琥珀色の戯言

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【読書感想】バチカン近現代史 ☆☆☆☆


バチカン近現代史 (中公新書)

バチカン近現代史 (中公新書)

内容(「BOOK」データベースより)
フランス革命以降、「政教分離」を推進する近代国家の登場で、ローマ教皇は領土や権威を失っていく。20世紀に入り、教皇はイタリア政治に介入し続け、ムッソリーニの思惑もあり、バチカン市国が成立する。その後バチカンは、「反宗教」の共産主義を常に敵視。ナチスに秋波を送り、戦後は米国に接近、「人権外交」を繰り広げ、それは「東欧革命」に繋がった。本書は、カトリック総本山バチカンの生き残りを賭けた200年を描く。


この新書のなかで主に採り上げられているのは、フランス革命以後の「バチカン史」になります。

 だが、宗教改革三十年戦争によって、バチカンの権威が徐々に失われていくなか、さらにフランス革命という、教会制度を否定し、理性を第一に掲げた大きな変動が18世紀後半に待ちかまえていた。バチカンが頼りにしていた世俗の王権が崩れはじめ、新たな近代という社会がはじまる。これ以降、「神の代理人」という権威は、現実の政治といかに向き合おうとしたのか。神を奉じるバチカンの生き残りを賭けた近代との戦いがはじまる。

ローマ教皇」というと、キリスト教に疎い僕には、「聖なる人」「世俗とかけ離れた世界の人」だというイメージがあったのですが、この新書を読んでいくと、教皇というのは、カトリックの宗教的な指導者であるのと同時に、その勢力を守るための「政治家」でもあったのだなあ、とあらためて思い知らされました。
 フランス革命以後の「近現代」というのは、「理性の時代」でもあります。
 そんななか、「宗教」は、どう生き延びていくのか?
 それが、大きな課題として、この時代のカトリックに突きつけられ続けていたのです。

 ナチス台頭以前のドイツでは、カトリック系の中央党が政治に大きな影響力を持ち、ドイツ・カトリックの関係者は国政に参加していた。そのためバチカンナチスと対立関係にあり、カトリック司教はナチス関係者の洗礼を拒否することもあった。
 ところが、1933年1月にヒトラーが首相に就くと、中央党党首フランツ・フォン・パーペンが副首相に就任する。まだナチスがどのような政策を推進するか明らかではなかったが、ピウス11世はパーペンの行動に合わせてナチス政権を承認する。三月には、いわゆる全権委任法に中央党も賛成するなど、ナチスカトリックは密な協力関係を築いていく。それから4ヵ月を経て、バチカンとドイツの間で政教条約が結ばれたのである。


(中略)


 この宗教条約によって、ナチス政権がカトリックの保護を約束する代わりに教会は司教・信者のナチスへの忠誠を誓うことになった。バチカンナチスを容認した最大の理由は反共産主義だったが、同時にドイツ領内のカトリック教徒を保護する必要もあったからである。ナチス党政権下のドイツとの条約締結は、ラテラノ条約でイタリアのファシズムが政権にバチカンがお墨付きを与えることになったのと同様の結果をナチス政権にもたらした。
 このナチスとの政教条約をめぐっては、第二次世界大戦後、当時の教皇ピウス11世より後任ピウス12世に非難が集中する。たしかに当時、条約締結に直接携わったのはパチェッリ国務長官、つまりはのちのピウス12世だったからである。

 ピウス12世は現在では「ヒトラー教皇」などと呼ばれ、非難が集中しているそうです。
 著者によると、ピウス11世、12世はともに、ファシストの暴力的な手段に対しては、激しく非難する声明を出し、ユダヤ人に対しても「キリスト教徒に改宗すれば同じ神の子」だと明言していたそうなのですが。
 それでも、ホロコーストを引き起こしたナチスに「協調」していたのは事実です。

 いずれにせよ、第二次世界大戦中のピウス12世、ひいてはバチカンに対する批判的な論調が大きくなるのは、冷戦終結後の1990年以降である点が興味深い。バチカンは冷戦中、西側勢力の反共産主義の牙城であり、そのイデオロギーの拠り所として重視されていた。しかし冷戦が終結すると、封印されていたものが出てくるようになったのである。

 結局のところ、バチカンの当時のやりかたには問題があったのは確かだけれども、「冷戦が終了し、共産主義に対抗する勢力としての重要性が下がったため、声高に叩けるようになった」ということなのかもしれません。
 逆にいえば「力や利用価値があれば、過去の問題も、周囲は口をつぐんでしまう」ということで、これはもう、バチカンだけに限った話ではありません。


 20世紀においては、すべての宗教的なものを否定する「共産主義」こそが、バチカンの敵でした。
 「信仰を持っている」イスラム教徒やユダヤ教徒などとは、相互理解の方向にすすんでいった一方で、「宗教そのものを否定する共産主義」に対抗するため、バチカンは西側、資本主義陣営に大きく肩入れをしていくのです。
 それは、ひとつの宗教としての生き残り戦略であるのと同時に「宗教全体の危機との戦い」でもありました。
 これを読んでいると、共産主義政権が崩壊していった「東欧革命」への教皇、とくにヨハネ・パウロ2世の影響力の大きさに驚かされます。
 教皇は、カトリックの意思として、積極的に共産主義国家を崩壊させていったのです。
 
