琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】ウルトラマンが泣いている ☆☆☆☆


内容紹介
1960年代から80年代にかけて、多くの子どもたちが夢中になったウルトラシリーズ
ミニチュアや着ぐるみを駆使して、あたかも実写のように見せる独自の特撮技術を有し、
日本のみならず世界の映像業界をリードしてきたはずの円谷プロから、
なぜ、創業者一族は追放されたのか。


「特撮の神様」と呼ばれた円谷英二の孫にして、
円谷プロ」6代社長でもある円谷英明氏が、
「栄光と迷走の50年」をすべて明かします。

 7月10日は「ウルトラマンの日」なのだそうです。
 だからといってこの本を紹介するのはいかがなものか、という気もしますが……


 あの円谷英二の孫で、「円谷プロ」の社長まで務めた人による「暴露本」。
 この新書の冒頭では、まず、円谷英二の特撮への執念と功績が語られます。

 祖父はセットのビジュアルにはさほどこだわりはなかったと思います。中には大阪城のように、博物館に展示しても通用するような立派なミニチュアもありましたが、ビルや道路などの作りは、割とあっさりしたものでした。ビルの壁だけでなく床も作ると、今度はロッカーなどの備品も置かなければいけない、人形も配置しなければならないというふうに、精巧さを追求すると、きりがないからです。
 むしろ、祖父がこだわったのは壊れ方です。たとえば、鉄塔が怪獣の吐く光線で溶け落ちるシーンを撮る場合、鉄なのに燃えて炎が見えてはダメだというわけで、いろいろな素材を試した結果、ロウで作ってグニャリと溶け落ちるようにしてありました。

 その一方で、妥協を許さず、コスト意識が希薄だったことや、スタッフは多かったのに、優秀な人材の「囲い込み」をしようとしなかったこと、なども述べられています。
 円谷英二という人は、お金をかけて立派な作品をつくり続けていました。
 しかしながら、それによって、求められるクオリティはさらに高くなり、結果的に円谷プロを苦しめることにもなったのです。
 ちなみに、円谷英二さんが亡くなられる二年前にはスピルバーグ監督が訪問してきて、円谷さんの教えを受けたこともあったのだとか。

 円谷プロは、1968年当時、ろくな資産もなかったのに、累積赤字は当時のお金で二億円に達していたそうですから、銀行がよくお金を貸してくれたものです。


 円谷英二さんが亡くなり、その長男の一さんも若くして急逝され、円谷プロの三代目には、英二氏の次男の皐(のぼる)さんが就任しました。
 この新書では、この皐さんと、その息子の一夫さんが、放漫経営で円谷プロを傾け、ウルトラマンを長い停滞期に追い込んだ「戦犯」として書かれています。
 社内での権力争いみたいなことは、一方の当事者の言い分だけではなんともいえないところがあるのですが、報道された事実などから推測すると、たしかに「円谷の名前と『ウルトラマン』というブランドを既得権益として利用するばかりの時代」ではあったようです。
 しかし、お家騒動のあと、建て直しを期待して5代目社長になった著者のお兄さんが、就任直後に以前のセクハラで辞任してしまった、なんて話を読むと、「なんなんだ、この人たちは……」とか、呆れてしまうのも事実です。
 

 この新書を読むと、後世からすればスムースに続いていたようにみえる「ウルトラシリーズ」も、必ずしも順風満帆ではなかったようです。

ウルトラセブン」の終了後、特撮ものにいささか飽きてきたTBSで「続ウルトラマン」の放送枠を取るため、父は連日赤坂に通いつめました。接待で酒を飲むことも多く、父も酒好きだったとはいえ、かなり無理をして飲んでいたようです。
 しかし、なかなか新番組の受注には至らず、円谷プロは窮余の一策として、それまで制作した番組の再放送や、ウルトラマンと怪獣との対決シーンをまとめた5分間の「ウルトラファイト」(1970年)の放送で糊口を凌ぐことになります。
ウルトラファイト」は新聞などで「出がらし商法」と酷評されましたが、意外なことに子供たちに大人気となり、いわゆる第二次怪獣ブームが起こって、TBSも、他のテレビ局も特撮ものに再び関心を持つようになりました。

ウルトラマン』『ウルトラセブン』の人気にもかかわらず、『帰ってきたウルトラマン』がすぐに制作されたわけではないのです。
ウルトラファイト』が無かったら、ウルトラマンの歴史は、『セブン』で終わっていたかもしれないなんて。


