琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】零戦 その誕生と栄光の記録 ☆☆☆☆



Kindle版は講談社から。

内容(「BOOK」データベースより)
世界の航空史に残る名機・零戦の主任設計者が、当時の記録を元にアイデアから完成までの過程を克明に綴った貴重な技術開発成功の記録。それは先見力と創意、そして不断の努力が見事に結晶したものであった。「われわれ技術に生きる者は、根拠のない憶測や軽い気持ちの批判に一喜一憂すべきではない。長期的な進歩の波こそ見誤ってはならぬ」日本の卓越した技術の伝統と技術者魂を見直すことが問われる今こそ、必読の一冊。


あの宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観て、「実際の堀越二郎とは、どんな人で、零戦とはどんな飛行機だったのか?」を知りたくなった人も多いのではないでしょうか。
僕もそのうちのひとりで、書店で見かけたこの本を購入して読んでみました。
これは、終戦後20年あまりの1970年にカッパ・ブックスで出版されたもので、1984年に講談社文庫に収録されています。
今回、映画『風立ちぬ』によって、あらためて堀越二郎という人と零戦がクローズアップされ、書店にも平積みされるようになりました。


この本、「自分語り」はほとんどなされておらず、大部分が「日中戦争〜太平洋戦争の時代」に、海軍から当時の日本の技術では到底不可能と思われた戦闘機の開発を求められた著者の技術者としての苦悩と工夫が描かれています。


海軍から出された航続力、最大速度、空戦性能、エンジンなどの要求は、当時の日本の技術水準からすれば、実現不可能に近いくらい困難なもの、だったようです。

 たとえば、ほかの性能を犠牲にして、航続力なら航続力だけ、空戦性能なら空戦性能だけが、ずば抜けてすぐれた飛行機を作るのは、そうむずかしいものではない。しかし、この要求では、航続力と空戦性能がともに世界のレベルからずば抜けて高く、しかも、その他の性能の一つ一つに、まだ試作段階にあるものまで含めた外国の新鋭戦闘機にくらべても、最高のレベルにはいることを要求していた。たとえていえば、十種競技の選手に対し、五千メートル競走で世界記録を大幅に破り、フェンシングの競技で世界最強を要求し、その他の種目でも、その種目専門の選手が出した世界記録に近いものを要求しているようなものであった。そのような能力を一身にそなえた戦闘機など、作れるだろうか。

読んでいる側としては、前半の技術的な話は「なんかすごいことをやっていたんだなあ」とは思っても、その「本当のすごさ」というのは悲しいかな技術に対する予備知識がないために把握しきれないのですよね。
それでも、資源もない、エンジンの性能も劣る、という日本で、「ひたすら考える」こと、「極限まで削れるものを削っていくこと」で、優秀な飛行機をつくっていった著者の執念には、圧倒されずにはいられません。

 当時、飛行機を設計する場合に守らなければならない基準を記した「飛行機計画要領書」というものが新しく定められていた。
 その中の、飛行機の強度を規定する部分に、「安全率」という規定があった。それは、機種ごとに、その飛行機が飛行中に何回うけてもよい「最大の力」をきめ、その最大の力がかかったとき、飛行機の強度があまりぎりぎりで余裕がないと危ないため、飛行機が破壊するまでにまだどのぐらいの余裕をもたせるべきか、その率を安全率として定義したものであった。その飛行機計画要領書によれば、この安全率は、機種、力のかかり方、部材の性質などにたよらず1.8、つまり、何回うけてもよい最大の力の1.8倍以下では破壊してはならないと定められていた。
 戦闘機に対しては、このうち何回かかってもよい最大の力というのを7G、つまり地球の引力の7倍の力と決めてあったから、1.8という安全率をこれに適用すると、機体のすべての部材は、7Gの1.8倍、つまり12.6Gという力に耐えられなければならないことになる。言いかえれば、最大の力である7Gという力のかかる激しい運動をしたときでも、すべての部材の強さは、それに加えて、5.6Gの余裕をもつことが要求されていたのである。
 しかし、私は、部材の強度試験に立ち会った経験から、いろいろな部材によって、そのこわれ方がちがうことをよく知っていた。
 細長い柱や薄い板のような部材を両極から押すと、押す力がふえるにつれて、部材ははっきり湾曲がふえてゆく。そして、はじめのうちはその力を抜くと、湾曲は消えて、もとの形にもどる。そして、さらに少し押す力を加えると、あるところでその力に耐えられなくなって破壊する。ここで重要なことは、この種の部材では、極端にいうと、それが破壊する寸前まで、加えていた力を抜くと湾曲がもとにもどるということである。ということは、もとの力にもどる範囲の最大限の力、つまり何回くりかえしてかけてもよい「最大の力」は、破壊する力のごく近くまで近寄っているということになる。
 これに対し、引っ張り力に耐えるように作られた引っ張り部材や、押す力に耐えるように作られた太短い柱や厚い壁のような部材は、かかった力がその部材を破壊するだいぶまえで、すでにその部材の変形はもとにもどらなくなり、役に立たなくなってしまうのだ。ということは、この場合、何回もくりかえしてかけていい「最大の力」は、その部材を破壊する力よりずっと手前でとどまってしまうということになる。
 私は、この二つの破壊のされ方に重量軽減のヒントがあると考えた。もし、この二種類の部材で、ともに十の力をかけたとき破壊される部材を作ったとしよう。すると、細長い部材のほうは、十にごく近い八か九の力までくりかえしかけてよいことになる。しかし、これに対し、引っ張り部材や太短い部材は、十からだいぶ遠い六か七の力しかかけられない。ということは、もし、六か七程度の力しかからない飛行機にこの二種類の部材を使ったとすれば、細長い部材のほうは余裕がありすぎることになる。
「これだ! この余裕のありすぎる部材の安全率はもっと下げることができる。」
 私はこう決心した。