 
 1970年代はじめに生まれた僕にとっては、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世でした。
 逝去されるまで、いや、逝去されてからも。
 この新書には、そのヨハネ・パウロ2世の業績にも多くのページが割かれています。

 非イタリア人の教皇としては約450年ぶりで、ポーランド人としてはもちろん初めてであった。ちなみに450年前の非イタリア人教皇はオランダ人であった。
 即位時にヨハネ・パウロ2世は58歳であり、ピウス9世に次いで若く、在位期間は27年と、最長のピウス9世の32年に次いで2番目に長い聖座となる。特筆すべきは、やはりポーランドという共産主義国から選出されたことである。バチカンとの国交は回復していたものの、まだ共産党一党独裁の国であった。共産圏東ヨーロッパのなかで最大のカトリックポーランドからの選出は、それ自体が歴史的事件であり、大きな期待で世界が見守ることになった。
 ヨハネ・パウロ2世は12カ国語を話すだけでなく、ヨーロッパのボルゴ地区にほとんど護衛もつけずにふらりと現れ、気軽にバールやカフェで人びとと談笑していたという。こうしたエピソードが示すように、誰とでも打ち解ける気さくな人柄だった。

「東欧革命」に大きな影響を与えたヨハネ・パウロ2世ですが、その政治的な行動から、暗殺者に狙撃されたこともありました。
 世界129ヵ国を訪問し、教皇としてはただ一人来日経験があるヨハネ・パウロ2世なのですが、僕は「ローマ教皇って、そんなふうに世界中を訪問するものなのだろうな」と思い込んでいたのです。
 ところが、これはヨハネ・パウロ2世の時代になって、ようやく実現されたことだったんですね。

 ヨハネ23世は飛行機に乗ることが認められなかったが、パウロ6世は飛行機に乗った最初の教皇となった。
 この教皇の移動の自由については、前任のヨハネ23世は聖母巡礼地であるロレトを訪問したとき、ローマから汽車に乗っただけで大騒ぎになっていた。ヨハネ23世はまた、ローマ・ミラノ間の国内線の飛行機に乗りたいと希望したが実現できないでいた。教皇バチカン市国外はもとより、イタリア国内に出かけて行くことは許されなかったのである。
 この背景には教皇空位論という考え方があった。教皇が死去し次の教皇が選出されるまでの教皇が不在の時期に、歴史的に争いや革命が起きたという解釈があったのである。つまり教皇がローマから不在になると、よからぬことが起こると思われていたからであった。また当時バチカン市国外での教皇の護衛体制がまだ確立しておらず、教皇の身の安全を保障できないという問題もあった。


 ヨハネ23世の在位は1958年から63年。パウロ6世の在位は、1963年から78年。
 その後、即位後すぐに亡くなられたヨハネ・パウロ1世をはさんで、「旅する教皇ヨハネ・パウロ2世の時代となるのですから、ヨハネ・パウロ2世の時代というのは、本当に大きな転換点だったのだなあ、と思います。


 著者は、バチカンイスラムに対するスタンスを、こんなふうに述べています。

 冷戦時代、ソ連寄りの傾向にあったアラブ諸国が共産化しないためにも、バチカンアラブ諸国との比較的良好な関係を築いてきた。バチカンの交流は、第二バチカン公会議以降、イスラムなどの異教徒にまで及んでいた。
 すでに述べてきたように、バチカンの最大の敵は共産主義無神論者であり、異なる神とはいえ、神を信じるイスラムに対しては一定の敬意を表していたのである。しかもアラブ諸国内に居住する少数派のキリスト教徒を守るためにも、イスラムとの共存が欠かせなかった。
 キリスト教徒対イスラム教徒という図式は、ブッシュ米大統領をはじめ米国の政治家や知識人たちによって作り上げられたものである。その根底には、米国の多数派であるプロテスタント宗派の一部の教派による原理主義的な見方がある。プロテスタント、なかでもピューリタンは、純粋なキリスト教を追求するあまり、異質なものを排斥する傾向にあり、カトリックとは大いに異なるものである。

 カトリックの敵は「異教徒」ではなく、「神の存在を認めない人間」なんですよね、本質的には。
 ずっと「反共産主義」を貫いてきたように。
 だから、イスラム教徒よりも、多くの日本人のほうが、本来は「敵」なのかもしれません。
 まあ、ほんとうに「敵認定」されては困るんですけど。


 いままであまり考えたこともなかった、「神の代理人」たちの性格やカトリックの世俗的な影響力がわかる、なかなか興味深い一冊でした。
 今年、ベネディクト16世の「歴史的退位」によって、初のラテンアメリカ出身の教皇・フランシスコが誕生しました。
 ヨーロッパの外のほうがカトリック教徒が多くなっているという「グローバル化」のなかで、教皇の役割、そして、いままで隠されてきた性的虐待やお金絡みの話への対処、中絶に対するスタンスなどもまた、変わっていくことになるのでしょうね。

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