 皐社長に関しては、「円谷商法」というキャラクター・ビジネスを確立したという一面もあります。

 ウルトラシリーズのヒーローや怪獣などのキャラクターを使った玩具や文具、菓子などの商品が販売され、著作権ビジネスの走りとして円谷商法と呼ばれました。各地の特設ステージで開かれた、ウルトラマンなどのキャラクター・ショーには子供たちが殺到し、日本各地から引っ張りだこだった時期もあります。
 円谷プロが築いたビジネスモデルは、映画制作会社やアニメ制作会社など、世界に進出する日本のコンテンツ産業界の模範だったといっても過言ではないでしょう。

 この「キャラクター使用料だけで、ある程度の収入が得られるようになった」ことは、円谷プロ、そして円谷一族をまちがいなく「延命」させました。
 ただ、それは、あまりにも甘すぎる果実だったのかもしれません。


 著者は、2001年に円谷英二氏の生誕100年を記念して出版された本のなかに収録されていた、『エヴァンゲリオン』の監督・庵野秀明さんの言葉を引用しています。

「特撮物はテレビでの空白期間が長すぎて、現状では若者に定着しづらいんじゃないですかね。(中略)空白期間が15年近くあるわけで、これはなかなか取り返しがつかないと思います。今(2001年)の30歳から20歳くらいまでの人は、特撮には何の興味もないですからね。(中略)僕等の世代はアニメと特撮という共通体験があるんですけど、今の若い人はアニメとゲームなんですね、共通言語が。特撮をほとんど見ていない、というか興味もない人がほとんどです。(中略)そういった土壌の違いとかもあるんじゃないでしょうか」

 この指摘に対して、著者は「流行ものは、何よりも継続して大衆の目に触れ続けることが大事なのに、その努力を怠ったことが、特撮という映像ジャンルと円谷プロの命運を決めたと言えるでしょう」と述べています。


 新しい作品をつくるには、莫大な制作費がかかりますし、失敗のリスクも伴います。
 「キャラクター・ビジネス」は、リスクが少なく、確実な収入が期待できる。
 でも、新しい作品が出なければ、どうしても先細りになっていくのです。


 庵野監督の指摘は、特撮を愛する人間なればこその苛立ちに溢れています。
 僕も大人になってあらためて考えてみると、「自分が子供の頃に夢中になったコンテンツ」っていうのは、親になって、自分の子供にも触れさせたくなるし、財布のヒモもちょっと緩んでしまうところがあるんですよね。
 いまの親たちは、昔の親に比べて、マンガとかアニメとかゲームを欲しがる子供たちのことを「理解」してしまうのです。
 低調な時期があったとしても、地道に続けてきたコンテンツには、そういう「強さ」があるのです。

 2012年時点では、バンダイが扱う多くのテレビ番組関連キャラクター商品の中で、最も売れているのは、「機動戦士ガンダム」シリーズです。ウルトラシリーズはその10分の1以下に過ぎません。

 『ガンダム』と『ウルトラマン』に、そんなに差がついてしまったのか……
 「ガンダム」は関連番組が多いことは事実なのですが、ともに日本を代表するキャラクターであり、日本人で知らない人はほとんどいないはず。
(むしろ、「そのキャラクターを見たことがある」レベルの人は、ウルトラマンのほうが多いかも)
 これだけ大きな差がついてしまったのは、やはり、「毀誉褒貶があったり、作品ごとのバラツキがあっても、ずっと続けてきた『ガンダム』」と、過去の人気の利子で生きながらえてきた『ウルトラマン』の違いではないでしょうか。
 『ウルトラマン』も、平成になって、何度かシリーズの新しい作品をつくっていますが、あまり大きな話題にはならず、一過性の復活に終わっています。
 空いてしまった期間を埋めるほどの影響はなく、内容そのものも、迷走しているように思われます。
 それでも、ずっと作り続けていれば、失敗した作品があっても、次に活かせるのでしょうけど。


「お家騒動」的な部分はさておき、「キャラクターを活かし続けることの難しさ」みたいなものを、あらためて考えさせられた新書でした。
 それを考えると、ディズニーっていうのは凄いですよね。『ドラえもん』を支え続ける藤子プロの人たちも、『ガンダム』に関わっている人たちも。


 こんな酷い扱いをうけながら、いまだにみんなに愛されている『ウルトラマン』。
 やっぱり魅力的なキャラクターだからこそ、なんだろうなあ。



ウルトラマン Blu-ray BOX I

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