琥珀色の戯言

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【読書感想】島田清次郎 誰にも愛されなかった男 ☆☆☆☆☆


天才か、狂人か。ベストセラー作家から地に堕ちた男。その狂気に迫る傑作評伝──。
大正時代を流星の如く駆け抜けた作家、島清こと島田清次郎
わずか二十歳で上梓したデビュー作『地上』が空前の大ベストセラーとなり、有名批評家もこぞって絶賛。一躍文学青年たちのカリスマとなっていく。
アメリカ、ヨーロッパを外遊し、アメリカではクーリッジ大統領、イギリスではH.G.ウェルズとも面会。
しかし、「精神界の帝王」「人類の征服者」と自称するなど傲岸不遜な言動は文壇で嫌われ、おまけに海軍少将令嬢を誘拐監禁したというスキャンダルによって人気は一気に急落。出版社からも作品を受け取ってもらえなくなり、吉野作造菊池寛らの家に押しかけて居座るなど、たびたび問題を起こすようになる。
やがて放浪の果て、清次郎は巣鴨町庚申塚にある私立精神病院「保養院」に収容された。このとき満二十五歳。
天才と呼ばれた青年作家は、精神病院の患者となった──。
忘れられた作家・島田清次郎は、本当に天才だったのだろうか。そして本当に狂人だったのだろうか。
その答えを知るために、生い立ちから絶頂期、精神病院入院後の生活までを、現役精神科医が丁寧にたどり直す新たな人物伝。
将来への野心と不安の間で揺れる等身大の青年がここにいる。


ネットでこの本の上梓を知って購入。
島田清次郎という人と『地上』という作品は、近代日本文学の「忘れられた、あるいは忘れたい大ベストセラー」として、いろいろなところで言及されています(いわゆる「トンデモ本」の文脈で語られることが多いのです)。
島田清次郎は1899年(明治32年)の生まれ。
のちのノーベル文学賞作家、川端康成と同じ年に誕生しています。
無名の文学青年が書いた『地上』が、当時としては異例の大ベストセラーになり、時代の寵児となった島田清次郎なのですが、その後の彼は奇行ばかりが目立ち、「究極の一発屋作家」として、精神病院に入院したまま亡くなります。
同世代人の若者には熱狂的に支持されていたのに、文壇からは失笑され、いまの文学史においては、ほとんど「なかったこと」にされている「天才作家」の足跡を、著者は丁寧に辿っています。


島田清次郎については、同郷の石川県出身の小説家・杉森久英さんが1962年に『天才と狂人の間』という伝記小説を書いて、第47回の直木賞を受賞したり、1990年には森田信成さんの伝記マンガ『栄光なき天才たち』で採り上げられたりと、そのあまりに一瞬だけ輝いた人生に惹き付けられた人も少なくないようです。
僕も島田清次郎を知ったのは『栄光なき天才たち』でした。


その他にも、『地上』がテレビドラマ化、映画化されたり、島田清次郎の生涯がNHKでドラマ化されたりもしているんですね。
さらに1994年には『島清恋愛文学賞』というのが彼の故郷の石川県美川町で創設されています。
この本を読むと、

 人の愛し方も愛され方も知らず、生涯真の愛にめぐりあうことができなかった清次郎の名前が、恋愛小説の賞に冠されるのは少し皮肉なことのようにも思える。

という著者の言葉に頷かざるをえないのですが。


この本、島田清次郎について過去に書かれた本や島田清次郎著作について、丹念に読解、解析されており、僕がこれまで読んだもの(といっても、そんなに多くはないのですけど、『栄光なき天才たち』で読んだくらいの予備知識)のなかでは、もっとも読みやすく、そして、「島田清次郎への愛着」が感じられるものでした。

 島田清次郎を語るときには、いつも「天才」という言葉がつきまとう。本人自身が自分は天才だと豪語していたし、マスコミもまた、若くして鮮烈なデビューを飾った彼を天才ともてはやした。杉森久英が清次郎を描いた伝記小説は『天才と狂人の間』と題され、森田信吾のマンガ『栄光なき天才たち』でも彼の生涯は取り上げられた。しかし、清次郎を「天才」と呼ぶとき、その「天才」はどこか揶揄の混じった言い方になりがちで、それは彼の生前から変わっていない。
 早熟で並外れた才能を発揮するが、奇矯な振る舞いも多く、最後には発狂して悲劇的な末路を遂げる。島田清次郎は確かに世間の期待する「天才」の要素を兼ね備えている。「天才」から「狂人」への転落というスキャンダラスな物語は、私たちの好奇心に大いに訴えかけるものがある。鼻持ちならない天才児の悲惨な末路に、私たち凡人は心の中で安心感を覚える。
 しかし、実際に彼と接していた知人の清次郎評は、そうしたイメージとはだいぶ異なっている。中学の先輩で、入院後まで清次郎とつきあいのあった中山忠直は、<強がりの癖に、気の弱い者であった>と言う。清次郎と同郷の作家である加能作次郎は、<要するに彼は、誰にも愛されない男だつた。そして常にその愛に飢えていた>と振り返る。親しい者の目に映る清次郎は、「天才」という称号とはかけ離れたものだ。


