琥珀色の戯言

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【読書感想】同期生 「りぼん」が生んだ漫画家三人が語る45年 ☆☆☆☆


内容紹介
1967(昭和42)年、集英社の少女漫画雑誌「りぼん」が募集した「第1回りぼん新人漫画賞」は三人の入賞者を輩出した。


後の一条ゆかりもりたじゅん弓月光である。


一条は、『デザイナー』『砂の城』『有閑倶楽部』『プライド』などの大ヒットを生み出し、少女漫画界に不動の地位を築いた。
もりたは、いち早く「レディースコミック」の分野を切り拓く一方、漫画家・本宮ひろ志夫人として大作家を支える役割も担った。
三人のうちで唯一の男性である弓月は、少女誌から少年誌・青年誌へと媒体を移しながらも、
『エリート狂走曲』『みんなあげちゃう』『甘い生活』など一貫してコメディのヒット作品を生み出し続けている。


今も昔も新人発掘を目的とした漫画賞は数多いが、三人ものヒット作家を、それも一度に輩出した例は、稀有なのではないだろうか。 漫画界最強の「同期生」である。


時は学生運動華やかなりしころ、同じスタートラインから漫画家人生を歩み始めた三人だが、その歩んだ道は三人それぞれ、 波乱と紆余曲折の道であった。
彼らの漫画家人生45年とは、どのようなものだったのか。これは日本の漫画史における貴重な証言である。


<目次>
第一章 一条ゆかり 「わたしは〈一条ゆかり〉の奴隷だった」

第二章 もりたじゅん 「やめたことに何の悔いもありません」

第三章 弓月 光 「僕は一生マンガを描いていく」

「第1回りぼん新人漫画賞」で世に出た、3人の人気マンガ家。
「同期生」である3人が、それぞれの「マンガ人生」について語っています。
3人がそれぞれ自分の視点から当時の少女マンガ界、そして『りぼん』のことを語っているのですが、この作風も生きざまも違う3人の話のなかに、同期生がところどころ顔を出してくることによって、当時の空気みたいなものがよりいっそう鮮明に浮き彫りにされてくるような感じがします。
3人とも、「『りぼん新人漫画賞』に応募したのは、『りぼん』に魅力を感じたわけではなく、入選の賞金が20万円と、当時としては破格だったから」という、「賞金に釣られて」だったのは、なんかちょっと面白いなあ、と思ったんですけどね。
当時は、『りぼん』よりも『マーガレット』のほうが格上感があった、とか。


その頃の『りぼん』は、まさに「王道少女マンガ路線」であり、「子どものためのマンガ雑誌」でした。
それを改革し、いや、少女マンガそのものを「大人のもの、あるいは男性も興味を持つもの」にしていったことに、この3人は大きく貢献しています。


一条ゆかりさんは、もりたじゅんさん、弓月ひかるさんのことを、こんなふうに語っています。

 まんまとハマったか、そのせいで私は<もりたじゅんには絶対に負けたくない!>と思うようになりました。じゅんちゃん個人に対して恨みは全く無いけど、比べられたくないという思いが強く出てきました。彼女のテリトリーのものは、私はやらない。その代わり、じゅんちゃんにできないことを自分は描こうと決めました。
 自分の好き嫌いばかりを見つめていた私が、ますます自分の個性、自分にしかできないもの、自分のアイデンティティを考えるようになりました。もりたじゅんというライバルを得て、物凄く向上心が伸びたので、じゅんちゃんは私にとっては本当にありがたい存在でした。なんて、今だから言える話だけどね。
 同じ同期生でも弓月に対してはライバル心は無いなあ。彼とは<運命共同体>のような感覚があって、気持ち的には家族に近い。何年会ってなくってもなんにも不安にはならない。10年ぶりに会っても昨日も会ってたような感覚。弓月が私を嫌いになるはずはないというような不敵な自信さえあります。たぶん<戦友>なんだろうな。
 男性が女性作家に混じって少女漫画をやるっていうのは、持って生まれた感性が違うから想像より大変だろうなと思ってました。当時、「りぼん」には石原富夫さんという編集者がいたのですが、いつも弓月はネームを月10回くらい直されてた。傍で見ていても大変そうだったけど、石原さんは弓月の担当者として、彼の<女性じゃないというハンデ>と、とにかく<新しいモノを作る、楽しく作る、面白く>という方向でクリアしようとしていたのです。その結果、いまに続く<弓月コメディ>が生まれたんだから、ベースになる最初の苦労ってホント嫌だけど必要なんだわね。

 この人気作家3人も、最初からすべてがうまくいったわけではなく(この新書の巻末の編集者の石原さんの話では、一条さんのネームは最初からかなりクオリティが高くて、あまり直す所が無かったそうですが)、それぞれの個性を生かせるようになるまで、試行錯誤をしているのです。

 また、一条さんと弓月さんの「戦友」関係についての話も面白く、原稿を落としそうになった弓月さんのところに一条さんが乗り込んでいって、スタッフを仕切って完成させたというエピソード、そしてその回のキャラクターが「一条ゆかり風に、みんな細身になってしまっていた」なんていうのには読みながら笑ってしまいました。


