琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた ☆☆☆


内容紹介
『二重らせん』『とんび』『山賊ダイアリー』。獄中で読んだ千冊からオススメ本をセレクト。そこから話は「ビジネス」「生活」「日本の未来」にまで広がり…「堀江貴文の頭の中」がわかる本! 成毛眞プロデュース


この「内容紹介」には「堀江貴文の頭の中」がわかる本、と書いてあるのですが、たしかに、単なる「書評」「オススメ本の紹介」というよりは、堀江さんの読書を追体験することによって、堀江さんの考え方に触れることができる一冊、という感じです。


僕の個人的な経験からいうと、読書というのは「時間が限定されていて、他にやること(できること)がなくて、ひとりでいられるとき」に、いちばん集中できるのではないかと思うのです。
家でゴロゴロしているときよりは、当直の合間や、電車や飛行機での移動中、一人での旅先のビジネスホテルの部屋、など。
そういう意味では、「刑務所」というのは、「最も読書に集中できる(せざるをえない)環境」なのではないか、という気がします。
だからといって、そのために刑務所に入る人はいないでしょうけど。


堀江さんは、収監前には、こう仰っています。

 新聞などのオールドメディアに頼らず、インターネットで効率よく情報を手にしていた。多くのチャンスは、情報の差によって生まれる。誰よりも効率的な情報収集こそが、”誰も手にできない未来”を自分のものにする方法なのだ。


でも、この本を読んでいて、堀江さんのすごさというのは、けっこう勘違いされている面があるのではないか、と思ったのです。
堀江さんの「オールドメディア批判」を読んで、「新聞やテレビや本なんて古い。ネットで十分」と判断してしまう人は少なくないのでしょうが、大事なのは「情報集めの方法」よりも「その情報を、どう解釈し、役立てていくか」なんですよね。
堀江さんにとっては、その「情報について考えること、新しい発想に結びつけること」は、あまりにも自然なことで、「そこが大事」だと意識することはないのかもしれないけれど。


最近の堀江さんは医療系ビジネスに興味がある、とのことです。
カフェなどで気軽に採血できるようにして、自分で健康管理ができるようなシステムをつくれば、新たなビジネスチャンスになるのではないか、とこの本のなかで述べておられます。
(『バイオパンク―DIY科学者たちのDNAハック!』という本の紹介のなかで、この話が出てきます)

 マイナンバー制度も始まるのでセキュリティの問題や法律上の問題はあるにせよ、クラウドで個々人のカルテを個々人が保持し、それを病院や医師が共有するような流れは、現実的な将来像だと思う。
 プロフィールなどの具体的な個人情報は外した上で、診断データなどを公開して、適切な診断を医者が行うということがネット上でできるようにもなる。
 つまり、簡単な血液検査をしておくだけで、ネットの自分のページを見れば、先月とどういう違いが自分の体に起こっていて、これが続くと将来どんな病気になる可能性が高いか、今どんな病気の疑いがあるか、そして治療のためにはどの病院に行けばいいか、などが一瞬でわかるようになる。
 ここにはいろんなビジネスチャンスが眠っている。サプリメントの広告なんかが入ってくることはまず間違いないだろう。
 もちろん実現のためには、法改正やら医師会の反発やらが想像を絶する規模で襲ってくると思う。
 しかし、もう技術的にはすべて可能なのだから、実現されることが自然なのだ。で、僕は自然とビジネスにしたいと考えているわけだ。

医療の世界の片隅にいる人間としては、血液検査の結果を過信することの怖さなども感じてしまうわけですが、『生命の情報化』についての本を読んだだけで、こういうことを思いつくのは、やっぱりすごいなあ、と。
「ふーん、いま世界ではこんなことが起こっているのか」と感心することと、それを「自分の新しい仕事のきっかけ」にすることには、けっこう大きな壁があるはずです。
堀江さんの信奉者には、「ネットで情報集めをする」という見かけのスタイルをなぞっているだけで、この「情報について考える」というプロセスが欠けている人が少なくありません。
ネットで芸能ニュースや炎上騒ぎばかりを読んで、「情報通」になったと思い込んでいる人と、彼らがバカにしているテレビや新聞の「マスゴミ」に踊らされている人に、あんまり違いはないと僕は思います。


