琥珀色の戯言

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【読書感想】チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド ☆☆☆☆☆


チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1

チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1

内容紹介
「観光地化する原発事故跡地!」


誰も知らない、あの悲劇の27年後とは――


3.11後に福島で取材を重ねた東浩紀開沼博津田大介の3名が、チェルノブイリへの取材を敢行。
立入禁止区域内、廃墟と化した周辺自治体、そして原子力発電所内部を巡りながら、未だ収束しない事故現場でさまざまな関係者の声を聞きました。写真家・新津保建秀の美しくも緊張感の漲ったグラビアとともに、その現場を子細にレポートします。
東浩紀によるツアー手記や開沼博による論考、津田大介によるルポルタージュに加え、観光学者・井出明による世界の「ダークツーリズム」スポットのガイドや、速水健朗による「空想のなかのチェルノブイリ」文化論、ロシア/ウクライナの専門家によるコラムなども充実。
1986年に起きたレベル7の原発事故から四半世紀。チェルノブイリの「現在」から、日本の「未来」を導きだす一冊です。


続く思想地図β4-2「福島第一原発観光地化計画」と対を成す、思想地図βシリーズの新境地!


「ダークツーリズム」とは、何か?
編集長の東浩紀さんは、冒頭で、こう説明しています。

 本書のタイトルには「ダークツーリズム」という言葉が入っています。直訳すると「暗い観光」となるこの言葉は、広島やアウシュヴィッツのような、歴史上の悲劇の地へ赴く新しい旅のスタイルを意味します。観光学の先端で注目されつつある概念であり、本書のなかで簡単に解説されています。本書は、チェルノブイリがまさにダークツーリズムの新しい訪問先になりつつある、その事態についてのガイドであるのと同時に、チェルノブイリという例を通してダークツーリズムという新しい概念に触れる、そんなガイドにもなっています。


あの事故が起こったチェルノブイリを「観光」だなんて、不謹慎というか、物好きというか……
そう思いながら、手にとったのですが、読んでみると、その「チェルノブイリ観光ツアー」の様子と、「事故後のチェルノブイリを歴史的に保存し、世界に向けてアピールしようとし続ける人びと」の姿、そして、新津保建秀さんの写真の素晴らしさに、とにかく圧倒されました。
チェルノブイリ内部の制御室は、まるで、昔見た映画『ウォー・ゲーム』の一場面のようですし、これまで事故機を覆っていた石棺(耐用年数30年)をさらに覆うという「新石棺」(こちらも100年くらいしかもたないそうです)の巨大さには驚くばかりです。
巨大工場とか廃墟に惹かれる人には、たまらない光景だと思います。
いやまあ、そういう目で事故現場をみることに、後ろめたさもあるのですが、「そういうものを目の当たりにする」というのも、おそらく、このツアーのひとつの「見所」なのではないでしょうか。
小田嶋隆さんが、コラムのなかで、原発を見学したときに、「原子力発電への賛否はともかく、あのメカの巨大さ、壮大さには『男の子だった自分』がワクワクするの抑えられなかった」というように述懐されていたのを思いだします。


「ダークツーリズム」というと、「不謹慎」な感じがすごくするのですけど、僕が子供のころ社会科見学で行った広島の原爆資料館だって、「ダークツーリズム」なんですよね。
アメリカ軍による原爆投下から、68年。
いま、広島や長崎を観光で訪れる人が「不謹慎」だと言われることはないでしょう。
アウシュヴィッツも1979年に「世界文化遺産」に登録されています。


その一方で、いま、東日本大震災原発事故の被災地を「観光」に訪れることには、賛否があります。
地元に少しでもお金を落としてくれればいい、というのは、あくまでも「観光客で潤う人たちの意見」であって、そこで日常をおくっている人たちにとっては、「見世物じゃないんだ」という感情も根強いはず。
みんなが「誠実に勉強しにきている人」でもないでしょうし。


数年間というのは、悲劇を、悲劇の地を忘れないための「ダークツーリズム」をはじめるには、すくなくとも「平穏な観光地」として現場の人たちも対応できるようになるには、ちょっと短すぎる時間なのかもしれません。


チェルノブイリは、あの事故から27年。
事故の記憶や影響は色濃く残っている一方で、「風化」もみられつつあるようです。
福島の原発事故の前には、チェルノブイリの記念館は「もう、チェルノブイリに特化するのはやめて、この地域全体、人類全体の悲劇を展示するように変えたらどうか」という話も出ていたそうです。
(それが、福島の事故で、「見直される」ことになったのです)


