「ゴミ屋敷」はなぜ生まれるのか?
 ワイドショーなどで面白おかしく採り上げられる「ゴミ屋敷の主」は、いかにもという感じの「変わった人」ばかりなのですが、著者は、「ゴミ屋敷がなぜできるのか?」「ゴミ屋敷をつくってしまうのは、どういう人なのか?」を詳細に分析していきます。

「セルフ・ネグレクト」、この言葉に皆さんはどのようなイメージを持たれるでしょうか?
 ネグレクトという言葉は、子どもの虐待のニュースなどで耳にしたことがあるかもしれません。英語では「無視すること」を意味しますが、日本では保護者や介護者が子どもや介護が必要な高齢者などに対して、育児や世話、介護などを「怠る」「放棄する」ことを指します。
 児童虐待の防止等に関する法律(以下、児童虐待防止法)では、親が子どもを叩いたり、つねったりする行為は「身体的虐待」にあたりますが、「食事を与えない」「おむつを替えない」などは、ネグレクトにあたります。親として、自分の子どもの育児を放棄していることになるからです。
 つまり、セルフ・ネグレクトは「自分自身による自分自身へのネグレクト」ということになります。日本における訳語は、「セルフ・ネグレクト」であったり「自己放任」であったり統一されていませんが、意味するところは同じです。
 ただし、「自己虐待」とは少し異なります。自己虐待は、自分を自分で傷つける、積極的な行為も含みますが、「セルフ・ネグレクト」はむしろ消極的に「自分を放置・放任することにより、時間をかけて自分の健康や安全が損なわれていくものです。
 最近、テレビなどで頻繁に取り上げられるようになった「ゴミ屋敷」は、セルフ・ネグレクトのわかりやすい例でしょう。
 2009年11月に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「追跡!A to Z」では、近年急増している「ゴミマンション」や「ゴミアパート」を取り上げていました。番組で取材した処理業者の「500世帯のうち、必ず2〜3軒はゴミ屋敷」という言葉も衝撃的でした。ゴミ屋敷問題は、地域や家族の崩壊、高齢化、孤立などの現実の日本の問題を反映していると言えるでしょう。


この本を読むと、「ゴミ屋敷」をつくってしまうのは、認知症などの病気や配偶者の死などで周囲から孤立してしまう、という「誰にでも起こりうる問題」がきっかけとなるのだということがよくわかります。

 ゴミ屋敷の人たちは、なぜゴミに執着するのでしょうか。私の過去の調査に照らし合わせると、そういう人たちは、他者の介入を拒む、孤立した人たちに多いように思います。孤独で、寄り添う人がいないため、物欲に走り、ゴミ屋敷にたどりついたのではないかと感じるのです。
 私たちもやがて老いていきます。すると、モノを簡単には捨てられなくなり、着なくなった洋服や、もらったお菓子の箱、子どもの描いた思い出の絵が、家の中にたまっていきます。
 若い頃は決まった場所に片付けることができたかもしれません。最近は、ゴミの分別も複雑になりましたので、分別できなかったゴミも、少しずつ押し入れにたまっていきます。コンビニで買ったお弁当の空き容器も、最近はとてもきれいなので、何かに使えるだろうと、とっておくこともあります。そして数か月が過ぎた頃、家の中が物であふれることになるのです。
 片付けられない人たちは、高齢者ばかりではありません。先ほど紹介した番組でも、高齢者に限らず若者の間でも増えていると指摘し、反響が大きかったようです。


わかるだけに、正直、ちょっと目をそらしたくもなるのですが……
自分や、家族が「ゴミ屋敷の主」になるなんて、想像したくないものなあ。


だからこそ、地域でのネットワークづくりや、行政の介入が必要ではあるのですが、「個人情報保護」の流れもあり、難しい面も多いようです。


この新書のなかで、「愚行権」が紹介されています。

 人は、「健康に悪い」とわかっていても、それをあえて行う「自由」が認められています。それは「愚行権」という権利です。愚行権とは、たとえ他の人から愚かな行為だと評価・判断されても、個人の領域に関する限り、邪魔されない自由のことです。
 生命や身体など、自己の所有に帰するものは、他者への危害を引き起こさない限り、たとえその決定の内容が理性的に見て愚行と見なされようとも、対応能力を持つ成人の自己決定に委ねられるべきである、とするものです。
 つまり他の人から見て正しいからといって、何かを強制することは正当ではない、という考え方です。たばこを吸うこと、酒を飲むことを他人が「百害あって一利ないのだから、やめなさい」と言っても、それを止めることはできないのです。

愚行権というのは、「人には、他人に迷惑をかけないかぎり、バカバカしいことをやる権利がある」という考え方で、アメリカでは、本人の意志がクリアであれば、どんなに自分を傷つける行為であっても、「それを周囲の人間は止めることはできない」そうです。
著者は、「日本人は周囲に気を遣って遠慮してしまいがちだから、アメリカと同じわけにはいかない」と考えておられます。
しかしながら、サポートする側のお金も人も限られているなかで、「どんな人をサポートするべきか」というのは、非常に難しい問題のようです。


著者は、「ゴミ屋敷をつくってしまうこと」は、「セルフネグレクト」のひとつのあらわれだと考えており、なんとか「ふつうの暮らし」に戻してあげたい、と活動されています。


「自分の家にゴミを溜めているなんて信じられない」と思うのは、あくまでも「他者からの意見」であり、主にとっては、そのゴミに見えるものが「宝物」だったり、「いつ必要になるかわからないもの」だったりするわけです。
僕自身も、「なかなか捨てられない人間」なので、ゴミ屋敷をつくってしまう人の気持ちも、少しだけわかるような気がするのです。
 とはいえ、隣人にそんな人がいれば、悪臭がしたり、ゴミにたかるハエがこちらにも飛んできたり、険悪な雰囲気になったりと、「迷惑」であることも事実なわけで。


 著者は、セルフ・ネグレクトに陥っている人への対処法について、このように書いておられます。

 長い期間をかけてその状態に至った人たちに、セルフ・ネグレクトだと自覚してもらうことは、極めて難しいことです。
 家族であっても、責めたり説得したりすることでかえって反感をかってしまい、「今後一切自分に関わるな」と言われてしまうこともあります。
 大事なのは、現実に目の前に起きていることで困っていること、あるいは望んでいることを聞くことです。「寒くて眠れないときがある」「体がかゆくて気になる」などの思いを聞いて、現状の問題を改善する方向に結びつけていきます。
 例えば「寒くて眠れないときがある」というのであれば、「ファンヒーターを入れるとすぐに暖かくなりますよ。そのためにはスペースが必要だから、少しこの部屋だけでも片付けましょう」とか、「寒い冬の間だけでも、高齢者の方が宿泊できる施設がありますよ。暖かくなるまで、泊まってみませんか」など、本人が直接的に困っていることを解決すつことで、少しずつ根本的な解決につなげることが可能です。そして目の前の小さいことから変えていって、その変化を気持ちよいことだと実感してもらい、次のステップにつなげていくのです。

 著者らの献身的な努力には、本当に頭が下がります。
 それと同時に、こういう接し方というのは、身の回りのなかなか心を開いてくれない人にも応用できるのではないかと思われます。


 ひとつだけ言えることは、「ゴミ屋敷」は、「ワイドショーの中だけの話」ではない、ということなのです。


 とはいえ、「赤の他人のことを、そこまで面倒みきれないよなあ」と考えてしまうのも事実ではあるんですよね、うーむ。

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