琥珀色の戯言

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【読書感想】決めて断つ ☆☆☆☆


決めて断つ

決めて断つ

内容紹介
ニューヨーク・ヤンキースという野球界最高峰のチームに活躍の場を移しても、
変わらない黒田博樹の哲学――
それは、決して奢ることなく、常に恐怖と戦いながら、
ひたすらチームの勝利のために尽くすこと


「いくら勝っても、登板前は不安しかない」
「苦しまずして、栄光を掴むことはできない」
「1勝で自信が持てるなら、その自信は1敗であっという間に失われてしまう」
補欠だった高校時代、大好きなカープ、両親との別れ、
メジャーへの挑戦とヤンキース移籍……
「決断」を下すたびに、多くのものを背負い、
それに全力で応えようとしてきた、
黒田博樹の半生とメンタリティ。


内容(「BOOK」データベースより)
名門ニューヨーク・ヤンキースが欲しがった日本人は「元補欠の野球選手」だった―。挫折を知り、両親の死を乗り越え、広島への愛に悩んだ男が、繰り返してきた「決断」の道。そこには、現代にこそ見習うべき、静かで熱い「本物」の男の姿がある。


この本、2012年の4月に上梓されたものなので、去年、黒田投手がヤンキースに移籍した最初の年の春に出たものです。
カープファンであり、広島時代の黒田投手を入団時からみてきた僕としては、黒田のメジャーリーグ移籍には、複雑な気持ちがありました。
この本で黒田が述懐しているように、野球界でも珍しい、FA選手の残留を願う、スタンドの大歓声、そして大きな横断幕。
それに応えてカープ残留してくれた黒田。
しかし、当初は「2年契約」と伝えられていたのに、その「感動的な残留劇」の翌年、黒田は海を渡りました。
「あれだけ感動させておいて、結局、1年で愛想つかしたのかよ……」
もちろん、黒田が残留した年も、「いつも通りのBクラスのカープ」でしたから、愛想つかされても、致し方なかったのかもしれませんが……
それにしても、1年だけかよ、という気持ちはあったのです。


あれからだいぶ時間が経ち、黒田は、ヤンキースの主力投手となりました。
いまや、ダルビッシュと並ぶ、「メジャーリーグの日本人投手の代表」ともいえるでしょう。
黒田がメジャーリーグに移籍してから、何度も「カープ復帰の噂」が流れてきました。
でも、僕はあの移籍していったときの黒田のことを思いだすと、「どうせ、帰ってくるつもりなんて無いんだろ」としか考えられなくて。
先日、黒田投手がとりあげられていた『情熱大陸』でも、ヤンキースのあまりにもゴージャスでプロフェッショナルな雰囲気に「こんなところで大切にされているのに、カープに戻ってくるわけないだろうよ」と、嘆息するばかりでした。
同じ立場なら、僕だって、求められるかぎりヤンキース残留しますし、僕の家族や親しい友人であれば「ヤンキースで野球をやるべきだよ」と言うと思う。
しかし、それでも「カープに戻ってきてくれないかな……」と期待してしまうのが「ファン」という立場なんですよね……


この本を読んで、2011年のオフ、黒田は「日本球界、カープ復帰を一度は決意していた」ことを知りました。
その決意は、結果的に覆されることになったのですが……
でも、いまのカープの状況をみていると、「黒田は戻ってこなくて『正解』だったな」と言わざるをえなくて。
いや、黒田だったら、カープに戻ってきても、自分の選択肢を「正解」にしてしまったかもしれないのだけれども。


黒田の言葉を読んでいると、黒田の辿ってきた道のりは、けっして平坦ではなかったというか、本当に「這い上がってきた」選手なんだな、と思い知らされます。
高校時代、名門・上宮高校ではエースになれず、大学も入学時は東都大学の2部だった専修大学
プロには自由枠でカープに入団したものの、同期の澤崎は新人王に輝き、その後、カープのエースとなったものの、チームが弱くてなかなか大舞台には上がれず、日本代表でも中継ぎ投手としての起用。
黒田自身も「巨人や阪神のような、球界の中心にいるチームの選手とは、扱いが違うような気がした」と書いています。
(もっとも、その悔しさが自分のためにプラスになった、とも言っているのですが)

