レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる (NHK出版新書 410)
- 作者: 佐々木俊尚
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2013/06/05
- メディア: 新書
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内容紹介
「次に来る世界」を
第一人者が克明に描く
情報技術の革新は、メディアや産業の構造を根底から変え、超国籍企業を生んで労働と富のグローバル化を加速し、国ぐにの力を殺いだ。ITを基盤としたシステムそのものが権力化するなか、個人もまた、生きかたの変容を迫られている。これから来る世界はいったいどのようなものなのか。そこでわれわれはどう生きていけばいいのか。斯界の第一人者が、テクノロジーの文明史を踏まえて未来の社会像を鮮明に描き出す。
最近、「歴史」が流行っていますよね。
僕は子どもの頃から「歴史大好き」だったのですが、こんなに「歴史関係の本、しかもマニア向けじゃなくて、世界史を概説した本がたくさん出た時代」は、40年生きてきて、記憶にないのです。
司馬遼太郎さんの作品や大河ドラマなど、日本人は慢性的に「歴史好き」だったとはいえ、短い期間ではなく、「人類史の流れ」みたいなものが、これだけ興味を持たれている時代というのは、珍しいのではないでしょうか。
新書ではありませんが、マクニールの『世界史』とか、山川出版の教科書『世界史』が、すごく売れているらしいですし。
マクニールの『世界史』なんて、「これを読むだけで、世界史の流れがわかる!」なんて書いてあるのですが、「だけ」って、どれだけ分厚くて字が小さいんだ!と言いたくもなるのですが(上下巻あるし)。
この本を読みながら、僕は「歴史ブーム」の意味について考えていました。
いま、このインターネット社会を生きている人間は、もちろん僕も含めて、「歴史の転換点」にいるというのを、多かれ少なかれ、感じているのではないでしょうか。
その期待と不安が、「歴史を学ぶこと」に、人々を向かわせているのではないだろうか。
「これまでの流れ」を知ることによって、「これからどこへ行くのか」を推測しようとしているのではないだろうか。
この新書では、著者が、「これまでの人類の歴史」を「テクノロジー(技術)と政治形態の流れ」にそって、概説していきます。
中世の「大きな帝国の誕生」から、国民国家の誕生、民主主義・共産主義の世界、そして、その次に来るであろう「レイヤー化する世界」へ。
いまの時代に生きている僕からすれば、「民主主義は、少なくともこれまでの政治形態のなかで、人類にとって最もマシなものではないか」と考えがちです。
いや、そう考えたい、と言うべきかな。
しかし、著者は、それぞれの形態には、メリット・デメリットがあることをあえて紹介しています。
アケメネス朝ペルシアの話から。
たくさんの言語を認め、たくさんの文化を認め、たくさんの民族を認めるというやりかたが、すでに紀元前という古代に成り立っていたのです。帝国の支配がうまくいっているあいだは、人びとは安心して家族を養い、自分の仕事に邁進することができました。
このように経済と法制度を安定させることによって、帝国全体を平和に維持するというやりかたは、古代以来、中世のモンゴル帝国にまで引き継がれています。モンゴルも境界のない帝国だったと言えるでしょう。
このような「境界」を定めず、無理にウチとソトを分けないやりかたであれば、帝国の領土は無限に広がっていくことができます。
これが帝国の平和だったのです。
帝国は決して国民国家より劣っていたとは言えません。帝国というのは、何がウチソトを分ける境界になるのかというその考え方が、いまの国民国家と違っていただけとも言えるからです。
だから中世の帝国は邪悪なシステムではありませんでした。
帝国は最初は軍事力で領土を広げましたが、いったん帝国に支配された内側では、平和が長く続きました。
正直、読みながら、「でも、奴隷にされたり、高い税金をかけられて搾取されていた人たちはいたのだし、領土拡張の戦争で虐殺された人たちもいたんだよなあ……」なんて考えていたんですよ。
日本だって太平洋戦争中や終戦直後、多くの人が飢えることになったのですから(考えてみれば、あれからまだ70年も経っていないんですね。人が忘れるのって早い)。
物質的な面に関しては、この本のなかにもあるように、産業革命による「生産力の向上」(=テクノロジーの進化)の影響のほうが大きいのではないかと思います。
人々は、政治形態によって豊かになったのではなくて、テクノロジーによって生活を向上させたのです。
著者は、中世以降の人間の歴史を「どこまでが『ウチ』で、どこからが『ソト』になるのか?」の変遷で語ろうとしています。
巨大企業のウチとソト。
その外側に、国民国家のウチとソト。
さらにその外側に、ヨーロッパのウチとソト。
まるで入れ子のように、円がいくつも重なって広がっていくイメージです。ヨーロッパの近代というのは、このようにウチとソトをいくつもつくり、つねにウチは豊かになり、ソトの富を奪っていくという構図をつくっていたのです。
そうすればウチには富が集まり、「できるだけ多くの人が幸福」が実現し、だからこそ民主主義が成り立ってきたのです。植民地をつくる帝国主義の時代がすぎ、第二次世界大戦が終わって、アジアやアフリカの植民地が独立するようになっても状況はあまり変わりませんでした。旧植民地の国ぐにには政治的には独立していても、経済的にはあいかわらずソトの存在として、ウチの先進国に利用されていたからです。
つまりはヨーロッパの民主主義というのは、ソトに不利を押しつけることで成り立ってきたと言わざるをえないということなのです。
ヨーロッパがつくった近代のシステムは、四つの要素から成り立っています。
国民国家であること。
国民国家のウチの結束を固め、強い軍隊を持つこと。
国民国家のソトを利用し、経済を成長させること。
そして国のウチでは、民主主義で皆で国を支えていくこと。
これは、ソトがあるからこそ成り立つシステムだったのです。
いまの「民主主義社会」は「人間社会のゴール」なのか?