著者は精神科医なので、「妄想にとりつかれている人」や「社会的通念からすると、困ったことばかりする人」を見慣れているのかもしれません。
僕はこれを読みながら、「どんなに『天才』でも、こんなヤツとは友達にはなれないし、周囲の人たちは大変だっただろうなあ」と、ずっと考えていたんですよね。
「誰からも愛されなくて、かわいそう」というよりは、「こんなに他人に対して傲慢だったり、自分のことしか考えていないような人間が、『愛されない』のは当たり前なのではないか」と。
「こんな人間だったから、愛されなかった」のか、「愛されなかったから、こんな人間になってしまった」のか、そもそも「こんな人間」などと言われるほど「悪人」だったのか?
実際、彼に一方的に愛され、傷つけられた女性たちのエピソードを読むと、「ロクなやつじゃないな」と思わざるをえないんですけどね……


当時の「文壇」や「既成の常識を押しつける大人たち」に閉口していた若者たちには、熱狂的に彼の「異常な世界」を支持した者が多かったのです。
「文学」とは、「芸術」とは何か?
「作家の行状」によって、「作品」への評価は、左右されるべきなのか?
そもそも、『地上』とは、そんなにすぐれた作品だったのか?
逆に、著者が「狂人」だったからといって、文学史から「なかったこと」にされてもしょうがないような作品だったのか?


僕は『地上』を読んでいないので、作品全体への評価はできません。
この本には「あらすじ」と一部引用がなされているのですが、それを読むだけでも、けっこう「とんでもない小説」だという感じがしました(ちなみに『地上』の第一部は、「青空文庫」で読めるそうです)


『地上 第三部 静かなる暴風』のあらすじの一部。
ちなみに主人公の平一郎は、島田清次郎自身がモデルというか、「自分のあるべき姿」を描いているとされています。

 このあとは、三つの物語が並行して展開する。ひとつは和歌子との再会で、今も和歌子が自分を愛していることを知った平一郎は、和歌子とともに鉄道で七尾まで旅行する。七尾では和歌子の従姉妹の明智輝子とも出会い、三人で市街を見下ろす丘に登る。丘の上で平一郎が人類や宇宙の変革について十ページにわたる演説をすると、絶世の美人なるふたりの女性は感極まって「わたし達の平一郎様」「わたし達の帝王、王の王なる平一郎様万歳!」と叫び、平一郎は「わが王妃、和歌子の上に光栄あれ! ああ、帝王、王妃の姉妹なる明智輝子の上に幸ひあれ!」と返すのである。その後和歌子と平一郎は接吻を交わすが、すでに人妻となっている和歌子は、泣きながら平一郎のもとを去って行く。

これは紹介されているもののなかでも、もっとも「とんでもない部分」ではあるんですけどね(著者もこの箇所に関しては、苦笑混じりにコメントしています)。
こんな「自分の願望を描いた小説」、「ジャイアン文学」が、当時大ベストセラーになり、著者のもとには、若い女性からもファンレターが山のように送られてきたというのですから……


現代でいえば、新興宗教のパンフレットを、さらに手前味噌にしたような内容なのに。


当時の日本の小説がこんなのばっかりといえば、全然そんなことはないわけですし。
ただ、逆に、当時の若者にとっては、こういう赤裸々な欲望みたいなものが描かれている小説は、すごく新鮮だったのかもしれませんね。
著者も「ヤングアダルト小説のルーツみたいなものだったのかも」と仰っています。


とんでもないといえばとんでもないのですが、後世のロックスターとかも、言っていることや、やっていることはそんなに違わないのかもしれません。
むしろ、島田清次郎という人には「自己演出という計算」の要素がほとんど無いだけ、「凄み」があります。


著者は、精神科医として、入院後の島田清次郎の人生にも興味を持ち、これまでの伝記作家が端折ってきた、彼の闘病生活も詳しく紹介しています。
「何も書けなくなってしまった」のではなく、31歳で亡くなる数か月前まで、作品が書かれていたことにも驚きました。
 

 作者は島田清次郎をこう評しています。

中二病」という言葉がある。
 思春期にありがちな、自己愛に満ちた大げさな空想や振る舞いを意味するインターネットスラングである。流行語は風化しやすいのであまり使いたくはないのだが、清次郎の文章や言動からは、どうしてもこの「中二病」という言葉を連想してしまう。


 もしかしたら、島田清次郎は「早すぎた」のかもしれません。
 「島田清次郎的なもの」を抱えて生きている人は、どんどん増えてきているのだから。

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