 僕はプロとして遅咲きの方だったかもしれない。27歳でようやく一人前の投手になれたようなもので、10代や20代前半からバリバリ活躍する投手を見ると、「自分とは違うな」と思ってしまう。
 出世が遅かったせいか、僕のことを「粘り強い」と思われる方も多い。
 しかし、それは僕の感覚とはだいぶ違う。正直に言って、僕はまったく粘り強くない。
 自分には手の届かないものだと分かると、すぐに放り出してしまうのが自分の性格なのだ。
 カープの例で言えば、入団早々、「佐々岡さんみたいになる」と目標を立てていたら、それこそ1年目で挫折していたと思う。
 粘り強くないこと、それを十分承知しているからこそ、僕は自分なりの発想法でここまで来られたと思っている。ここまで読んでいただいてる方はもうお気づきかもしれない。
 それは「目の前の目標にこだわる」こと、これだけだ。
 長いスパンで高い目標を立てる人がいると思うが、粘り強くない自分に、それはできない。だから僕は短いスパンで、自分の手が届く目標を立てて、それに向かって努力していく。その方が少しは「粘り強く」頑張ることができた。
 僕の発想としては、3年後なんかを考えていたらとてもプレーできない。というのも、そもそも1年後がなければ3年後なんて、存在しない、そう考えているからだ。
 特に野球の世界は、1シーズンの結果が次のシーズンの評価へとつながっていくから、1年、1年が勝負である。
 野球界では突然、注目を集める選手がいるが、僕の考えではその選手は注目される前の何年か、しっかりと自分のやるべきことをやってきたからこそ結果を残せていると思う。
 僕は一般社会のことは分からないが、例えば「5年後に社長になる」と宣言したとしても、4年目くらいまでにある程度の経験や実績を積まなければ社長になれるはずはない。
 つまり、いくら5年後に社長になると言っても、4年経っても平社員の人がいきなり5年経ったから社長になる、ということはないだろう。
 必要なのはその間にある「段階」なのだ。

 黒田投手の野球人生を辿っていくと、甲子園で脚光を浴び、日本のエースとして君臨してきた松坂大輔投手などとは違う、「地道なステップアップ」の繰り返しに驚かされます。
 そういう人生をおくってきた人は「粘り強い」と評価されることが多いのですが、黒田投手はあえてそれを否定しているのです。
 「粘り強くないからこそ、目の前の達成可能な目標をひとつずつ達成することでステップアップしていき、そのステップアップの結果、いまのヤンキースにいるのだ」と。
 そして、黒田投手は「下から這い上がってきた」からこそ、「自分のプライドやこれまでのやりかた」に縛られずに、より良い方法を探そうとするし、環境の変化に対しても、あわてずに「次に自分がやるべきこと」を冷静に考えることができるのです。

 私生活の面でもひと区切りついたということもあり、メジャーリーグでプレーをしようという気持ちが強くなった。
 それでも、僕にとってのメジャーでプレーしたい、という思いは他の選手とは少し異なっているように思う。それは、僕の場合「何が何でもアメリカに行きたい」とか「メジャーが夢であり憧れの舞台だ」という発想があまりないからだ。
 実際、メジャーか残留かに悩んだ2007年オフには、メジャーリーグポストシーズンの試合も見に行った。「何か感じるものがあるかもしれない」と期待していたのだが、正直に言えば、心が揺さぶられるほどの熱やパワーを感じることは特になかった。
 ではなぜ、移籍しようと思ったのか。それは単純に、日本より上のレベルの野球をやっているところがアメリカにあるから、という発想だった。
 皮膚感覚と言ったらいいのか、同世代の投手たちがアメリカに挑戦し、そこで投球するのを見て、ひとつ上のレベルの野球がアメリカにはあると感じたことが大きかったのだろう。あのとき、日本のプロ野球の次に行くのはメジャーリーグという流れが完成していたのだ。もしも、韓国や台湾に日本よりも高いレベルの野球があったとしたら、僕はそちらを選んでいたと思う。

 この黒田投手の話を読んで、僕はダルビッシュ有投手のことを思いだしました。
 ダルビッシュも、ずっと「メジャー志向は無い」と言っていた選手なんですよね。
 むしろ、周囲から押し出されるように、メジャーリーグに移籍したのですが、彼らに共通しているのは、「メジャーに憧れている」のではなくて、「そこに、より高いレベルの野球があるから、ステップアップを続けていくために、そこに行かざるをえなかった」ことなのでしょう。
 そして、黒田がメジャーに移籍を決断した理由(というか、メジャーに行くことをためらっていた理由)には、お父さんの病気のことがあったのです。
 「父親の病気という事情を抱えながら野球をやるのは、ほんとうにつらかった」と黒田は書いています。
 僕も同じような経験をしたことがある(というか、多くの大人は、いつかそういう経験をせざるをえない)ので、黒田がそんな話を率直にしてくれたことに、深く共感したのです。
 黒田がお父さんの危篤の報をきいて、登板を回避して広島の自宅に戻ったこと、そして、それをブラウン監督が当然のこととして認めたこと。
 黒田は「家族の事情に対して理解してくれる、アメリカ人のブラウン監督だったので、すぐに広島に帰り」と書いていますが、それは、「監督によっては、親の危篤でも登板を(暗にでも)求められることがある」ということなのかな、と考えてみたりもしたのです。


 あと、「日本の練習はきつい」とか「メジャーリーガーは日本のように練習しない」というような話に関しても、自らが経験した「メジャーリーガーの本当のキツさ」を紹介しています。

