琥珀色の戯言

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【読書感想】荒木飛呂彦の超偏愛! 映画の掟 ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
アクション映画、恋愛映画、アニメ…取り上げたジャンルを問わぬ映画作品の数々には、その全てに、まさに荒木飛呂彦流の「サスペンスの鉄則」が潜んでいる。本書は、その一つひとつを徹底的に分析し、作品をまったく新しい視点から捉え直した映画論であり、エンターテイメント論である。『ジョジョの奇妙な冒険』を描かせたとも言える、荒木飛呂彦独特の創作術とは?映画の大胆な分析を通じて、その秘密が明らかに。

 前著『奇妙なホラー映画論』では、ホラー映画への愛情をアツく語っていた荒木先生。今回は「サスペンス」を題材にした映画論です。

 自分が好んでいた映画を並べていくと、名監督のヒッチコックであり、当時駆けだしだったスピルバーグであり、映画界に新風を吹きこんでいたデ・パルマであり……。自分にとって「面白い」作品は、謎を解いていく話や、謎に立ち向かって冒険していくもの。つまり、ベースにサスペンスがある映画が多いことに気づきました。逆にいまいちだなと感じた映画は、いくつかのSFやアクション系の派手な映画、あるいはきれいな女優がただ出演しているような作品で、そこにはサスペンスの要素が少ないのです。
 また、サスペンスを得意とする監督の作品は出来が比較的安定していて、とんでもないはずれがないことも発見しました。中には駄作があったとしても、それもそれなりに最後まで楽しめてしまうのです。これがいわゆる芸術系の映画の場合、名作は名作だけれど、駄作はとんでもない駄作、ということが多い。

 映画の「ジャンル分け」というのは難しいところがあるんですよね。
 いま、映画館で上映されている映画のなかでは、「サスペンス的な要素」が全くない作品のほうが、むしろ少数派でしょうし。
 この新書の場合は、「とにかくある種の謎が観客に提示され、それを解決していくもの」という感じで、まあ、「前著よりも広範囲に、荒木先生が好きな映画を語っている本」だと考えたほうが良さそうです。
 1960年生まれの荒木先生は、僕とこれまで観てきた映画が近いので、紹介されている作品も観たことがあるものが多く、「そうそう!」なんて頷きながら読めました。

ジュラシック・パーク』(1993年・アメリカ)も、古いタイプの映画であればポスターに恐竜の画像を大々的に使って、「この恐竜が出ますよ!」という宣伝としていたはずです。それが『ジュラシック・パーク』では、恐竜が出るということは伝えても、恐竜をロゴマークのようなシルエットデザインにしてそのものは観せませんし、宣伝用写真でも姿を隠したままでした。公開前から作品が謎めいていて、そこからもうサスペンスが始まっているのです。
 そして、いざ期待感を高めて劇場に向かっても、恐竜がいきなり現れるわけではありません。物語の冒頭、恐竜を収容している施設のゲート係が一気に何かに持ち上げられ施設の中に引きこまれそうになります。その姿は見えなくとも、その中にいるヤツの圧倒的なパワー、大きさ、凶暴性、キャラクターが伝わってくる。
 敵の姿がはっきり見えないから、その分不気味で余計にハラハラするというのは、スピルバーグが得意とする手法です。『ジョーズ』の怪物サメも背ビレをちらつかせこそしますが、その全身をなかなか現しませんでした。『激突!』で主人公を追跡するトラックの運転手も、ハンドルを握る手が見える程度でどんな人間なのかよく分かりません。ちなみに第八部『ジョジョリオン』の笹目桜二郎という敵も、なかなか姿を見せない設定にしました。

ジュラシック・パーク』、僕も映画館で観たのですが、たしかにあのロゴマークの恐竜しか事前には公開されていなくて、「どんな恐竜が出るんだろう?」とワクワクしながら観ていた記憶があります。
しかも、なかなか大きな恐竜は出てこない。
(実際は、観ていると小さな恐竜のほうが、むしろ凶暴で怖く見えたりしたのも、スピルバーグらしいな、と)
「遊園地のアトラクションのような映画体験」という意味では、この作品と『アバター』が、僕のなかでは双璧です。