この本を読めば読むほど、「情報について本当に考える力がある人は、情報収集の手段にはあまり影響されないのではないか?」という気がするのです。


いや、個人的には、堀江さんの原発に対する考えとか、藤沢数希さんへの傾倒とかに関しては「そりゃ、堀江さんの立場なら、そうかもしれないけどさ」という感じなんですよ。
「理系の本」重視で、文学作品にはあまり食指が動かないというのも、僕とは違う。


刑務所の中となると、普段なら手に取らないような本も読んでみる機会があったみたいです。

 まず、これは絶対読まないだろうと思っていたのが『成りあがり How to be BIG-矢沢永吉激論集』(矢沢永吉)だった。
 なぜ読まないと思ったかというと、僕は彼の考えには共感できないことが自明だったからだ。ヤンキーたちにガッツリ盛り上げられている、彼の「ファミリーを大事にする」といった哲学には、全然共感できないのだ。
 しかし実際に読み始めてみると、と……止まらない。まさに矢沢永吉、伝説的(?)な書だ。しかも構成を担当しているのは、あの糸井重里さん。面白くないわけがないのだ。
 この本を出したのは矢沢永吉28歳の頃である。その”若さ”を感じさせないほどに、彼がすでにスタイルを確立していることに驚かされる。ここまで洗練されていたからこそ、数十億円をだまし取られても平然と(少なくとも傍目からはそう見える)復活できたんだろう。けっして舞い上がらず、自分の目標に向かってストイックに努力する姿には、読み始めると、誰もが引き込まれる。
 完成された「矢沢ワールド」がある。そこには、彼のファンでなくても、吸い寄せられてしまう。宇宙で小さい星が大きい星の引力に引かれてしまうのと同様の物理法則が働くのだ。

僕も「矢沢永吉さんの考えには共感できないだろうな」と思っていたので、堀江さんのこの書評はけっこう意外でした。
そういうのって、「読まず嫌い」であって、魅力があればこそ「伝説の一冊」として読み継がれているのだな、と痛感させられます。
僕もぜひ、読んでみます。


この本の巻末には、堀江さんと成毛眞さんの対談も収録されています。
そのなかの一部。

成毛:理系脳なんだよね。僕と同じで。


堀江:そうですね。


成毛:悲しいぐらいに(笑)。


堀江:はい(笑)。


成毛:反対に、悲しいくらいに文系な人って、ストーリーはどうでもよくて、描写さえ美しければいいって人がいるもんね。極論すると、短歌・俳句とか、詩とか。こういうのを好む人たちのことは、理解できないよね、僕の場合。


堀江:うん。僕も理解できないですね。そっち方面は。


成毛:逆に、極文系の人たちがサイエンスの本を読むと、また全然理解できないもので。事実を書いているにもかかわらず、理解できない。文系の人って不思議だよね。


堀江:そうですね。不思議ですね。そういう人たちが政治をやったり、言論をやったりしていると、本当にお話にならないというか。本当に困っちゃいますよ。


成毛:そうそう。僕ら理系人間からすると、本当に困る。大丈夫なんだろうか? と思うんだけれど、向こうは向こうで、理系人間のことを、サイエンスのことしか知らない、文脈を読めない人だと思っているんだ、きっと(笑)。


僕は「文系寄り」だと自分では認識しているのですが、芥川賞を受賞した『abさんご』を読みながら「あーめんどくさいなこれ」としか思えなかったことを考えると、「極文系」ではないのでしょうね。
ただ、こんなふうに「文系」「理系」を敵対する概念として、お互いを茶化したり、バカにしたりすることが、原発事故後の放射線の問題が「噛み合ない」理由のような気がするんですよ。
それに、脳というか思考法って、ひとりの人間の中でも「文系的なもの」と「理系的なもの」が混在しているのが「普通」であって、あえて二極化してみせて、お互いを敵視するように煽る必要なんてないはずです。
詩や文学を愛した科学者を僕はすぐに両手くらいは挙げられます(ちょっと時間をいただければ、両手両足でも軽いものです)。


堀江さんの思考や「理系」だけど、生き方そのものは「文学的」(というか「物語的」)だよなあ、なんて、これを読みながら、考えてしまいました。

ここで採り上げられているなかで、『理系の子』と『フェルマーの最終定理』は、僕もとくにおすすめしたい本です(いわゆる「文系」にとっても面白いと思います!)


理系の子―高校生科学オリンピックの青春

理系の子―高校生科学オリンピックの青春

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

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