 何が違うかといえば、アメリカの場合、中4日とは言いつつも、完全には4日間空かないことがあることだった。例えば、西海岸のロサンゼルスのナイトゲームで投げたとする。その後、東海岸のニューヨークやワシントンに5、6時間かけて移動して、自分の登板日がデーゲームとなったとする。実際、こんなことは珍しくない。
 そうなると、時差を勘案すると正味が「中4日」ではなく「3.5日」になる。
 さらに負担になるのは、登板がない日の投手の過ごし方が日本とアメリカではまったく違うことだ。
 日本では移動日には練習がない。先発投手であれば、球場に行かなくていい日や”早上がり”といって試合の途中で登板に備え帰宅できる日がある。
 ところがアメリカでは、遠征で出番がない投手であっても全戦帯同、ベンチ入りが基本で、ほとんど毎日が試合だ。単純計算をしても(半年間に162試合プレーするのだから)、1ヵ月の休みは平均すると3日しかない。それも試合日程の関係で4月の休みが多いし、移動日で丸々使ってしまうこともある。
 だから、本当に毎日、ユニフォームを着て、試合をしている感覚になるのだ。
 実はアメリカに来る前に持っていた漠然としたイメージは、練習だけの日があったり、ゆっくりする日があるんだろうな、というものだった。しかしプレーしてみて分かったことは、「練習が長い」と言われる日本のほうがむしろ「しんどくない」のだ。
 シーズン最後の日、メジャーでは試合が終わると、選手たちはあっという間に家族が待つ自分の家に帰ってしまうのだが、その気分も分からないではなかった。
 日本と同じように調整を進めていたら、絶対に体が持たないと思った。そこで「郷に入っては郷に従え」と考え、調整法を変えていくことになる。
 言ってみれば、日本で積み上げてきたスタイルを、あえて自分から捨てることを決断するのである。

 屈強なアスリートたちが、最終戦が終わったとたんに、自宅に帰ってしまう、そんなキツさ。
 まさに「限界ギリギリ」なんでしょうね。
 そういう状況に対して、「日本でのスタイル」にこだわりすぎることもなく、柔軟に対応していこうとしていったのが、「一歩一歩、下から這い上がってきた男」の面目躍如です。

 僕はシンカーを投げるようになってから、日本でいうところのストレート、アメリカでは「フォーシーム」と呼ばれる真っ直ぐをほとんど投げなくなった。
 ともすると、僕のことを「速球派」とか「本格派」と思っている方がいるかもしれないけれど(実際、日本時代はよく言われたが)、メジャーのスケールで考えれば、僕のストレートは決して速くはない。確かにカープ時代は、多少なりともこだわりがあったが、メジャーでプレーするにあたってそのこだわりは捨てなければいけないものだった。球筋がきれいな球を投げると、びっくりするくらい打たれてしまうからだ。
 とにかくボールを動かさなければ生きていけないので、いまやフォーシームは全体の投球の1割も投げていない。確実にボール球を投げたいとき、あるいは高めの速い球で空振りを取りたいときくらいしか、もう投げることはない。
 そう考えるとストレートは、僕がマウンドという戦場で、メジャーという戦いの中で、もっとも重要な「捨てなければいけないもの」だったかもしれない。

情熱大陸』でも、黒田投手は「ストレートではなく、ツーシームが、いまの僕の生命線」だと話していました。
 しかし、あの年齢になって(黒田はもう40歳近いのです)、自分のこれまでのスタイルを捨てて、状況にあわせて「進化」し続けるというのは、並大抵のことではありません。
 この人は、いつまで進化しつづけるのだろうか?


 黒田は、カープと、カープファンのことも、ちゃんと語ってくれています。

 僕はお世辞抜きで広島が好きである。

 狭くて投手には厳しい球場であり、汚くて、夏はサウナのように蒸し暑い、そんな広島市民球場が、自分を育ててくれたし、自分の感情に正直なカープファンが大好きだ、とも言っています。
 ただし、日本に帰ってくるかどうかに関しては、「いま所属しているヤンキースに尽くすことしか考えていないから、温かく見守って、応援していてくれると嬉しい」と。


 2011年のオフシーズンに、本当にカープに帰ってくる可能性があったのか……と思うと、すごく残念で、にもかかわらず「結果的には良かったんだろうな」という気もしたりして、カープファンとしては複雑なのですが、「上宮高校の補欠から、ヤンキースのエースになった男」の考え方、生き方には、僕のような「すぐに投げ出してしまう人間」にとっても、参考になるところがたくさんありました。
「なんで黒田が、いつのまにかヤンキースのエースになってるんだ?」
 そういう疑問を感じている人には、ぜひ読んでみていただきたい。
 いや、僕はずっと「黒田は日本で、カープでプレーしていたときから、すごい投手だったんだから、このくらいやれて当たり前」だと思っていました。
 でも、そうじゃなかった。
 黒田は、「僕がカープで見ていた黒田」よりも、アメリカで試行錯誤して、もっともっと進化したからこそ、40歳近くなって、こんなすごい成績を残し続けられているのです。

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