あらすじ: ある日、昼寝中のドラえもんの鈴が盗まれるという事件が発生する。犯人は怪盗DXという正体不明の男。そこでのび太はシャーロック・ホームズセットを使い、未来にある「ひみつ道具博物館(ミュージアム)」に事件の手がかりがあると突き止め、みんなで未来へと行くことにする。しかし、博物館でも怪盗DXによってさまざまなひみつ道具が盗まれてしまい……。
2013年12本目。
少し早起きして、『映画ドラえもん のび太のひみつ道具博物館(ミュージアム)』を観に映画館へ。
息子はこの映画2回目なのだが、どうしてもこれがいい、とのこと。僕は初鑑賞。
もう上映期間もそろそろ終わりに近づいてきていて、9時台スタートの1日1回の上映だったのですが、ゴールデンウイーク中ということもあって、50人くらい入っていました。
あらためて考えてみると、僕の映画デビューはドラえもん映画の第1作『ドラえもん のび太の恐竜』(もちろんリメイク版じゃないほう)だったのです。
あの頃子供だった僕が、今度は親として息子と一緒にドラえもん映画を見るというのは、なんだかとても不思議な気分です。
僕の父親はもういないけれども、僕はまだ生きていて、ドラえもん映画も続いていて。
『のび太の恐竜』のときは、「映画になるなんて、すごいなあ!」って感じでしたから、まさかこんなに続くとは。
この『ひみつ道具博物館』久々にドラえもん映画を観たのだけれど、けっこう面白くて嬉しかったのです。
僕は大人になっても、比較的ドラえもん映画をテレビやDVDで観ていたほうだと思いますが、最近のドラえもん映画は、なんだか自然保護とか動物愛護とか、大きな話になりすぎていて、そして説教臭くなりすぎていて、あんまり面白くなかったんですよね。
異世界とのつながり〜その世界の人との交流〜敵との戦い〜友情パワー発動〜大団円
「ドラえもん映画ツクール」で作られたかのような、ワンパターンさ。
『宇宙開拓史』『魔界大冒険』などの「成功体験」がみんなこのパターンだっただけに、それを変えることへのためらいもあったのではないかと。
そもそも「自然保護」というのは大事だと思うんだけど、藤子・F・不二雄先生は、まず「面白いもの」をつくって、そのなかにほんの少し、そういう「子どもたちに伝えたいこと」のエッセンスを入れていました。
しかしながら、その「後継者」たちは「F先生のメッセージ」に縛られ過ぎてしまって、「啓蒙のためのドラえもん」みたいなのを作ってしまいがちだったように思われます。
ドラえもんって、もっとバカバカしくって、面白くって、なぜかしずかちゃんがお風呂に入っていて、ジャイアンがリサイタルをやっていて、でも肝心なところで、カッコイイところを見せてくれる、そんな映画だったはずなのに。
観客は「自然を守ろう」じゃなくて、「こんなふうにして友だちを悲しませるのは嫌だな、じゃあ、どうすればいいんだろう?」と考えているうちに、いろんなものを大事にしたくなる、でも、けっして「文部省推薦」みたいなマンガじゃないんだよね、ドラえもんはさ。
この『ひみつ道具博物館』は、「ひみつ道具」というガジェットの面白さと(いやあ、「ころばし屋」久々に観た。あれほどコストの割には効果に乏しそうな、そして、だからこそ面白いひみつ道具って、なかなか無いよね)、ドラえもんとのび太の友情を中心に描かれていて、観ていてすごく楽しい映画になっていたのです。
「ひみつ道具博物館」行ってみたいよねえ。
この映画の前半は、悪いヤツらの話とかじゃなくて、一緒に「ひみつ道具博物館」を訪れているような、そんな気分になれるんですよ。ああ、科学って、こんなに夢があって、楽しかったんだ、そういえば、子供のころ『コロコロコミック』で「ドラえもん百科」大好きだったなあ!なんて懐かしがりつつ。
大人目線で言うと、あんな人類滅亡直前みたいなことをやった連中を放置しておいて良いのか、とか、そのSIMカード最初から抜いておけよ、とかいろいろツッコミを入れたくもなるのですけど、ドラえもんが、のび太に「○○○○だなあ」って(あえて伏せます)って言うシーンには、泣いたよアラフォー男が!
『さようなら、ドラえもん』と『帰ってきたドラえもん』で小学生の頃号泣したのを思い出したよ久々に。
人と人(ってネコ型ロボット)が「つながる」瞬間って、ああいう、日常的なシチュエーションのなかにあるんだ。
なんかね、作中ではのび太もドラえもんも全く年をとっていなくて、僕のほうだけこんなにオッサンになってしまったのだけれども、多くの場合「マンガの登場人物の寿命」(作品が生まれてから忘れ去られるまで期間)は、人生よりもかなり短いはずです。
ドラえもんとのび太の「友情」というか「腐れ縁」というか「つながり」って、30年以上前から、ずっと「おんなじ」なんだよね。
ほんと、『ドラえもん』って不思議だ。
作品世界中の時間経過なんて関係なく、観ている側が、そして作っている側さえも「30年以上前に生まれてから、こんなに長く続いているドラえもんとのび太の縁」の素晴らしさを意識せずにはいられないのだから。
いちおう、作品内での時間経過では、ドラえもんとのび太の共同生活はせいぜい数年くらいのものなのにね。
息子は、感動云々というより、いろんなひみつ道具が出てくるのがとにかく楽しかったみたいで、終わったあとも「ミュージアム、ミューージアム」と、ずっと歌っていました。