琥珀色の戯言

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【読書感想】あの日、僕は旅に出た ☆☆☆☆


あの日、僕は旅に出た

あの日、僕は旅に出た

内容(「BOOK」データベースより)
バブル前夜、グラフィックデザイナーだった著者は、そのあまりの忙しさ(朝4時に仕事の依頼が来て、正午に締め切りとか日常茶飯事)に嫌気がさし、インドへ飛び出した。もう二度と行くものかと思った最悪の旅がすぐに繰り返され、なぜかその面白さにとりつかれて、雑誌「旅行人」を創刊し、とうとう30年間も旅を続けることになった。アジアに向かって、スピリチュアルなものを求めた旅の時代、ゲーム的な楽しみとしての旅の時代、逃避としての旅の時代など、さまざまな旅のスタイルの変遷を著者はずっと見てきた。その間、日本も世界も大きく変わっていった。バックパッカーの教祖が、30年間、世界中を旅して見つけたもの、旅の果てにつかんだものとは?

バックパッカーの教祖」と呼ばれる蔵前仁一さんの半生記。
この本、書店でパラパラとめくってみたときは「ああ、蔵前さんのこれまでの旅の『ベスト盤』みたいな感じなのかな」と思ったのですが、個々の旅の話というよりは、蔵前さんの人生の変遷に重きを置いて書かれている本でした。

 僕の職業は、文章書き、編集者、グラフィックデザイナー、イラストレーターおよび出版社社長である。
 横文字商売も加わっていて、なんだかずいぶん偉そうな感じがするが、これらの職業名の上すべてに「零細企業の」という言葉を冠すると、「ああ、あそこのビルの五階の社長ね。一階が不動産屋の。西武線の窓からポスターが見えますよ」というお便りがくるほど全面的に庶民的イメージになる。
 かつては、アルバイトを含めて、働く人間が全部で10人の小さな出版社だった。海外旅行に関する本を出版し続けていた。会社の人間は「旅行人」。しばしばまちがって「りょこうにん」と呼ばれるが、正しくは「りょこうじん」と読む。
 海外旅行系の出版社というと、なんだか「リッチなヨーロッパの旅七日間」という感じがするが、そうではない。いわゆる「バックパッカー」という、金はあまりないがヒマだけはあるタイプの旅行者に向けて雑誌を出し、本を出版してきた。アフリカの町や中央アジアの草原、はたまたチベットの高原から読者のエアメールが毎日届き、どっちかというと「アフリカ大陸、密林およびサバンナの旅、下痢付き六か月」という感じだ。
 こう書くと、今度はまるで冒険雑誌ではないかとお考えの向きもあろうが、そういう体育会系ではぜんぜんない。読者であるごく普通の旅行者が、そういう「辺境」を旅してまわっているのだ。僕自身も、小さな宿を泊まり継いで各地を旅して歩いている。


この本を読んでいて驚いたのは、蔵前さんは「昔から旅が好きで好きでしょうがない人」ではなかった、ということです。
1956年生まれの蔵前さんが、はじめて海外旅行をしたのは1979年。行先は、アメリカでした。
その際には、旅そのものが目的ではなく、「アメリカのモダンアートが見たかったから」だそうです。
その後、グラフィックデザイナーとして忙しく働いていた蔵前さんは、「東京にいるのがイヤになって、ほんのしばらくどこかへ行きたくなっただけ」という理由で、旅に出ることになります。
行先がインドになったのは、仕事仲間が飄々と「インドにでも行ってみたら」と勧めてくれたから。
とくにインドへのこだわりや憧れがあったわけではなかったのです。


で、インドでは物乞いや値段交渉に疲れはてて、日本に戻ってきたはずなのですが……

 バスが渋谷に着き、僕は道玄坂を歩いてのぼる。インドも人が多かったけど、ここもけっこうな人出だな。そうか、路上で物を売ったりはしないんだよな、日本の場合。
 立ち並ぶビルを眺める。え? のっぺりとして、なんだか映画のセットのようじゃないか。おかしい。ビルがおかしいのではなく。あれが映画のセットのように見える自分が。なんでいつもの渋谷の街並みが薄っぺらなセットのように見えるんだ? いったいどうなっちゃったんだ。
 イラストを届けて事務所に帰る。今日の仕事はイラスト10枚だから、三万円の売り上げだ。インドだったら一か月旅行できるっていわれたな。たった数時間の仕事でインドを一か月も旅できるのか。すごいよな。いったいなんでこんなにも物価が違うんだろう。
 はっ!
 またインドのことを考えてしまった。レイアウトの締め切りは明日だ。気合いを入れ直さなくっちゃ。
 しかし、ふりはらってもふりはらっても、インドは僕の頭から去っていかなかった。それどころから、毎晩インドが夢の中にまで出てきて、僕はうなされっぱなしだった。
それは悪夢だった。料金をだまされ、宿で虫に食われ、物乞いにまとわりつかれ、おろおろしている僕を、インド人が笑った。ジャパニ、ほら、こっちへ来いよ。がはははは。

 こんな「症状」に悩まされ続けた蔵前さんが、インド旅行をすすめた友人に相談すると、彼は言うのです。
「そりゃインド病だよ」と。
 そして、治すためには、またインドに行くしかない、と。

