琥珀色の戯言

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謝罪の王様 ☆☆☆



あらすじ: 依頼者たちに代わって謝ることで、彼らが抱える多種多彩なトラブルを収束する東京謝罪センター所長、黒島譲(阿部サダヲ)。ヤクザの車と追突事故を起こし、法外な賠償金の支払いを迫られていた帰国子女・典子(井上真央)は、彼に助けられたのがきっかけでセンターのアシスタントとなる。二人は、セクハラで窮地に陥った下着メーカー社員の沼田(岡田将生)、あるエキストラの起用で外交問題を起こしてしまった映画プロデューサー・和田(荒川良々)など、さまざまな顧客に降り掛かる問題を謝罪で解決していく。


参考リンク:映画『謝罪の王様』公式サイト


2013年29作目。
公開3日目、月曜日のレイトショーで鑑賞。
宮藤官九郎さんの脚本ということで、『あまちゃん』効果もあってか、30人くらい入っていました。


なるべく気楽に観られるものが良いなと思っていたので、この映画を選択したのですが、こんな謝罪、通用するわけないだろ!などと内心ツッコミながら、『へルタースケルトン』や「ラスカル!」には笑ってしまいました。
しかしこれ、どこまでギャグで、どこまでシリアスなのか、よくわからない映画ではありますね。
前半でいえば、セクハラ絡みの話とかは、ある意味突き抜けているといえばいるのですが「それは『謝罪』じゃなくて、『脅迫』みたいなものでは……」とか言いたくもなりますしね。
たしかに、「怒っている側にしても、怒りのエネルギーを持続させるのは難しいし、どんなひどい相手でも、傷つけることに対して罪の意識を感じる」のは事実ではあります。
しかし、それをああいう形で利用するのは、ちょっとあんまりではないかな、と。
後のほうで語られる、黒島が「謝罪センター」をはじめるきっかけになった事件のことを考えると、なおさら。


この映画には、「1対1でのトラブルでの、怒る側の気持ちの揺らぎ」みたいなものが描かれている一方で、マスメディアや視聴者による「安全圏から、他人に怒りをぶつける人たちへの皮肉」も込められているのではないかと思うのです。
本当に1対1で怒るときには、怒る側も傷つくリスクや不安を抱えざるをえない。
それに対して、「安全圏から、正義を振りかざす人々」は、自分のリスクが低いだけに、移り気で、容赦がありません。
映画監督や脚本家、役者なんていうのは、そういう批判にずっと晒されている人たちなんだろうな、とか、考えてしまいました。


この映画の後半は、「うーん、これってちょっと差別的なのでは……いやいやいや、このくらいで差別とか言い出すのが、ユーモアの世界を息苦しくしているんじゃないか?狭量すぎるぞ自分……」とか、ちょっと葛藤しながらみていました。
フィクションとはいえ、『マンタン国』のモデルにされていた国の人は、この映画をみて、どう思うのだろうか。
ネットで感想を読んでいたら、『ウルヴァリン/SAMURAI』でさえ「これは日本じゃない!」って怒る人がいるのですから。
「民族的禁忌」って、微妙な話ですよね、うん。
もちろん、映画内での「民族的禁忌」は、モデルにされている国には存在しないものなのですが、それだけになおさら、「バカにしている」ように見えなくもありません。
というか、国家レベルでの謝罪なら、事前に根回しなり、相手の習慣について調査しておくのが当然だろう、と。
その一方で、「こんな えいがに マジに なっちゃって どうするの」(『たけしの挑戦状』より改変)という声が、僕の心に響いてもきます。
「悪意」はないんだよね、きっと。
むしろ、「文化の違い」と「通じない謝罪」について、面白おかしく描いている、つもりなのだろうけれども……
映画的には、「なるべく大きなスケールの話」をクライマックスにもってきたかったのだろうし。


僕は正直、素直には笑えませんでした。
というか、これを笑っていいのかどうか、ずっと困惑していました。
「土下座を超える謝罪」がそれかよ!っていうのもあったし。


「ただ、相手に謝ってほしいだけなのに、いまの世の中では『謝る』ってことにいろんなものが付随してしまって(慰謝料とか、「謝ったら自分の責任を認めることになる」とか)、『ごめんなさい』が言えずに、こじれていることも少なくない」というメッセージには、考えさせられました。
みんなが慰謝料をよこせ、と思っているわけでもないし、相手を刑務所にぶち込め、と憤っているわけでもない。
もちろん、事の大小はあって、「謝るだけでは済まないこと」もたくさんありますが……


うーん、けっこう楽しい映画、なんだと思うんですけどねえ……
「謝罪」と「赦し」っていうのは、やっぱり、ものすごく個人的で、デリケートな問題なのだと思う。

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