琥珀色の戯言

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【読書感想】三谷幸喜のありふれた生活11 新たなる希望 ☆☆☆


内容紹介
これまでの僕の人生で、生まれた年の次に重要な一年だった――。
離婚後、人生で初めての一人暮らしの日々が始まり、脚本家は何を思う??
10歳を超えた老犬・とびとの穏やかな日常。憧れの小泉今日子との夜の酒場に出かけるハプニング……。
映画「ステキな金縛り」のプロモーションで大忙しの一方で、約20年ぶりに執筆を始めた小説『清須会議』は、難航を極め……。
シリーズ第11弾。「ありふれた生活」第二部が堂々、開幕!
巻末には、映画「ステキな金縛り」の連動企画ドラマ「ステキな隠し撮り」のシナリオを特別収録。


本当に下世話なんですが、やっぱり、「離婚後の三谷幸喜さん」について、興味があったのは事実なのです。
このエッセイでは、離婚後の「人生で初めての一人暮らし」(といっても、愛犬「とび」が一緒なのは、読んでいてなんだかすごくホッとするのですが)を描いた、ちょっとしんみりするような回もあり、野村萬斎さんや大泉洋さんなどが登場する舞台の話もあります。
大泉洋さんって、三谷さんの舞台を観て、演劇を志したんですね。そうだよなあ、三谷さんも50歳なんだから、「三谷フォロワー」がたくさん出てくるのも当然のこと。
それにしても、これを読んでいると、子供が生まれてからすっかり行かなくなってしまった舞台を、久々に観に行きたくなります。
魅力的な舞台人のエピソード満載なので……


ちなみに、その話を妻にしたところ「ひとりで行けば?」と言われてしまいました。
うーん、そういうのじゃ、ないんだけど。
いや、ひとりででも、観たいものは観たいけど、舞台はできれば誰かと一緒に行きたいんだよなあ。映画って、「こっちがパジャマで居眠りしていても、空いていれば構わない」ような気がするんだけど、舞台って、観客も参加しているというか、舞台から観られているような気がするときがあるので……
息子と一緒に行けるまでには、あと10年くらいかかりそうだし……


まあ、そういう個人的な感慨はさておき、引きこもりがちだった三谷さんと、ある大物女優さんとの邂逅が、僕にとってはこの巻のクライマックスでした。


和田誠平野レミ夫妻と小泉今日子さんが一緒に食事をしている店に、途中から招待された三谷さんなのですが……

 あのキョンキョンが目の前にいる。とても現実とは思えなかった。生キョンキョンは、既にかなりいい感じで出来上がっていた。べろべろ一歩手前。
 素顔の小泉さんは、アイドルのイメージとかけ離れていた。一言で言えば「姉御」。いやもう「兄貴」レベルかも知れない。煙草をふかす姿がやけに格好いい。まさに男前。かなりあけすけに自分の話をする。ざっくばらんすぎて、愕然となる瞬間が何度もあった。嫌いなものは嫌いとはっきり言い、許せないことに対しては、「それはクソだね」という表現でばっさり斬り捨てる。声質だけは、昔のアイドル時代から変わっていないので、そのギャップが凄い。見た目は鷹なのに鳴くとウグイスみたいな、そんな感じ。
 めくるめくような夜。信じられないことだが、僕らはそれからカラオケに行った。小泉さんが松田聖子さんの「風立ちぬ」を歌い、目の前でそれを聴く、とんでもない幸せ。僕が「ロマンスの神様」をキーを下げて歌うと、小泉さんは「無難に歌うな」と一喝、強引にリモコンで原キーに戻された。さすが兄貴。
 さらに信じられないことだが、カラオケの後、和田夫妻が帰られてから、僕は小泉さんに誘われ、三十分だけという約束で、新宿二丁目のバーへ行った。彼女行きつけのお店らしかった。

いや、たしかに「そういうイメージ」はあったけど、本当にそんな人だったのか!
それにしても、小泉さんとサシ飲みなんて、あまりに羨ましすぎる……
でも、これじゃ「アイドル・小泉今日子」というより、「部活のちょっと酒癖の悪い先輩」みたい……
人見知りの三谷さんは、けっこう苦手なタイプなのではなかろうか(僕はいくら小泉さんの顔と声でも、こういう人と一緒に飲むのは苦手です……)


ちなみに、「新宿二丁目のバー」で何が起こったかは、ぜひこの本を読んでみてください(って言っても、そんな凄いことが起こったわけじゃないんですけどね)。


この本のなかで、三谷さんは小説『清洲会議』関連で、こんなことを書いておられます。

 文章を書くのは難しい。シナリオだと、多少拙い言い回しが出て来ても、それは僕が拙いのではなく、喋っている人物が拙いんだ、という逃げ道がある。小説だとそうはいかない。
 僕も物を書く人間なので、出来るだけ人と違った表現をしたい、という欲求はある。昔、情報番組の台本を書いていた頃は、「というわけで今週も始まりました」とか「どしどしご応募下さい」「来週もお楽しみに」といった紋切り型の台詞は絶対に書かないように務めた。司会の方は、あまり丁寧に台本を読まないので、ほとんど僕の努力は無駄に終わるのだが、それでも自分の勉強のつもりで、違う表現を心がけた。
古畑任三郎」シリーズでは、犯人には古畑に向かって「刑事さん」ではなく「古畑さん」と言わせた。刑事ドラマを観ていて、事件関係者が刑事を「刑事さん」と呼ぶのが、気になって仕方なかったからだ。自己紹介されていれば、僕だったら絶対に名前で呼ぶ。関取に向かって「ねえ、お相撲さん」と呼ばないのと同じ理屈だ。全四十一話の中で「刑事さん」という台詞は一度も出て来ないはずである(あったとしたら、それは役者さんのアドリブだ)。

ああ、そう言われてみれば、たしかに『古畑任三郎』では、刑事ドラマのお約束の「刑事さん」じゃなくて、みんな「古畑さん」と読んでいたなあ、と。そして、関係者がそう呼ぶのが自然になるように、あらかじめ面識があったり、自己紹介の場面があったりしたんですよね。
三谷さんによると、自分が小説を書くとなると、そういう「紋切り型の表現を排除する」のは、けっこう大変だったそうです。
脚本も小説もそんなに大きな違いはないようにみえるけれど、実は、けっこう異なるところも多いとのこと。


三谷さんが紹介されている「名探偵モンク」も観てみたくなったので、今度DVD借りてきます。


先日、三谷さんは再婚を発表されましたが、その話はまだ、今回は全く出てきません。
それはまた、次巻のお楽しみ、ということで。


あと、これを読んでいて、僕は杏さんがあの渡辺謙さんの娘さんなのだと、はじめて知りました……
「二世タレント」であることをあまりアピールしていないとはいえ、なぜいままで知らなかったのだろう、あんなにテレビで見ているのに……

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