琥珀色の戯言

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【読書感想】米ハフィントン・ポストの衝撃 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
5月から朝日新聞の協力のもとサービスが開始された「ハフィントン・ポスト(HuffPost)」日本語版。
アリアナ・ハフィントンが2005年に立ち上げ、オバマ大統領、ヒラリークリントンなど有名な論客を揃えることで
圧倒的な知名度を獲得し、2012年にはブログでは初のピューリッツアー賞を受賞した。
アメリカにおいてはリーマンショックを前後して既存の大手新聞メディアが収益減のため、縮小や撤退が相次いできたが、
代わりに注目を浴びてきたのが旧来の新聞が果たしてきたWatch Dog機能を持つこうしたWebメディアだ。
こういったWebメディアが日本に上陸することにより、日本の既存メディアがどのように変わる可能性があるのか、アメリカの事例を参照しつつ紹介していく。


内容(「BOOK」データベースより)
政治家の妻、ベストセラー作家、リベラル派の論客など多数の顔を持つアリアナ・ハフィントン。彼女がたどり着いたのは、社会に多大な影響力を与えるネット新聞だった。アメリカ最強のネット新聞である「ハフィントン・ポスト」創設の物語が今語られる!


参考リンク:ハフィントンポスト日本版


日本最大級のマスメディアである朝日新聞とも提携し、まさに「鳴り物入り」ではじまった『ハフィントンポスト日本版』ですが、現時点ではまだ、それほどの存在感を示せてはいないようです。
逆に「なぜ、アメリカではこんなに大きな勢力になっているのか?」と思い、この新書を手にとってみました。


この新書のなかで、フランスの通信社AFPが、2012年1月にフランス版ハフィントンポストがオープンした際のこんな見出しが紹介されています。

「セレブとスキャンダルがフランス版ハフポストで融合」


日本のブログメディアとされるものの多くは、新聞社や共同通信の記事と有名ブロガーの寄稿の寄せ集め、だと僕は思っていました。
現時点では、日本のハフィントンポストも、似たようなもののように見せます。
実際、書いている人たちは「どこか他のネットメディアで見た人たち」ばかりですしね。

 ハフポストは、新聞をはじめとした伝統的印刷メディアに対するアンチテーゼとして誕生している。過去のしがらみがないからこそ大成功を収めたといえるのだ。旧態依然とした体質を引きずる日本へ進出したことで、将来的に報道姿勢などをめぐって「文化の衝突」に直面する恐れもある。


 逆に言えば、もともとアンチテーゼとして生まれたハフポストは伝統的印刷メディアから敵視されやすい。2012年4月のピュリツァー賞授賞前であれば、なおさらだ。
 本書の第3章にも書いてあるが、AOLによる買収が発表された2011年3月には、ニューヨーク・タイムズの編集局長ビル・ケラーが自分のコラムの中でハフィントンのことを「アグリゲーションの女王」と形容している。アグリゲーションとは、通信社など他社ニュースを寄せ集め、整理して自社ウェブサイト上に載せる行為のことだ。
 そして、ケラーは皮肉を込めて「有名人のゴシップ、かわいい子猫のビデオ、原稿料なしのブログ記事、他メディアのニュース記事を寄せ集め、リベラル派の味わいを加えれば、ウェブサイト上に何百万人もの人を引き寄せられる。アグリゲーションに対するハフィントンの天才的なひらめきだ。なんと素晴らしいのだろう」と書いている。


これは旧メディアの「やっかみ」も多く含まれているのでしょうけれど、ハフィントンポストへの評価として、そんなに的外れでもないような気がします。


しかしながら、その一方で、2012年にハフィントンポストは、ブログサイトからはじまったメディアとしては、はじめて、アメリカのジャーナリズム最高の栄誉・ピューリツァー賞を受賞しているのです。

 受賞作は、ハフポストが2011年に連載した企画「戦場を超えて」だ。全国ニュース部門で受賞している。イラクやアフガン戦争で重傷を負い、身体障害者になった退役軍人や家族の状況について生々しいエピソード満載で伝えている。
 ネットメディアと聞くと「低コストでスピード重視」を連想しがちだ。インターネットを使っているため、印刷費・配送費を浮かせる一方で、いわゆる市民ジャーナリストを使って人件費を節約する場合も多い。リアルタイムでの報道が可能で、速報ニュース(ストレートニュース」に強い。悪く言えば、速さを優先して品質を二の次にしている。
 だが、ハフポストの受賞作は10回にわたる長期連載だ。コロンビア大学ジャーナリズムスクールを事務局にするピュリツァー賞選考委員会は「10年に及ぶイラク戦争とアフガン戦争で多くのアメリカ兵が重傷を負い、肉体的にも精神的にも苦しんでいる。その実態を見事に浮き彫りにした」と評価している。
 筆者は、受賞時点で66歳のジャーナリスト、デビッド・ウッド。1977年にアフリカのゲリラ戦争取材のために有力誌タイムのナイロビ支局長に就任して以来、世界各地の紛争を取材する軍事専門記者として30年以上にわたって活躍してきた。直近ではイラクアフガニスタンの戦線で何度も現地取材している。
 ウッドはハフポストへ投稿するブロガーでもないし、同サイトへ寄稿するフリーランスでもない。同サイトで雇用されている正社員だ。タイムのほかロサンゼルス・タイムズやボルチモア・サンなどの新聞社で記者経験を積み、2011年前半にハフポストに入社している。ちなみに、日本ならばウッドのようなベテラン記者は普通は定年退職しており、正社員として転職するのは、ほぼ不可能だろう。

 ウッド記者は、この「戦場を超えて」全10回を、8ヵ月間取材して書き上げたそうです。
 著者は問いかけてきます。
 いまの大手メディアで、ひとつの連載記事に、こんなに時間をかけて取材することが許されるだろうか?
 8ヵ月でこれだけしか記事を書かなくても、正社員でいられるだろうか?