 そして、荒木先生は、スピルバーグ作品を、こんなふうに「解析」しています。

 僕が考えるスピルバーグの最大の特性は、ひとつのシーンの中に、同時に複数のアイディアを詰めこむことだと思います。
 たとえば、『ジュラシック・パーク』でこんなシーンがありました。ティラノサウルスによって落とされた車が途中の木に引っかかってしまい、車の中には少年が取り残され、木の下では子供嫌いの博士と少年の姉がそれを見上げている。博士が木を登って少年を車から救出しますが、その途中で怖くて下りられないと言いだす少年。すると車の重さに耐えられなくなった枝が折れ、車が博士と少年目がけて降ってくる……
 ここで話の中心になっているのは、まず「少年と博士が車に押しつぶされないか」というサスペンスです。しかし同時に、子供嫌いだった博士が子供を助けようとする心の変化、そして下りることを恐れていた少年が勇気を出して男になる、という成長も描いているのです。
 つまりひとつのシーンに、ひとつのことだけを描かないのです。ひとつのサスペンスの中で、ふたつ三つのことを同時に描くということを、スピルバーグはやっているのだと思います。

 なるほど……
 スピルバーグ映画が間延びしないのは、こんなふうに「密度が濃い、重層的な構造」になっているから、なのですね。
 今の世の中、デジタルガジェットの普及などもあり、「一度にひとつのことしかやっていないと、なんとなくそわそわして落ち着かない、時間がもったいないような感じがする」という人も少なくないようです(それが良いことなのか、悪いことなのかはわかりませんが)。
 スピルバーグ作品の「お得感」というのは、こういうところにあるのかもしれませんね。


 僕にとって印象的だったのは、僕も大好きなクリント・イーストウッドについて、荒木先生が語っておられるところでした。

 映画界において、昔も今も確固たるブランドを築いているのが、クリント・イーストウッドです。僕ももちろん大好きですが、イーストウッド監督の映画は、他の映画と比べてかなり異色の存在といえるでしょう。
 その際立った特徴として、「最初、あまり観たいと思えない」ことがあります。
 まずタイトルを聞いても、何の映画だかよく分かりません。『ミリオンダラー・ベイビー』(2004・アメリカ)、『グラン・トリノ』(2008・アメリカ)、『インビクタス 負けざる者たち』(2009・アメリカ)……。女性ボクサーや元自動車整備士が主人公だとか、南アメリカ問題を取り上げているという情報が入ってきても、一言では言い表せない内容が多いし、キャッチーさもほとんどありません。予算も潤沢に使っている気配がなく、全体的にお金のかかっていない雰囲気がそこはかとなくただよっています。スピルバーグ映画のような、映画を観る前の高揚感を覚えないのです。
 漫画家の立場で観ると、こんなものを作ってヒットするのかな? と毎回のように気になります。自分が新連載を与えられて、この内容で勝負できるかといえば、とても怖くてできません。プレゼンしたら、誰も食いつかない感じがするんです。
 このようにハードルが下がった状態で映画館に臨むと……。結果、「すごいものを観た!」と圧倒されます。これもイーストウッド映画の特徴です。キャラクターからテーマ性まで、全てがしっかり作られていて、もう絶対にはずさない。

 ほんと、イーストウッド作品って、新作がアナウンスされるたびに「それで興行的に大丈夫なの?」ってこちらが勝手に心配したくなるくらいなんですよ。
『ヒア・アフター』なんかは、本当に「大丈夫じゃなかった」わけですけど。
 でもまあ、たしかに「ハードルが上がりすぎない」というのは、イーストウッド作品の特徴なのかもしれません。
 個人的に最近のイーストウッド作品でインパクトがあったのは、『人生の特等席』という、老スカウトマンを描いた映画の冒頭で、主人公がトイレでおしっこをする場面でした。
 おしっこがなかなか出ない、それだけで、「老い」が伝わってくるのです。
 もちろん、イーストウッドがそんなことを……というフィルターもかかっていたのでしょうけど。

 この新書のなかには、荒木先生がイーストウッドと会ったときのエピソードも紹介されています。頑固そうで意外とサービス精神旺盛なんですね、イーストウッドさん。


 「物語をつくる」ということに興味がある人は、一度読んでみて損はしないと思います。
 丁寧につくられた荒木先生の「映画ノート」の写真をみていると、「このくらいやらないと、プロにはなれないんだなあ」なんて圧倒されてしまうところもあるんですけどね。



荒木先生の前著(僕の感想はこちら)。

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 (集英社新書)

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 (集英社新書)

Kindle版も出ています。

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