おそらく、そうじゃないのだろうな、と思います。
人類が「歴史」を遺すようになって、数千年といったところですが、僕たちが偶然、その「最終政治形態」に立ち会っているというのは、ちょっと考えにくい。
いやまあ、どこかに「最後」はあるのかもしれないけれども。
ウチとソトの「格差」を、ときに堂々と、そしてときには知らんぷりして利用してきた「先進国」なのですが、仕事を「安価で外注」することにより、その国は豊かになり、力をつけてきます。
そして、発展に伴い、その国でのコストもどんどん高くなっていく。
いまの中国は、まさにその過程にあります。
次はミャンマーに工場を、というような流れもあるようですが、そうやって、「世界の工場」を、より低コストの国に移転していっても、いつかはその「終わり」が来るのは確実です。
給料が上がらない日本などの先進国の事情を考えても、世界はどんどん「フラット化」していくでしょう。
製造業にかぎらず、英語での電話サポートセンター業務などは、すでに「コストの安い国」で行われているのです。
アメリカの企業の製品のサポートの電話をニューヨークでかけると、インドのサポートセンターに繋がる、そんな時代なんですよね。
『企業が「帝国化」する』という興味深い新書がありましたが、これからの時代は、ますます国家とか国境などの「地理的な線引き」が難しい時代になってくるでしょう。
アップルは、アメリカの企業ではありますが、iPhoneの組み立てなどで、中国に数十万単位の雇用を生みだしています。
もちろん、「国の威信」というやっかいなものが、これからすぐに消え去るとは思えませんが、これだけ経済的に結びついてしまうと、少なくとも、「アップルは、アメリカと中国が戦争しては困る」でしょう。
そして、アップルが困るくらいなら、戦争は現実的ではない、という社会になりつつあるのです。
この『企業が「帝国化」する』の帝国は、ダース・ヴェイダーが、デス・スターでおもむろに星をひとつ破壊してしまうような「横暴な独裁政治の場」ではなく、ここで佐々木さんが書かれているような「境界のない帝国」なのかもしれません。
そして、その「ウチ」で、人々はゆるやかに搾取されながら行きていく。
正直、「すべてが『ウチ』になってしまった世界」というのは、どうなっていくのか、僕には検討もつかないんですけどね。
それが恒久的な平和につながるのか、あるいは、また分裂していくのか。
それとも、地理的、民族的なものではない、新しい「ウチ」と「ソト」がつくられていくのだろうか?
「○○社の関係者と、それ以外」というような。
この数千年というのは、人類の歴史にとって、まだ「序盤」なのか「中盤」なのか、それとも「もう終盤」なのか?