 あと、一条さんは、こんな「困った話」も。

「りぼん」で『風の中のクレオ』を連載したあと、1972年に私は「りぼん」の別冊付録に6ヵ月連続・6本の読みきりを描きました。そのなかに『9月のポピィ』というアメリカのハイスクールを舞台にした話があって、<大島弓子のファン>を名乗る読者から嫌がらせの手紙が届きました。「大島作品と設定が同じだ」「ストーリーをパクった」。あのねえ……
 子供の頃に日曜学校で会っていた男の子とハイスクールになって再び出会って……それってアメリカのジュニア小説の王道の設定なんですけど。萩尾望都さんのファンはもっとすごかった。「何ページの何コマ目の男が寝ているポーズが、あんたのどこそこのポーズと一緒だ」。人間がベッドで寝ているポーズなんて似たり寄ったりじゃわい!
 この頃、萩尾望都さん、竹宮恵子さん、大島弓子さんの三人は、少女漫画ファンのなかでカリスマ的な人気がありました。熱烈な彼女たちのファンから「一条ゆかりは盗作をしている」というお手紙をもらい、物凄く不愉快でした。
 中には私のほうが先に発表してるのに、そんなことはお構いなしの大馬鹿者もいました。

 昔から、「こういう人」はいたんですね。
 いまはネットでちょっとした噂や「盗作疑惑」も広がりやすい時代になっており、創作者にとっては、よりめんどくさい時代になっているのではないでしょうか。
 その一方で、そういう「思い込みを検証してくれる人」がいるのもまた、ネットではあるのですが。


 もりたじゅんさんの項では、もりたさんが夫、本宮ひろ志さんのことを語っているところが、とくに印象的でした。

本宮ひろ志のマンガ作りは、とてもシステマチックだ」とよく言われますが、もともと不器用で絵が苦手な彼は、簡単な絵を一枚描くにも相当な時間がかかります。絵を描く作業が辛くて仕方がない。漫画家は時間が勝負ですから、絵に時間をとられてしまうと、ストーリーに集中できません。本宮は、その苦労が身にしみているのです。最初は『武蔵』の時、本宮の兄が下絵を手伝いましたがあまりうまくいきませんでした(義兄の絵がマンガ向きではなかった)。次に「マガジン」で『姿三四郎』を描くとき、「下絵を描いてみて」と、絵が上手いと評判だったアシスタントの桝本しげゆきさんに依頼しました。その結果、「自分よりも絵が上手な人は世の中にたくさんいて、作品としてキレイに仕上がるのであれば、その人たちを使うべきだ」という考えに至ったのです。つまり、彼は漫画家としては非常に珍しく、自分の描く絵に一切こだわりがないのです。そして誕生していったのが、現在も続く本宮プロダクションの制作システムでした。

「絵が苦手」な漫画家!
 本宮さんを最も間近に見てきた人の証言ですから、間違いないとは思いますが、「それでいいの?」と読みながら驚いてしまいました。
 とはいえ、もりたさんによると、「本宮ひろ志が最後にペン入れをすると、キャラクターが生き生きとしてくる」そうですし、結果的には「絵が苦手だと認めているからこそ、潔く上手い人に任せて、原作やプロデューサーとしての立場に徹する」こともできたのです。
 中途半端に上手で、プライドが高かったら、「本宮ひろ志」は、こんなに長く続いていなかったはず。
 人間、何が幸いするかわからないものですね。


 弓月さんは、自分のスタンスを、こんなふうに語っておられます。

 でも、少女誌でデビューした男性作家として、メリットもあります。
 それは「雑誌のなかで、一番浮いていて目立つ」こと! 「りぼん」でも、のちに参加した「週刊マーガレット」でも、何を描いても目立ちました。
 面白いのは、その後、「ヤングジャンプ」とか「ビジネスジャンプ」に移っても、やっぱり目立つんです。今度は男性作家同士の並びなのに、それでも僕の絵だけ浮いてるんですね。これは、もともと持っている線というのもあるけれど、少女マンガを描いていたことも少なからず影響していると思う。でも、いずれにしても目立つのはいいことです。

 
 ひたすら「自分のやりたいことと、トップにいることの両立を目指した」一条ゆかりさん。
 ある時点から、「夫のマンガ家人生をサポートし、家庭人としても生きながら、描きたいマンガを描き続けた」もりたさん。
 そして、「自分のオリジナリティを自覚して、トップじゃなくても、雑誌のなかで欠かせない存在感のあるマンガ家になった」弓月さん。
 「同期生」ではありますが、作風、人生観は、こんなに違う。
 その違いも含めて、こうして三人が並んでみることによる面白さが、この本にはあるのです。


 残念ながら、僕は3人が活躍していた時代の「りぼん」の読者ではないのですが、当時、実際に3人のマンガを読んでいた人にとっては、よりいっそう楽しめる一冊ではないかと思いますよ。

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