悲劇から、どのくらいの時間が経てば、「ダークツーリズム」は推奨されるようになるのだろうか?
僕が広島の原爆資料館をはじめて訪れたのは、昭和55年くらいでした。
そのときには「見世物にするな!」という雰囲気はまったく感じなかったんですよね。
30年くらいが、「まだ記憶が生々しいので、観光なんてしてほしくない」というのと「記憶を風化させないために、とにかく多くの人に知ってもらいたい」の境目、なのかもしれません。ちょうど親から子へ、バトンが渡されるくらいの年月。
チェルノブイリは、ちょうどその時期、27年目を迎えています。
もちろん、その「境目」に、全ての人にあてはまる答えなんてないんですけどね。
傍観者にとっては、悲劇の1週間後でも「興味の対象」でしかないかもしれないし、当事者にとっては、100年経っても客観的にみることなんてできないのだろうから。


時間が経つにつれ、「記憶の風化」を恐れる声が大きくなっていくことは間違いないようです。
チェルノブイリは、2007年に発売された、FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム:一人称視点のシューティングゲーム)の『S.T.A.L.K.E.R.』で、ゲーマーたちに注目され、このゲームの舞台となった場所を巡るために、チェルノブイリ・ツアーに参加した人も少なくないのだそうです。
あの悲劇をゲームにするなんて!と思ってしまうのですが、この本に出てくる現地の人たちは、「ゲームがきっかけでも、この地域やあの事故に興味を持ってもらえるのなら歓迎」だと好意的な反応を示しています。
この作品の登場人物のモデルとなったとされている人にも、この本のなかでインタビューされているのですが、彼も「それで若い人が興味をもってくれるのならいい」と述べているのです。
「ただ、モンスターとかミュータント、異常現象は忘れていただきたい」という条件付きで。


 津田大介さんが書かれている「チェルノブイリで考える」より。

 チェルノブイリの問題は日本で継続的に報道されていたものの、大枠では放射能による健康被害、食品汚染、脱原発の動きという三つの話題に絞られていた。その結果、我々が知ることができなかったチェルノブイリの情報とは何か。それは、この27年間に原発から30キロ圏内ーー「ゾーン」で何が起きていたのか、ということである。
 前述のとおり、チェルノブイリ原発は事故後も1〜3号機は稼働・発電を続け、2000年まで「発電所」として機能していた。同事故はソ連を崩壊させる大きな要因となり、当事国であるウクライナは1991年のソ連崩壊とともに独立国家になった。しかし、その歴史のいたずらは、ウクライナチェルノブイリ原発という大きな「負の遺産」を押しつけることとなる。事故を起こした4号機に隣接する3号機を、危険を承知で2000年まで動かし続けたのは、同機がウクライナ全体の電力供給の7%をまかなってきたからだ。
 エネルギー分野での自立を目指すウクライナは、独立したことで、より原発に頼らなければならなくなった。結果、現在の同国の原発依存率は50%まで上がっている。


 今回、筆者と編集部が取材でチェルノブイリ原発を訪れた際、もっとも驚いたのは、チェルノブイリ原発がいまだ「現役」の電力関連施設だったということである。同施設は発電停止以降「国営特殊企業チェルノブイリ原子力発電所」に名称を変え、現在でも一日あたり2800人もの労働者がバスで通勤し、事故処理ならびに送電業務に携わっている。
 日本ではこの事実はあまり知られていない。日本のメディアが2000年の3号機停止時に「チェルノブイリ原発が完全閉鎖」と、区切りのように報じたからだ。


あんな事故が起こったあとのチェルノブイリは、廃墟になっているのだろうし、ウクライナの人たちは、チェルノブイリを忌避しているに違いない。
僕もそう思っていました。
ところが、あの事故のあとも、チェルノブイリは「現役」だったのです。
リスクは承知しながらも、「ウクライナ全体の電力の7%」は、捨てられなかった。
逆にいえば、あの事故から14年間、3号機は大過なく稼働した、とも言えます。
そして、この本を読んでいるかぎりでは、ウクライナの人たちは、あの事故に関して、かなり冷静に成り行きを見守っているような印象を受けました。


