琥珀色の戯言

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【読書感想】雑食映画ガイド ☆☆☆☆


雑食映画ガイド

雑食映画ガイド

内容紹介
町山智浩柳下毅一郎ギンティ小林の3人が「漫画アクション」にて2004年から2013年にかけて連載された映画コラムをまとめた単行本。
誰もが知ってるメジャー大作から、著者が発掘した知られざる作品まで、120数本をご紹介。


内容(「BOOK」データベースより)
超メジャー大作からポルノの逸品、邦画洋画はもちろんインド映画にタイ映画、往年の名作から最新3D映画までごった煮の126本。どさくさにまぎれて大議論を呼んだ町山智浩の映画『鈴木先生』論完全版も収録。

 僕は自分のことを「ミーハー映画ファン」だと思っているのです。
 メジャーな映画しか観ていなくて、ちょっと恥ずかしいな、と。
 でも、その一方で、「ヒットしたり、ネットで話題になったりしていない映画に、そんなに面白い作品があるのだろうか?」と考えてもいます。
 この本、町山智浩さんと柳下毅一郎さん、そして、ギンティ小林さんが『漫画アクション』に連載していた映画コラムをまとめたものなのだそうですが、読んでみるまでは、「マンガ雑誌に『添え物』的に載っていた映画コラムなんて、いくらこの人たちが書いたものでも、たいしたことないんじゃないのかな……」と予想していたのです。
 町山さんが書かれていたので、結局買って読んでみたのですけど。


 読んでみて、反省。
 ああ、世の中には、うちの近くのシネコンでは公開されない、「TSUTAYAだけ!」でも借りられない、日本で公開さえされていないような面白そうな映画が、こんなにあるのか……


 柳下さんの『ボディ・ジャック』の回より。

 2007年、日本では810本の映画が公開された(社団法人日本映画製作者連盟調べ)。そのうち邦画は407本。さらに制作はされたが公開できない映画が200本以上あると言われている。これだけ作られていれば、誰も知らない映画が200本以上あると言われている。これだけ作られていれば、誰も知らない映画が公開されることもある。映画館に出かけて、はじめて存在を知るような映画が。

 こんなに「お蔵入り」作品があるのですね……

 
 ドキュメンタリー作品に関しては、「こんな面白そうな作品があったのか!」と思ったのに、日本未公開なものがけっこうあったりもするのです。
 町山さんが911同時多発テロに巻き込まれた家族を追ったドキュメンタリー『ニコラスに告げる』を紹介した回より。 

 シングルマザーのミッシェルは、両親の家に二人の姉妹と一緒に住んでいた。母エセルは離婚した婿を責める。「あんたがしっかり養育費を送ってれば、娘はあんなビルに働きに行く必要はなかったのに!」
 オカルトに狂って婚期を逃した長女は、「ミッシェルが死んだのは、三女が悪魔に魂を売ったせいだ」と言い始める。三女は自分を責め、緊張型統合失調症となる。口も利けず、表情も手足も動かなくなって入院する。
 ニコラスの祖母エセルは心臓の手術をしたばかりで倒壊する前の世界貿易センタービルの写真を見て「まるで墓みたい!」とつぶやいて心臓発作を起こして倒れる。
 なんとか一命をとりとめた祖母は、やり場のない怒りを、近所のイスラム系の隣人にぶつけはじめる。「あいつらみんな拷問してやる。死刑じゃ軽すぎるから。ツメをはいで。炎で焼いてやる。女も子供も」
 この映画は、貿易センタービルの屋上のレストランでウェイターとして働いていたバングラデシュからの移民アフメッドの遺族にも取材する。毎朝4時に出勤していた働き者の父を殺したのは同じイスラム教徒だった。その不条理に16歳の長男はただ当惑する。
 そして10日目の9月21日、ニコラスは「ママはまだ帰ってこないの? どうして?」と尋ね続ける。家族はついに真実を告げる決断をする……。

