琥珀色の戯言

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【読書感想】中島らもの置き土産 明るい悩み相談室 ☆☆☆☆


内容紹介
2004年に惜しまれつつ逝った中島らもが、朝日新聞紙上で10年以上続けた人生相談のベストセレクション版! 代表作でありながら、没後、入手困難となっていた「Q&A」を中心に編み直し、イラストも新たに復刊。
投稿された「お悩み」に対する、独自の発想と文体を駆使して綴られた「回答」ーーそこには、悩むことがアホらしくなる「らも節」の魅力が凝縮されていた!


編者は、らも氏の長女であり、作家としても活躍する中島さなえ氏。
本文イラストは能町みね子氏の書きおろし!


(目次)
ラウンド1 得意技で活き活き回答編
宴会に出る時はヤケクソ精神で/パングリコ! と子供に叫びたい/まさに奇人! 裸で料理をする夫/「何が何して……」一体何なんだ! /料理下手な父が営む中華料理店/父の事実無根の投書に困惑/全身赤ずくめの母に戦々恐々/無意識に自分の乳首さわる息子/オカルト好きの私の変な癖/眠くならずにお経を聞く方法/パンツはいてくれない私の母/ギプスした首を刃物 で脅すには/「クサイ」セリフの中に浸ってしまう
……など22編


日本の悩み相談を変えた、『中島らもの明るい悩み相談室』のベストセレクション。
選者はらもさんの長女である、さなえさん。
長年の中島らもファンである僕にとっては、昔の自分自身に再会するような気分で読んだ一冊でした。
ちなみに、上の「目次」では「ラウンド1」の質問までしか紹介していませんが、この本には「ラウンド6」まで収録されています。
そのうちのひとつは、らもさんの「フィニッシュホールド」である「困った時の馬場だのみ編」。


このらもさんの「悩み相談」、リアルタイムで朝日新聞に掲載されていたものを読んでいたわけではなく、のちに文庫になってから、ゲラゲラ笑いながら読んでいたんですよね。10代の終わりから、20代前半くらいにかけて。
「日本の人生相談」におけるエポックメイキングな一冊であり、中島らもさんは、北方謙三さん、岡田斗司夫さんと並んで、「人生相談の歴史を変えた人」だと言えるでしょう。
1984年に朝日新聞大阪本社日曜版ではじまった『明るい悩み相談』は、人気コーナーとなり、全国版で連載されるようになります。
この連載が、らもさんの知名度を押し上げて(当時、朝日新聞でこれをやっていたら、そりゃ注目されますよね)、1987年に、らもさんは作家として独立することになったのです。
連載は、1995年まで、11年間続きました。


「あとがき」で中島さなえさんは、この『明るい悩み相談』について、こんなエピソードを紹介されています。

 朝日文庫版でも触れられているが、「こんな面白い質問ばかり、らもさん本人が作っているんじゃないの?」という質問を何度も受けたそうで、実際に会う人にはその場でカバンの中から読者の投稿が入ったファイルを取りだして見せていたのだという。自分で作る、などという反則はなかった。これは母に聞いたところ間違いないようだ。
 家で読者からの相談内容をチェックする際、まずは送られてきた数十通の投稿を手紙と葉書に分ける。そしてハサミを取り出し、封筒の封を開けていく。不器用なものだからハサミの使い方が下手で、ずいぶんと時間をかけて開けていたらしい。そして手紙を取り出し、中の相談に目を通すと、がっかりした様子でそっと便せんを封筒の中へと戻す。そんな父の姿を見て、
「どうしたん?」
 と母が聞くと、落胆を隠せない様子でこう応えたそうだ。
「またオナラの相談や……」
 なぜか毎週、毎週、つきることなく送られてくるオナラネタに辟易していたようだ。そうして今度はウキウキした様子で葉書に目を通していく。
「だいたい面白いのは葉書なんだ」
 そう嬉しそうに言って、一枚一枚に目を通し、時には身をのけぞらせて大笑いしていることもあったという(好きなもんは残しておく派、だったみたい)、そうして爆笑させてくれた”名相談””珍質問”たちは宝物のように大事にファイリングされ、カバンの中に入れて肌身離さず持ち歩いていた。父は連載当時、投稿を読むのを毎週楽しみにしていたそうだ。

「深刻な悩み相談」というよりは、「ラジオの深夜放送での、DJとハガキ職人の勝負」みたいな感じだったのかもしれませんね、この「悩み相談」って。
便せんに長い文章で書かれていたものより、葉書にさらっと書かれているもののほうが面白い、というのは意外なようであり、送り手と受け手の「温度差」ってそういうものなんだろうな、と頷ける話でもあり。
当時は質問にまともに答えていなかったような気がしていたのですが、今回、年を経てあらためて読んでみると、けっこうちゃんとした「悩みへの回答」にもなっているのです。


「娘が『母親というのはしとやかで愛情深く、まじめで子供思いでやさしいもの』だと信じ込んでいてつらい」という相談に対して、らもさんは、4つの「実例」をあげて答えています(以下ではそのうちの2つを引用)。

・「いつもの格好」で歩いていたところ、ヤンキーの兄ちゃんに後ろから「ヘイ、彼女ォ」とナンパされたのを自慢にしているお母さんがいます。ただ、ニッコリ振り向いてからどうなったのかは決して言おうとしません。


・Uちゃんの両親は「彫物師』で、二人とも首から下は一面に見事なイレズミをほどこしています。ある日、生まれて初めて温泉の大浴場で他人の裸を見たUちゃんは、「あっ、あの人たち、大人のくせにモヨウがないっ!」と叫んだそうです。


 親が自分の子を選べない以上に、子供は自分の親を選べません。夫婦というのが「割れなべにとじぶた」に長い時間をかけてなっていくように、親子というのも「ボケ」と「ツッコミ」に分化していくのでしょうか。どっちにせよ、「完ぺきでないお母さん」に僕は乾杯したいと思います。

 らもさんは「完ぺきじゃない人間を受け容れること」の天才だったのではないか、と僕は感じます。
「共生」とか「普通の人なんていないよ」って言いながらも、僕などはやっぱり、自分や他人の変わった言動に嫌悪感を抱いてしまうことが少なくありません。
 でも、らもさんは「完ぺきじゃないからこそ、楽しいんじゃない?」と語りかけてきてくれるんですよね。
 もちろん、この本を一度読んだだけで、急に心の広い人間になれるわけではないのだけれども、中島らもという人の「他者への優しさ」に触れていると、苛立ったときに、少しだけ「ちょっと待てよ」と自分を振り返る余裕ができそうな気がします。
 なんのかんの言っても、みんなそれぞれ「ちょっとおかしなところ」は持っているものだし。

 関係ない話ですが、これを書く前にある雑誌の読者投稿を集めた本を読んでましたら、中華料理屋でメニューに「カタ焼きそば」とあるのを「ちからゆうやけソバくださいっ」と大声で叫んだ人の話がのっていました。口をきくのも一度よく考えてからにしましょうね。

 こういうのって、「そんな間違え、するわけない!……とも言えないかな……」って感じです。
 生きるのが、少しだけラクになる、歴史に残る名著だと思います。
 ……というか、そんな堅苦しくならずに、気分転換にぜひ。

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