いくらなんでも、あんな事故の当事国となり、ロシアから独立したことによって、結果的に事故を起こした原発を引き受けることとなったウクライナは、原発から撤退、あるいはなるべく縮小していっているはず。
……だと、僕は思い込んでいたのです。
ところが、ウクライナのエネルギーは、いまでも原発に多くを依存しているどころか、原発への依存率は上昇しています。
今後も原発を新設していく予定があるのだとか。


なぜ? あんなに酷い目にあったのに……
独立に伴ってロシアとの関係が悪化し、ロシアからの天然ガスなどの輸入が難しくなったウクライナには「原発による電力確保」しか道がなかったのです。
そして、ウクライナは、あの事故の記憶を抱えながらも、「それでも原発を動かして、電力を確保する」という方針を取らざるをえなかった。
日本にはもともと多くの火力発電所があり、石油の輸入を増やして火力発電所稼働率を上げるという一時的なコスト増にもなんとか耐えられるだけの「国力」がありました。
(それが、日本にとっては、問題を先送りできる要因でもあったのです)
ところが、ウクライナでは「原発を動かし続けるか、停電か」しかなかった。
世界には「原発を選択せざるをえない国」もあるのです。
(もしかしたら、さまざまな利権絡みで原発新設が行われているのかもしれませんが……)


事故の処理活動にも参加した、研究者・作家のセルゲイ・ミールヌイさんは、「原子力発電についての考えを聞かせてください」という問いかけに対して、こう答えています。

 個人的な考えですが、原発はそのまま稼働させておくほうが、廃炉にするより安全だと思います。原発が稼働しているかぎりは、毎日人が通い定期的に点検が行われる。彼らは仕事を失うことを望みません。他方で、廃炉についてはまだ十分な経験が蓄積されていない。技術的な問題だけでなく、原発を閉鎖することでもたらされる社会的で経済的な影響についても経験がないのです。したがって、いま原発を大量に閉鎖することは、きわめて危険だと考えています。

たしかに「閉鎖する」といっても、スイッチを切ればただちに安全になるようなものじゃないんですよね、原発って。
そもそも、廃炉のしかたさえも、まだ確立されていない状況です。
それならば、稼働してメンテナンスをしていくほうが、「より安全」なのではないか?
そうすると、なしくずし的に、また大きな事故が起こるまで「原発を止めるタイミング」を失ってしまう可能性も高いのですが。


ちなみに、ミールヌイさんは「原発の新設には反対で、いま稼働している原発については耐用年数まで稼働を続け、段階的に減らしながら自然エネルギーに置き換えていく」と考えておられます。
僕はいわゆる「脱原発派」なのですが、「ただちにすべて廃炉!」というよりも、こちらのほうが現実的なのかもしれないな、とも思いました。
まあ、なんでこんなものを大量につくってしまったんだ……というのは、どうしても考えずにはいられないのですけど……
つくってしまったものは「なかったこと」にはできないわけで。


チェルノブイリ観光でのトイレや食事から、関係者への濃密なインタビューまで。
個人的には、ウクライナには原発反対派はいないのだろうか?いればその人たちの主張も聞いてみたかった、とは思うのですが、背徳的なまでに綺麗な写真も含めて、これまでの「チェルノブイリ像」を大きく変える一冊でした。


さきほどの津田大介さんの文章のなかに、チェルノブイリ博物館についての、こんな話が出てきます。

 チェルノブイリ博物館の展示哲学とは何か。それは、展示室の入口に書かれている「悲しみには際限があるが、憂慮には際限がない」というスローガンから読み解くことができる。
「私たちの課題は事故処理員、犠牲者、目撃者ら、何千人もの人々の運命を通して、今日、世界の産業の発展においてもっとも重要なものだとされている原子力エネルギー政策における事故がどういうものなのかを示すことです。『誰がボタンを押したのか』ではなく『なぜ彼はこのボタンを押したのか』――それを社会学者や哲学者の視点から考えましょうと。押したかったからなのか、それとも押すことを強いられたのか、あるいはもっと別の理由があるのか。そうした人間的な側面に焦点を当てた展示を心がけています。

大きな事故や災害のたびに「首相の責任」で済ませてしまうのは簡単だけれど、それは単なる「思考停止」なのかもしれないな、と、この本を読みながら考えずにはいられませんでした。
「なぜ原発が必要だと(不要だと)、あの人たちは考えているのか?」
そこを理解するのではなく、「あいつらは経済のこともわからないバカだ」「人の命を何だと思っているんだ」からスタートしていては、歩み寄ることなんてできないのだよなあ。

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