 
 著者は日本の新聞社での勤務経験があるそうなのですが、そこでは「8ヵ月で10本は非常にぜいたくであり、めったに許されなかった。部数が数百万部に達する大新聞で、記者を1000人以上も雇う体力があるのに、である」と述懐しています。


 でもまあ、それはある意味、ハフィントンポストが「大部分の紙面ををアグリゲーションで埋めることができるから」でもありますよね。
 ウッド記者みたいな人ばかりを雇っていて、自社取材の記事しか載せないのであれば、内容は濃くても、紙面はスカスカになってしまいますから。
 ハフィントンポストは、ウッド記者のような少数のすぐれた人材に、集中的に投資をして注目を集める記事を書いてもらって社会的な評価を上げ、その一方で、スキャンダル記事で多くの人に読んでもらう、という戦略をとっているのです。


 ということは、既存のメディアが全部なくなってしまえば、ハフィントンポストは「美味しいところ取り」ができなくなる、という可能性もあるんですよね。
 もっとも、「既存のメディアが全部なくなる」なんてことも、そう簡単には起こらないのでしょうけど。


 いずれにしても、「アグリゲーション」だけではなく、独自取材をするメディアとしても、ハフィントンポストが存在感を増しているのは事実のようです。


 著者は、日本の大手メディアが「放っておいても、いずれはみんなが知ることになるニュース」(誰それが辞めるとか、あの銀行が合併するとか)の「速報性」ばかりを争っていることに警鐘を鳴らしています。
 速報ニュース(ストレートニュース)で「抜いた」「抜かれた」の争いに、何の意味があるのか?
 そんな「いずれは正式にリリースされ、みんなが知るはずのこと」よりも、独自の取材で権力の隠されていた暗部を暴くような記事こそ、メディアの価値が問われるはずなのに、と。

 日本の新聞やテレビにだって、良質の記事はあるんでしょうけど、「内容」よりも「速さ」が評価されがちなのが、現状なのです。


 この新書のなかでは、ハフィントンポストの総帥、アリアナ・ハフィントンさんの半生についても触れられています。

 ハフィントンの人生を振り返ると、どんな人でも魅了してしまう彼女の「マジック」が垣間見える。
 ギリシャ生まれのジャーナリスト、ゴシップ誌に登場するセレブ、両性愛の大金持ちと結婚した女性、パブロ・ピカソマリア・カラスの伝記を書くベストセラー作家、ラジオのトーク番組司会者、テレビの政治コメンテーター、保守派からリベラル派への転向者、2人の娘を持つ母親、カリフォルニア州知事選でアーノルド・シュワルツェネッガーの対立候補ブログ界の女性第一人者――。
 彼女にはあまりに多くの顔があり、一言では表現しにくい。まるでいくつもの人生を歩んできたようだ。これにもう一つの”人生”が加わりつつある。メディア界の大物、である。

 1950年生まれのアリアナ・ハフィントンさんの人生は波瀾万丈なのですが、この新書を読んでみると、彼女は「ブログメディアで成功して有名になった人」というより、もともと有名作家であり、セレブだった人が、その人脈を使ってブログメディアを成功させた、という感じなんですよね。
 日本でいえば、糸井重里さんが、政治的影響力を積極的に行使しようとしたら、アリアナさんみたいになるかもしれません。
(現時点では、糸井さんには政治方面への興味はあまり無さそうなんですが)


 この新書を読んで、ハフィントンポストの歴史を追っていくと、必ずしも「これまでのメディアの暗部に対抗するために、クリーンにやってきた」というよりは、「手練手管を尽くして、成功するためにガムシャラにやってきた」という印象です。
 スタンスも、日本の大手メディアのように「建前上中立」「公正な報道」を標榜するのではなく、「民主党寄りのリベラル路線」を明らかにしています。
(もっとも、アメリカの場合はそういうふうに「記者の名前を明記すること」や「メディアが自ら支持する側を表明しながら報道すること」は当然とされています)


 そういう点では、朝日新聞と組んでいる日本のハフィントンポストは、良くも悪くも「優等生的」になりすぎていて、他のブログメディアとの差別化ができていない、という面もあるんですよね。


 著者は、この新書のなかで、「印刷される紙の新聞の時代は、もう終わりなのではないか?」という、ハフィントンポストの創業者のひとりの話を何度か採り上げています。
 速報性においても、コストにおいても、メリットよりもデメリットのほうがはるかに大きい時代になっているのではないか、という言葉には、頷けるのと同時に、そんな急激な変化に、いまの日本人は、日本のメディアはついていけるのだろうか?とも思うのです。
 でも、この流れは、たぶん、止められないでしょう。
 

 「媒体は変わっても、ニュースやニュースを分析した記事は求められるし、むしろ多くの人の声がブログなどに直接届けられる、『ニュースの民主化』が起こっているのだ」という言葉も紹介されています。
「大手メディアの衰退」は、「ジャーナリズムの死」ではないのだ、と。


 その一方で、大手メディアが採り上げない「おらが街のニュース」(いわゆる「ローカルニュース」)が見直されてきてもいるのです。
 ネットでは、ローカルニュースを効率的に探すのは、案外難しいですし。


 ハフィントンポストというのは、さまざまな意味で、「日本のメディアにとっての『黒船』なんだなあ」ということが、この本を読んでようやく理解できました。
 現時点での「ハフィントンポスト日本版」は、まだまだ試行錯誤の段階のようにみえるんですけどね。

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