この本のなかで、「レイヤー」という言葉は、こんなふうに説明されています。
これは、オープンサンドイッチみたいなイメージです。パンで両側をはさむのではなく、一枚のパンの上に具をどんどん重ねていっただけの開放的なサンドイッチです。
白い皿があり、軽く焼いた一枚の食パンが置かれます。その上にレタスが載り、キュウリが載り、チーズが載り、ハムが載り、くるくるっとマヨネーズをかけてできあがり。さあ召し上がれ。
白い皿はインターネット。一枚の皿はアイチューンズです。キュウリやチーズやハムの具材が、ミュージシャンやディレクターやスマートフォン。最後に軽くかけられたマヨネーズは、音楽についての友人たちとの雑談。サンドイッチの本質じゃないけど、これがないと美味しくない。「最近どんな曲がいい?」「どんなの聴いてる?」みたいな情報交換は、音楽を楽しむためにとても大切ですね。
そしてできあがったサンドイッチという全体が、素敵な楽曲。
化粧箱のケーキは、縦に切り分けられて箱に収まっていました。箱から外に出るのはひと仕事で。「箱のなかにいる」と「箱の外にいる」はまったく違います。ウチとソトが厳密に区別されていたのです。
でもオープンサンドイッチには、ウチとソトがありません。横に広がろうと思えば、無限に大きな、地平線にまで一枚のパンが広がってるオープンサンドイッチだってつくれます。
オープンサンドイッチの世界で「違い」を生み出すのは、化粧箱のウチとソトじゃなくて、パンかレタスかハムかチーズかという違い。つまり重なっている「層」の違いなのです。
この「層」を、ITの専門用語を借りて「レイヤー」と呼びましょう。
レイヤーは、「重ね合わせているもの」という意味。フォトショップみたいな画像を加工するソフトウェアでよく使われている言葉です。
なるほど、と言いたいところなのですが、この「レイヤー」という概念をある程度理解するには、具体的な例も含めて、この本を読み込まないと難しいかもしれません。
もちろん、この本のなかでは、さらに丁寧に説明がなされています。
ただ、そこまで読んでも、僕も本当に理解できているのか、あんまり自信ないんですよね。
うーん、あえて「レイヤー」なんて、IT用語を使わなくても……とも、思いましたし。
まあでも、日本語で「層状化する世界」じゃあ、なおさらわけわからないし。
新しい概念を言い表すための言葉って、難しいですね。
これまでの社会では、「優秀な人」「社会で成功している人」と、「ダメな人」「失敗した人」は厳密に区分けされていました。
しかしレイヤー化する世界では、その境界はあいまいになっていきます。あるレイヤーでは無能だと思われた人が、別のレイヤーでは優秀だとみられることもある。そういう複合的な評価が重なり合ったところで、私たちは社会と接続していくのです。
著者は、「ある国家の国民」としてではなく、「個人」として、そしてその先には「『絵がうまい』とか『個性的なアクセサリーをつくれる』というような、ひとりの人間のなかの『特長』で世界中とかかわっていく」世界を想定しているのではないかと僕は感じました。
未来は、「個人」というより「個技」で世界とつながっていく時代になっていくのかもしれません。
まあでも、これまでのネットでの「つながりかた」を見ていると、こういう「レイヤー化された世界」って、「個人がひとつの技で生きていく」ことが可能になる一方で、あるレイヤーで成功した人でも、たったひとつのレイヤーでの失敗や不祥事で、他者からの集中砲火を浴びやすくなりそうでもあるんですよね。
「外面を整える」ことが難しい世界は、おそらく、メリットばかりではないはず。
僕には、まだわからないところだらけです。
おそらく「国家」とか「民族」というような枠組みをもとにした繋がりは、これからどんどん希薄化していくことでしょう。
問題は言語ですが、翻訳機能の画期的な発展か、英語が「ネットワーク帝国の統一言語」として、より一般化することによって、そう遠くない未来にクリアされそうな気がします。
世界は「場を支配する、ごく少数の人々」によって、動かされるようになってしまうのだろうか?
個人としての幸せ、とは全く別のところで、「これから、人類は、世界はどうなっていくんだろうなあ」という興味は、僕にもすごくあります。
手塚治虫先生の『火の鳥/未来編』に出てきた山之辺マサトのような、「形は持たないけれど、意識だけがあって、世界を見守っている存在」というものになって、人類のこれからをウォッチしてみたい、なんて、ちょっと考えてみたりもするのです。
もちろん、そんなことはできませんし、「観ることはできるけれども、手を触れることはできない」というのは、なんとも辛いのだろうな、とは思うのだけれども。
「テクノロジーの進化による、人間のこれから」を語る人は多いけれど、著者のように「これまでの歴史を踏まえて語ろうとしている人」は、あまりいないんですよね。
「現在」のワンポイントからみた「予想」や「希望」を語る人は多いのだけれども。
「新しい世界」は、これまでの人類の歴史の流れの先にあるものなのに。
著者は、それを意識している、数少ない「語り部」だと思います。
本当に、世界が「レイヤー化」していくのかどうか?
歴史好きには、とくに楽しめる一冊だと思います。
未来というのは、わからないからこそ、面白い。
企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン~新しい統治者たちの素顔 (アスキー新書)
- 作者: 松井博
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2013/02/12
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企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン?新しい統治者たちの素顔<企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン?新しい統治者たちの素顔> (アスキー新書)
- 作者: 松井博
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