 このとき、ニコラスは7歳。真実を隠し通せるほど子供ではなく、それを受け止めきれるかどうかわからない、そんな年齢です。
 このコラムには、真実を告げられたニコラスの反応と「その後」は書かれていません。
 ああ、気になる……
 でも、いまの日本では、この作品をDVDでも、観ることはできない。
 このあらすじを読むだけで、「日常」とは、なんと脆いものなのだろうか……と考えずにはいられなくなります。
 家族のひとりが偶然、テロの犠牲になったのに、それまでの家族の関係や日常生活は崩壊し、それぞれが、「自分や周囲の人の罪」を数え上げるようになってしまう……
 これは、あのときに起こったことの「ほんの一例」でしかないし、同時多発テロのときにだけ、起こることでもないのです。


 こんな「考えさせられる映画の話」だけではなく、「なんだこれ、観たい!」とワクワクするような作品も紹介されています。
 柳下さんの『VHSカフルーシャ〜アラブのターザンを探して』の回より。
 チュニジアの45歳の塗装工、モンセフ・カフルーシャさんは、映画好きが高じて、自作自演のアクション映画を撮るのです。その最新作が『アラブのターザン』。

 もちろんカフルーシャが作るのはエド・ウッドにも劣る低予算の底抜け映画である。カフルーシャはヒョウ柄の腰巻きを巻いておたけびをあげ、列車が迫りくる線路の上で、ヤギのぬいぐるみと格闘する。よたよた走るギャングのボス(スポーツジムのオーナー)を追いつめ、玩具の銃をぱんぱんと発射する。撃たれて倒れるボス。だが血糊の用意なぞあるわけがない。「血をつけなきゃ……」とカフルーシャは自分の腕をナイフで切り、血を絞りだしてボスの服になすりつけるのである。どう見てもボスよりはるかに大怪我だ。これを笑わずにいられようか。
 だが、カフルーシャはどこまでも本気だ。カフルーシャには特殊効果もスタントマンもいないから、すべてのアクションは実際に演じなければならない。アクション・シーンではど素人のカフルーシャが崖の上から飛び降り、走行中の車のルーフをよじ登るヤキマ・カナットばりの大スタントを演じる。悪党がヒロインの家を荒らすシーンでは、母の持ち家に火をつけ、かけつけた消防車の消火活動を撮影する! これはギャグでもなんでもない。危険きわまりないアクションはすべて本物だ。ときに大金をかけたハリウッド映画をも凌駕するほどに、カフルーシャの映画は本物なのだ。

 これ、フィクションのギャグ映画じゃなくて、「ドキュメンタリー」なんですよね。
 観てみたいなあ!
 というか「本物」すぎるだろこれ。


 紹介されているすべての作品に興味が持てる、という人はなかなかいないと思いますが、読んでみると、確実に「自分の世界が広がるような気がする映画コラム集」です。

 
 町山さんが「アキバ系アメリカ人」のパトリック・マシアスさんと一緒に『電車男』のアメリカ版DVDの副音声解説を収録したときの話。

 でも、ひとつだけ答えられなかったパトリックの質問がある。
「最初にエルメスが、電車の中で酔っ払いに絡まれるけど、電車男以外誰も彼女を助けようとしないのはなぜ? アメリカではありえないよ」
 このシーンは日本ではごくあたりまえの日常だ。他人が困っていても見てみぬフリ。でも、なぜ?
 なんで日本ではそれが普通なの? オイラは言葉につまってしまった。「美しい国」とか言ってる奴には是非、答えて欲しいもんだ。

 大震災のときにも整然と行動し、世界の称賛を集めた日本人。
 でも、その一方で、こんな電車内の光景が「普通」の国であるのです。
 他所の国、他人が作った映画を観るっていうのは、自分の「常識」が揺さぶられる体験、でもあるんですよね。

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