それぞれのパーツへの力のかかり方を考えて、もとに戻る力が強いパーツに関しては、「安全率を下げて、軽量化をはかる」というのは、画期的なアイディアだったのです。
いくら戦闘機であっても「安全基準」は満たさなければならない。
でも、その「安全基準」そのものが、現実に即したものであるのかどうか?
もちろん、安全なら安全なほど良いのは、間違いないでしょう。
平和な時代の旅客機の設計ならば、堀越さんも、そうしたはずです。
でも、あの時代の日本の資源や技術、そして、兵器であるということを考えれば、最低限の安全性を確保しながらも、少しでも軽くしなければならなかった。
そこで、こんな発想の転換が行われたのです。
のちに、零戦は「防弾性能が低い」ことが弱点として指摘されるようになるのですが、少なくともあの戦争の前半では、零戦の航続性能や空戦能力が他を圧倒するために、装甲を犠牲にしたことは賢明な選択だったのです。
日中戦争や太平洋戦争の前半では、他国の主要戦闘機と零戦の空戦では、相手を数十機撃墜し、零戦の被害は数機、というような、『機動戦士ガンダム』のガンダムリックドムの戦闘のような結果が続いていたのですから。
その時期は「ゼロに遭遇したら、とにかく闘わずに逃げろ」という通達が相手国には出ていたのだそうです。
そのくらい、力の差があったのです。


零戦が完成してから、テスト飛行、そして、実戦に投入された後の活躍と、それを設計者はどういう目でみていたのか、というのは、とても興味深いものでした。


戦争の後半では、圧倒的な物量と技術力の差で、零戦の優位は失われていくのですが、「ゼロ・ファイター」は、敵国にとっては恐怖の、そして畏敬の代名詞だったのです。
零戦の優位が失われた大きな転換点として、ミッドウェー海戦と同時期に行われていたアリューシャン作戦で、「重大な不幸の種」がまかれていた、と著者は指摘しています。

 アリューシャン作戦に参加し、無人島に不時着したほとんど無傷の零戦一機を、アメリカが手に入れたのである。零戦の運命を大きく変えることになるこの事件に、当時の日本側では、だれ一人として気づいた者はいなかった。アメリカは、真珠湾攻撃以来、落ちた零戦の切れはしを寄せ集めてまでも、謎の飛行機といわれる零戦の秘密を解き明かそうとしていた。そして、この完全な零戦に飛行試験を含むあらゆる角度からの調査をほどこし、その長所と短所を完全に知ることができた。調査の結果は、新戦闘機の開発のうえでも、零戦との戦術のうえでも、ひじょうに大きな役割を果たすことになった。

零戦に勝つためには、なりふりかまわず、零戦に学ぶしかなかった。
そして、その合理的な手段を徹底したことが、連合国側の巻き返しにつながったのです。
 

この本のなかでは、「自分がつくった戦闘機が、戦争の道具になるなんて!」と嘆くような様子は一切なく、その戦果に興奮しながらも、戦争中も著者はずっとその「改良」に追われていたのです。
それが「戦闘機」である以上、「よりすぐれた戦争の道具をつくる」ことに、堀越二郎という人は、疑問を抱いていませんでした。
僕はこれが1970年に書かれたことを考えると、そこで「平和主義者だったフリをして難を逃れようとする」よりも、「資源も技術も十分でなかった時代に、自分がいかに工夫してすぐれた戦闘機をつくったか」を胸を張って語ることを選んだ著者の潔さに敬服せざるをえません。
ただし、技術者として、海外の技術力や日本の資源不足をよく知っていた著者は、アメリカとの戦争を楽観してはいませんでした。(緒戦の勝利で、なんとか有利な条件で講和できればと考えていた、とこの本のなかでも率直に述べています)
そして、「おわりに」のなかで、こう言っています。

 飛行機とともに歩んだ私の生涯において、最大の傷心事は神風特攻隊のことであった。

別のところには、こんな言葉があります。

 なぜ日本は勝つ望みのない戦争に飛びこみ、なぜ零戦がこんな使い方をされなければならないのか、いつもそのことが心にひっかかっていた。もちろん、当時はそんなことを大っぴらに言えるような時勢ではなかった。


 堀越二郎という人は、自分がつくった「戦闘機」に誇りを抱いていたのだと思います。
 そして、零戦が「有効な兵器」として能力を活かして使われることには、けっして反対ではなかった。
 でも、「特攻」で、零戦パイロットたちが、不合理に失われていくことには、とてもつらい思いをしていたのでしょう。
 「そんなことをするために、つくったのではないのに」と。


 この本を読んでいると、零戦の性能の素晴らしさが、日本に自信を与え、結果的に戦争を長引かせ、犠牲者を増やしたのかもしれないな、という気もするのです。
 しかしながら、零戦という伝説が、後世にまで、日本という国への他国の敬意をもたらしている面もある。
 

 映画『風立ちぬ』の堀越二郎とは、ちょっとイメージが違うかもしれませんが、実際の堀越二郎もすぐれた技術者であり、自分の使命を果たそうをした人であったことは、間違いありません。
 

アクセスカウンター