 
 「それならば」と蔵前さんは覚悟を決め、仕事を整理して、中国経由で、再びインドへ向かいます。
 前回のインド旅行は2週間だったのですが、この旅は、1年半もの長旅になったのです。


 僕は海外に出かけるたびに、「良いところもたくさんあるけれど、やっぱり住み慣れた日本がラクだなあ」と思いつつ帰国するのです。
 インドは行ったことがないのですが、たぶん、「インド病」にはならないんじゃないかな。
(もちろん、蔵前さんだって、「そんなつもりじゃなかった」のでしょうけど。


 この「インド病」がなければ、旅行作家・蔵前仁一も、『旅行人』も生まれなかったはずです。

 
 その後、バックパッカーとして旅をすることが楽しくなってしまった蔵前さんなのですが、趣味と実益を兼ねて、自らイラスト入りの本『ゴーゴー・インド』を描いて出版し、その後も何冊かヒット作を出していきます。
 そして、自分の好きな「旅の本」を出したいという思いが抑えられなくなり、出版社『旅行人』を立ち上げることになります。


 出版社の名前と同じ、雑誌『旅行人』は、『遊星通信』という同人誌からスタートしました。
 「ちょっとマニアックな旅をする人びと」に愛され、数万部単位まで成長していく経緯は、この本のなかでも交流の様子が少し紹介されている、椎名誠さんと目黒考二さんが立ち上げた『本の雑誌』とよく似ています。
 そして、蔵前さんのデザイナー、編集者としてのマメさ、行動力が、新しい「旅行」の文化を生み出したのです。
 それまでも「面白い話をしたり、読ませる文章を書いたりするバックパッカー」はいたはずなのですが、彼らは「雑誌をつくって、ちゃんと定期的に発行する」という「甲斐性」には基本的に欠けていました。
 いやまあ、そういうのがイヤだから、旅に出ているんだろうしねえ。
 そういう「才能」を発掘し、彼らの尻をたたいて原稿を書いてもらい、形にして残したのは、蔵前さんにしかできないこと、だったような気がします。
 椎名誠さんが、本好きとしては破格の行動力で、目黒考二さんの頭にある『本の雑誌』を現実のものとしたように。
 宮田珠己さんを最初に世に出したのも『旅行人』でした。
 「地図オタク」の富永省三さんという人のエピソードもすごかった。


 しかし、順調に出版を続けてきた『旅行人』の本の売り上げも、次第に落ちていくようになります。
 そう、インターネットの発達によって、旅の情報も、ネットで得る人が増えていったのです。
 リアルタイム性、検索性を考えると、本や雑誌の情報は、ネットにはどうしてもかなわない面が出てきます。

 
 そこで、蔵前さんは「ある決断」をするのです。

 なぜ本が売れなくなったのだろう。それは自分自身が喜んで読むような本になっていないからではないのか。何冊もの本を出すようになると、自分一人で編集するわけにはいかなくなり、編集を社員に担当させるようになる。どこの出版社でもやっていることだが、それがいつの間にか、おもしろいかどうかより仕事としてこなすだけになっていったのではないか。本当に自分が出したいものを出す、自分が心からおもしろいと感じたものだけど出版するというわけにはいかなくなっていたのではないか。
 会社が大きくなればなるほど(といっても、それほど大きくなったわけではないが)、本の制作以外の仕事がどんどん大きくなっていく。単純にいえば、動かす金額が大きくなればなるほど管理に追われるのだ。資金の管理、在庫の管理、社員の管理などなど、管理が仕事になってくる。社長の仕事とはそういう種類のもので、だから管理職というのだろうが、僕は管理の仕事なんかしたくないし、向かないことは最初からわかっていた。
 多くの社員を抱えるには、それに見合った売り上げが必要になる。それにはどうしても刊行点数を多くしなくてはならない。だから忙しいのだ。忙しいと目の前の仕事をこなすだけで精一杯になり、おもしろいかどうかは二の次だ。会社を維持することが目的になっている。完全に悪循環だ。自分が本当いやりたいことはなんだったのかを僕は見失っていた。
 僕は会社を縮小することにした。それしか方法はない。

 僕がこの本を読んで、蔵前さんの生きかたについて考えさせられたのは、蔵前さんは行き詰まりを感じたときに「不要なものを捨てる」という選択をほとんどの場合にしていることでした。
 これって、簡単そうにみえるけれど、実際はなかなかできないんですよね。
 「じゃあ、もっと会社を大きくして勝負だ!」という発想はあっても、「会社を縮小して、自分の好きなことだけをやれるようにする」のは、本当に難しい。
 「責任」とかを、どうしても考えてしまいがちですし。
 実際には、往生際が悪いがために、被害を広げて、かえって迷惑をかけてしまうことも多いのです。
 「本になるような人の話」は、「大成功か破滅か」みたいな両極端になりがちなのですが、こうして、「捨てることによって、自分を取り戻していく」というのは、なんだかとても新鮮に感じました。
 

 蔵前さんは、まだ50代後半なんですよね。
 長い間活躍されていたので、もうかなり御高齢という先入観があったのですが、これからも、新しい旅の話を期待できそうです。
 僕は蔵前さんの著作を何冊か読んだ程度の知識しかありませんが、この本は、すごく面白かったです。

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